八月七日 5 (2) 検邪聖省
先程の部屋に戻ると、ジョンは三善をぽいっと床に叩き落とした。乱暴なことこの上ない。さすがの三善もその扱いには怒った。だが、彼が怒りの言葉はあっさりと無視される。代わりに問われたのは、
「おい、ブラザー・ミヨシ。司教試験の筆記はどの部分を勉強した?」
ジョンが尋ねる。三善はそんなこと知ったことかと思いつつ、
「ひとしきりやった」
「んな訳ねぇだろ。一か所手つかずの範囲があるだろうが。『
枢機卿? と三善の目が点になったので、またジョンは深くため息をつく羽目となった。
「やっぱお前、司教試験不合格にしてもらった方がいいよ。今なら間に合う」
そして、彼が今日常に持ち歩いていた薄手のファイルから一枚の紙を取り出した。「ああ……やっぱり。お前、筆記試験の内訳、結構散々じゃねぇか。枢機卿に関するところは全部ペケって、マジであり得ねぇ。ここは超絶サービス問題だろ、なんで複雑な聖典理論はできるのにこれが取れねぇの」
なんとなく貶されていることは分かり、三善は露骨にムッとした表情を浮かべた。
「おれが不勉強なのは認める。だけど、それは言いすぎじゃねぇのっ?」
「一人称はわたし、もしくはわたくし」
最早口癖に認定されてもおかしくない何度目かの台詞を吐きながら「教会側の脅威のサラブレッドもこの程度か」とジョンは肩を竦める。ようやく見込みのあるやつが出てきたと思ったら、頭は残念だったことに酷く落胆しているようだ。
「筆記は一体誰に教わったんだよ、ホセか?」
「……『あのひと』がいなくなってからは、全部独学だ」
ジョンの動きがぴたりと止まる。聞き返そうと、顔をようやく顔を上げた。三善は苛々を全面に押し出しつつ、怒りにまかせて声を張り上げる。
「だからっ! 誰にも教わってないって言ってるだろ! 『あのひと』のせいで皆それどころじゃなかったんだよっ! 自分でどうにかするしかないだろうが!」
「筆記試験最終問題の、ビッグバン理論は?」
「それはおれの研究成果。ったく、禅問答なんか出すんじゃねぇよ、意地が悪い」
ふぅん、と呟いたジョンの勢いが突如和らいだ。勿論それに気がつかない三善ではない。おや、とこちらの勢いも瞬時に削がれてしまった。
伊達に、あの聖ペテロに師事を受けた訳ではないのだなぁ……。
そんな言葉が今にもその口からこぼれ落ちそうな表情だった。
「……まず、お前はもう一度教会組織について復習するべきだな」
ジョンが三善に近づき、スケッチブックに三角形を書いた。
「俺たち聖職者の位階は助祭・司祭・司教に大別される。ほかにも侍祭等もいるが、ここでは省略する。位階を叙する人数はその位階の高さに比例し、下が助祭、上が司教、真ん中が司祭となる」
そして、ジョンは三角形の頂点部分に矢印を引いた。「ここにいる人物は?」
「……大司教」
「そう、大司教だ。そして、その大司教を補佐するのが枢機卿団。お前が喧嘩を売ったジェームズは枢機卿団のトップ故に、大司教が不在の今代理で任務を遂行している」
大聖教のトップは教皇だが、その裏では枢機卿がのさばっている。その構造自体は三善も理解できるので、首を縦に振った。
「枢機卿団の仕事は大まかに分けて二つ。ひとつは今言った『大司教の補佐』だ。もうひとつは、大司教選挙権を有し、それに基づいて大司教没後の運営をすること」
「うん? どちらもブラザー・ジェームズの仕事でしょう?」
「しかし、あいつはひとりで動いている訳じゃねぇんだぞ」
そもそも、この教会組織も役職を細分化して運営している。ジョンが科学研に属しているように、またはホセが人事担当者であるように。
「枢機卿団に属する聖職者も、ごく僅かだがちゃんといるんだ。だが、こいつらは本属である枢機卿団の名は隠して、普段は別の役職に就いている」
三善が再び首を傾げたので、ジョンはさらに分かりやすくなるよう言葉を付け加える。
「何故かというと、他の枢機卿は、主に
「けんじゃ……?」
「それも知らねぇのか。ホセ、職務怠慢」
突然話を振られたホセは、苦笑しながら「すみません」と頭を下げた。そのあたりに関しては、先にケファが教えていると思っていたのだ。もちろん意図的に黙っていたというのもあるが、基本的にホセは彼のやり方に手出し口出しは一切行わなかった訳で。
まさか今、ここまで大変なことになっているとは思わなかったのだ。
「お前、
異端審問? と三善の目が点になった。これも駄目か。
「分かった、ええと、チビわんこ。人のものを盗んだら普通どうなる?」
「法に裁かれる」
「大体正解。教会組織もそれと同じだ。悪いことをしたら裁かれる。そういう組織が教会内にもちゃんとある。それが検邪聖省。まぁ、自警集団って感じだ」
呆けている三善の頭を、ジョンは小突いた。「他人事みたいな顔しやがって。いいか、お前がさっき使って見せた“七つの大罪”の能力、それがこの教会での規律違反にあたるんだ。異端審問官――いわば警察官ってところか。そいつらに睨まれたら最後、お前は殺される」
「え、でも悪いことは何ひとつ」
「してるんだよ」
それだけははっきりと言える。
異端審問の歴史は長い。かつての魔女裁判がその例だ。その中で多少程度は変わったにしろ、共通点はある。一度検挙されれば、それを覆すことは難しい。むしろ覆した人物がいるならば是非お目にかかりたい。それくらいに厄介な仕組みなのだ。
「お前の能力は、この教会の中では悪と見做される。だから怒った。お前はこんなところで死ぬ訳にはいかない。どうして自分の命を大事に扱わないんだ。そんな軽率さがここでは命取りだって言ってる」
三善はようやく納得した。しかし、腑に落ちないところもある。
ジェームズは三善の能力を知っているはずだ。そもそも地下に幽閉されていた期間、あの時には既にその能力は露呈していたはずなのだ。少なくとも三善はそう思っていた。
そのような旨をジョンに伝えると、「当然だ」と肯定された。
「そりゃあ、敵の弱みは握っておくに越したことはない。おそらく、お前が本当に上を目指したとき、あいつはその能力を必ず世間に公表してくる。だから今は徹底的に隠せ。隠し通せ。物理的証拠がなければさすがの検邪聖省も動けまい。過去の失態を何度も繰り返すほど、あいつらはアホじゃないからな」
極めつけに、ジョンは言った。
「いいか。お前はこの教会の中では特別だ。今までどうして誰の目にも止まらなかったのかが不思議なくらいだ。チビわんこ、お前は聡い。その頭を、誰かのために使え。そのために、今は生きろ」
その瞳の真摯さに気圧された。
三善は首を縦に動かし、今目の前で自分のために怒ってくれた人について思案する。
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