八月七日 6 (1) 遅れてやってきた反抗期

 奇妙な沈黙ののち、三善は観念したように、おおげさに肩を竦めて見せた。しかしながら、その仕草が決して嫌味に見えないのがまた不思議なところである。


 彼は極めて落ち着いた調子で、

「さっきから馬鹿って言ったり賢いって言ったり……どっちかにしてくれませんか」

 と尋ねてみた。


 すかさずジョンが答える。


「どっちかって言われたら、お前さんは馬鹿だ」


 そこまでズバッと言われてしまうと、かえって清々しいものがある。意外と頭の作りが単純な三善としては、そちらの方がありがたい。

 そこでようやく「説教はここで終わり」とジョンが三善の肩を叩いた。


「まぁ、男は馬鹿な方がいい。断然いい」


 着替えてこい、と彼が言うので、三善はお言葉に甘えることとした。

 どうやら、他に呼んでいるという人物が一向に来る気配がないためらしい。一時間後に戻るよう三善に告げると、彼はひとつ頷き、単身部屋を出て行った。


 扉が閉まると同時に、ジョンはホセにそっと尋ねる。


「あいつの筆記試験の解答、見たか?」

「え? いや……まだ、ですけれど」


 それがどうした、と言いたげな表情を浮かべたので、ジョンが先程見つめていた紙をホセに見せた。


 ホセは促されるままにそれを受け取り、上から順に答案を見直していく。

 ジョンが言った通りだ。聖典理論は完璧なのに、教会史がなかなかに悲惨なこととなっている。特に、枢機卿関連。筆記試験はボーダーラインギリギリだとは聞いていたが、何故こうなった。思わず眉間に皺を寄せてしまったホセである。


 さて、最後に先程ジョンがぽろっと口にしたビックバン理論に辿り着いた。それを一瞥するや否や、ホセははっと身を固くした。


「この内容……」

「ああ。そうだ」

 ジョンは静かに頷く。「ケファ・ストルメントがエクレシアに入団する前に発表した、に似ているだろ」

「ええ。でも、それはあり得ない」

 ホセがかぶりを振った。「そもそも、あの子が『これ』を知るはずがない。だって、この内容は」

「その通りだ」


 ジョンが小さく呟き、回想するかのように再びその解答用紙を見つめる。三善の癖字が紙いっぱいに埋められている。ただそれだけのことなのに、二人の間には決定的となった事実がある。


 姫良三善という少年にとっての「三年」は、『彼』なしでは決して成立しなかった。あの男が側にいたからこそ、今の三善が在るのだ。


 だからこそ見逃してはならない。この危うさを放っておいたら、取り返しのつかないことになる。


 ふぅ、とジョンが溜息を洩らし、額に手を当てた。


「これ、ブラザー・ケファが書いた論文の中で唯一発禁処分が出た内容だろ。その内容を知っているのは、当時枢機卿団の依頼で下読みしていた俺やお前くらいだし、実際、それを進言したのは俺だ。発禁処分とした理由は、内容があまりに難解すぎるために誤解が生じる可能性があったからだ」

「ええ」

 ホセもそれに同意し、神妙な面持ちで頷いた。「あの子は天才でしたが、それ故に周りに合わせられませんでした。ヒメ君と生活するようになってからですよ、そういう意味で協調性が身に付いたのは」


 今思えば、それが学者としての「ケファ・ストルメント」最大の欠点だった。彼の几帳面な性格が妥協を潔しとしない。故に、彼が論文を寄稿するたびに、枢機卿団が騒然とするのは最早見慣れた光景だった。


 その様子を頭に思い浮かべた彼らは、同時に肩を竦める。ジョンもホセも、彼の論文に散々振り回されてきた被害者なのだった。


「チビわんこはあの訳分からん内容と同じことを思いつき、しかも素人でも分かるくらいに噛み砕いてきやがった。今回筆記試験が通ったのは、この最終問題の功績があってのことだろうな。ところで、ブラザー・ケファの論文はどうしたんだったか」

「彼自らの手で焼却処分したはずですよ。私と、あなたが立ち会いしました。データも完全処分して。あれと同じものはこの世に存在しないはず」

「そうだよな。俺の思い違いじゃないよな」


 はぁ、とジョンがひどく疲れた様子で息をついた。


「なんなの、あのチビわんこ。基本スペックが、かつて神童扱いされた『岩の子』と同じって何?」

「いや、それは違います」


 それを耳にするや否や、ホセはさらりと否定した。


「同じではなく、越えているんです。そう見えないのは、まだ経験が少ないから。ちゃんと指導してやれば、いずれ重要なブレーンとなりますよ、あの子」


 そう、それだけは確かなのだ。

 我が息子ながら、あれの優秀さは目を瞠るものがある。だから『岩の子』に託したのだ。


「それなら、どうして放置したんだ? 一応、その気になれば手を貸すことだってできただろう」


 痛いところを突かれ、ホセは思わず言葉を詰まらせた。


 ――その様子に、敢えてジョンはなにも言わなかった。ただ、やたら長ったらしくため息をついただけである。その溜息に敢えて名を与えるなら、「この親にしてこの子あり」だろう。


「まぁいいや。ちょっとすれているのは、多分遅れてやってきた反抗期ってところだろ。別に天狗になっている訳じゃない。あんたも苦労したんだな、カークランド」


 ジョンの妙に物分かりがいいところを、ホセはつい有り難く思ってしまう。そんな彼に結局のところ甘えてしまう訳だから、本当に申し訳ない。


「あの子も、これくらい物分かりがよければよかったんですが」


 どっちが? とジョンが尋ねたので、ホセは短く「両方」と言っておいた。

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