第五章 (11) 独り立ちの祝福
***
結局その後ジェイにこっぴどく叱られ、疲れ切った表情でケファは懺悔室を後にした。
背中の痛みは、最近ではそこまでひどくない。おかげで少しだけ気分がいいのだが、通常の職務はほとんどやらせてもらえず、何かをしようとすると一同から「部屋に戻れ」と完全に拒否されてしまう。それだけが不満だった。
したがって、これから自室に戻り布団の上で転がるくらいしかすることがない。今まで常に働きっぱなしで休みをろくにもらえたことのないケファ、こんなに暇なのは人生で初めてのことだった。
この暇を何か別のことに費やしたいとは思うのだが、あいにく持ち合わせた趣味は健康上の都合でほとんどジェイに止められている。本当にすることがない。
また惰眠をむさぼるか、と考えていた時、背後から突然誰かに話しかけられた。
「これから部屋に戻るんですか?」
ホセだった。
「ああ、うん。暇すぎて困ってるんだが、何かやることはないか」
「あいにく、あなたに任せられることは何もありませんね」
「そうか」
しばらく一緒に歩いてもいいかと問われたので、ケファはそれを了承した。
ゆっくりとした足取りで廊下を歩き、ふと外に目を移す。雪が降っていた。どうりで静かだと思った、と呟くと、隣でホセが小さく笑う。
「……ケファ。異動の件は、ヒメ君に伝えましたか?」
「ああ」
ケファは短く答え、それから長く息をついた。
「ホセ、俺、あいつに振られたわ」
「はっ?」
いきなり何を言い出すのだ。ホセが目を剥いていると、ケファはぽつぽつと事情を説明し始めた。
なんでも、自分がヴァチカンに異動になることを三善に伝えたとき、ケファは「思うところがあり」このように提案してみたのだそうだ。
――お前、俺と一緒に来るつもりはないか。
以前『第十三書庫』の件で「三善は国外に連れていくのがよい」と考えていたこともあり、思い切ってそのように伝えてみることにしたのだ。そしてこの時点で、ケファは確信していた。おそらく三善は自分についてくるだろう、と。何せ彼の記憶の中には、自分のいない生活などインプットされていないのだ。無理強いをせずとも、二つ返事で頷いてくれるはず。
そう思っていたところ。
「断られた、と」
ホセの一言が意外と胸に突き刺さる。「ケファ、あなた結構作戦が雑ですよね」
「お前に言われたくない」
まあ、とケファは首筋を掻きつつ、あの日の三善の様子を思い返す。確かに、少しだけ揺らいだような素振りはあったのだ。しかし、彼は首を縦に振らず、こう言った。
――僕のことは大丈夫。だから、ケファは安心していいよ。
三善も本当は、ケファの提案の意図を汲んでいたのではないか。そして、それでもなお日本から離れまいとしている。
もしかしたら、『契約の箱』と己の釈義を渡してしまったことで、妙な責任感が働いているのではなかろうか。
本当は拉致まがいのことをしてでも連れていくつもりだった。しかし、いざ三善にあんな顔で、あんなことを言われたら、こちらの決意まで揺らいでしまう。
そして結局、ケファは彼の意志に負けたのだ。
――ホセは隣を歩くケファの横顔に目を移した。元気そうではあるが、その表情にはどこか迷いが感じられる。当然だろう。今までずっと三善と行動を共にしており、これからというときにまさか自分が離れなくてはならなくなったなんて。
ホセは思う。
あれこれ言い訳めいたことを言っているが、本当に三善と離れたくないのはケファ自身ではないのか。
「今お前が何を考えているか、当ててやろうか」
唐突にケファが言った。「俺が三善のことを心配し過ぎて、本当は離れたくないんじゃないかとか、そういう妄想を繰り広げているんだろう」
「正解です。違いますか?」
「悔しいけど間違いない。だけど、……いつまでも一緒にいたら、あいつのためにならないかな、と。ここは俺が引かないとさぁ。いつまでも甘やかす訳にはいかないだろ。あいつも十六歳になったんだ、もう一人で考えて動けるだろ」
それでも、とホセが何か言おうとしたが、すぐさまケファはそれを制止した。
「あいつのこと、頼んだからな。もしあいつに何かあったら絶対に許さない」
雪が静かに他の音を打ち消してゆく。凛とした空気が、汚れきったこの街を覆い尽くして真っ白に染め上げてゆく。どんどん、同じ色に。おなじいろにかわってゆく。
その色は三善が全身にまとったあの清浄なる白い炎と紛うほどで、ああ、きれいだと思った。
この白い雪はきっと、あの少年の独り立ちを祝福し、そして同時に激励しているのだろう。そう感じるからこそ、今ならようやく言えるのだ。
もう自分は一緒にいなくても、大丈夫。お前ならきっとやっていける。
だからしばらくさよならだ、三善――と。
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