第六章 (2) こっちは真っ裸なんですけど

***


 ようやくいろんなものに解放された三善は、ふらふらとした足取りで自室に戻った。あまりに疲れすぎて全てがどうでもよくなってしまった。今まで着ていたスーツをベッドの上に放ると、まずはシャワールームに入る。


 ホセから渡されたインタリオリングは自室のデスクに置いてきた。まさかとは思っていたが、それが現実となると途端に嫌気が差すのもまた事実だ。確かに大司教に会って諸々の権能を引き継いだ訳だから、名実ともに「そうなる」のは大変都合がいいのだが。だが、しかし。


 三善はシャワーの湯を頭からかぶり、ひたすらに靄がかる思考をまとめて洗い流そうとした。


「――ああ、名前。考えなきゃ」


 自分の名前は姫良三善。しかし今後教皇の座に就くとなれば、それとは別の教皇名を掲げることとなる。例えば前任のヨハネスがいい例で、彼の名もまた教皇名となる。真名は別にあるのだが、三善は知らなかった。


 早く布団に入って眠りたい。そういえば夜の分の薬を飲んでいなかった。それから、それから。


 他にもやりたいことは山のようにあったが、三善はとりあえず頭と体を洗い、さっさとシャワー室から出ることにした。棚からタオルを出すと、クローゼットから寝巻を出すのを忘れていたことに気が付いた。だらしないとは思いつつ、仕方なしに全裸で部屋に戻ることにする。


 その時だった。


「やあ」

「ああ、はいはい。お疲れさん」


 かなり自然に挨拶されたので一瞬スルーしそうになったが、何故か視界の片隅にホセがいた気がする。三善は思わず二度見すると、ベッドの端にホセが座っていた。先ほど投げ出したスーツはハンガーにかけられている。


「ぎゃっ!」


 見間違いではなかった。本物だ。


「ちょっと、せめて下着くらい履いてください」

「なんでこんなところにいるんだ、つーか勝手に入ってくるな!」

「せっかくの親子水入らずじゃないですかー、やだー」

「うるさいよ。どうせお前のことだ、なにか企んでるんだろ」


 ぶつぶつと文句を言いながらクローゼットから下着を取り出し足を通したところで、三善の視界が急に陰ったことに気が付いた。なんだかものすごく嫌な予感がする。とりあえず履きかけのパンツを腰まで引き上げたところで、のろのろと肩越しに相手の気配を探る。


 ――時すでに遅し。背後からホセにより壁に追いやられたと気づくのに、そう時間はかからなかった。


「ええ、企んでいると言えば、その通りですけど」


 ホセの目は笑っていなかった。


「……、なにが目的だ。クソ親父」

「あなた、私に隠し事をしているでしょう。全部吐きなさい、今すぐ」


 そんなことを言われてもまったく身に覚えがない。三善は「はぁ?」と声を上げ、すぐに反論した。


「隠し事なんかしていないけど」

「あら、そうですか? じゃあちょっと失礼しますね」


 あ、と思ったのもつかの間、三善の左腕が背面へ引かれ、同時に捻りを加えられた。突然のハンマーロックに、三善は思わず悲鳴を上げた。


「痛っ、痛いって!」

「痛くしていますから当然です」


 このときになって、ようやく三善はホセが何か怒っているということに気が付いた。一体どれのことだ。多少のやんちゃはしているけれど、わざわざホセに怒られるようなことはしていないつもりだ。強いて言うなら今年の本部総会の出欠確認に対して返事をしていないくらいか。


 三善が考え事を始めたのに気が付いて、ホセは鋭い声を投げかける。


「考えている余裕がありそうですね。じゃあもうちょっと捻ります」

「がっ……!」

「質問を変えましょう。どうやらあなたを誑かそうとしているがいるみたいですね。それは今どこにいますか」


 その言い草に三善ははっとした。どこから聞きつけたのか知らないが、おそらくそれはヨハンのことだ。ならば彼が拷問紛いのことをする理由も頷ける。だが、今彼のことを伝えることは避けるべきだ。ホセは変に察しがいいから、どうせろくなことにならないのだ。


 三善は頑として口を割らない方針で行こうとして、


「ハンマーロックを我慢すると危険なので、できればこれ以上続けたくないのですが。一応、あなたは怪我人ですし」


 とぼやくホセに更なる負荷をかけられた。これ以上は脱臼する。三善は短く悲鳴を上げ、


「っ、分かった、分かったから!」

「うーん、答えになっていませんね。私の質問は『どこにいるか』、です」

「っ、九条! 九条神父、のっ、とこにい、る!」


 その瞬間、ようやく体の拘束が解かれた。ぐったりとした様子で壁にもたれたたる三善の耳に、背後から愉し気なホセの声が届いた。語尾にハートマークでも付きそうなほどだ。


「早くそう言ってくだされば痛い目に遭わなかったのに。ああそれと、ヒメ君」

 ホセはさらに続ける。「次期教皇ともあろう方が、たかがプロレス技で蹂躙されるようじゃあお話になりません。もう少し体術の訓練をされてはいかがでしょう?」


 四十路のおっさんに負けた! と三善は心の底から思った。


「くっそ、覚えてろ……!」

「伊達に何百人もの僧兵相手に戦っていたわけじゃありません。あなたとは修羅場の経験回数が違います」


 さて、とホセは時計を見やり、用が済んだと言わんばかりに部屋を出て行こうとした。三善はそれを引き止めようとしたが、肩の鈍い痛みに耐えきれずその場にうずくまる。


「待て、こら!」

「待てと言われて待つ莫迦がどこにいるのです」

 大丈夫、とホセは短く言う。「決して悪いようにはしませんから」


 それが信じられないから言っているのだ。三善が再び口を開きかけたところで、軽やかな足取りでホセは部屋を後にした。

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