第二章 (2) 価値あるもの

***


「まったく、ちょっと出かけるとあなたたちは。仲良しも結構ですが、ほどほどにしてください」


 ぶつぶつ文句を言いながら車のハンドルを切る慶馬に、再び死にかけたトマスが助手席から方向指示を出す。


「次の信号を、右」


 理不尽な殺人にさすがのトマスは激怒した。帯刀が仲裁に入ったため大事には至らなかったものの、そう何回も半殺しにされるのはいくら不死身でも辛い。本来はトマス自身が運転するつもりだったのだが、その一件のおかげでハンドルを握る体力が残っていなかった。


 よって慶馬に車のキーを渡すことになった訳だが、トマスは「お前と話す気はない」と言いたげな表情を浮かべており、最低限道順を示す程度にしか口を開かなかった。


 その間、帯刀は後部座席で慶馬が購入しておいた今朝の朝刊に目を通している。


「なあ、トマス」


 突然帯刀が口を開いた。


「なんだ?」

「この聖職者を襲う殺人鬼って、“七つの大罪DeadlySins”と何か関係ある?」


 帯刀が読んでいた記事は、どうやら件の聖職者を襲う連続殺人にまつわるものらしい。トマスは暫し口を閉ざしたのち、穏やかな口調で確認する。


「どうしてそんなことを聞くんだい? あ、次まっすぐね」

「傷口」


 ぴたりと、帯刀が鋭い口調で言いきった。うるさいくらいに話していたはずのトマスが突然黙りこみ、横目で帯刀の次の言葉を待っているようだった。慶馬すら黙り込み、隣の男の出方をうかがっているらしい。


「大きな刃物で一太刀。これ、“憤怒Ira”ならできるだろ?」

「……それで?」

「こちらの耳に入っているのは、傷口がそこだけきれいに“溶けている”――身体を構成する物質の結合力が瞬時に弱まり、そこだけ溶けたような現象が起こっている、と。あの現象を今現在のテクノロジーで起こせるのは、“七つの大罪”、その中でも“憤怒Ira”の“太刀Sword”しかないはずだ」


 そこまで言ったのち、ああ、と帯刀は自分の発言にひとつ訂正を入れた。


「テクノロジーって言い方は変だな。“科学技術”の話じゃない、これはあくまで“能力”の話だ。可能か否か、答えはそれだけだ」


 帯刀がゆっくりと新聞を畳み、次の紙面に目を通そうとしていた。その間、トマスはじっとバックミラー越しに帯刀を睨みつけていた。まるで、彼の思考を探るかのようにじっと執拗に。しばらくそうしていたが、帯刀にそれ以上どうこうしようという意思が感じられなかったためか、突然ふっと彼の表情から険しさが消えた。


「答えが“Ja”と“None”しかないなら、“Ja”、だな。まさか傷口から斬り込んでくるとは思っていなかった。確かに、あの液状化現象を起こせるのはあいつの“太刀”くらいなものだ」


 トマスは「ははっ」と愉しげに笑っていたが、その瞳は全く笑っていなかった。それがなんとも言えず奇妙で、横で運転する慶馬は時折それをちらりと見ては、忌々しげにため息をついていた。種を播いた張本人である帯刀自身は完璧に割り切っているようで、あまり深入りするようなことはそれ以降一切言わなかった。


 ただ、


「それは合意あってか? それとも、ただの嗜好?」

とだけは尋ねていたが。


「知るかよ。あいつが考えることはよく分からん。こっちが聞きたいくらいだ。ああ、でも嗜好ってのは言い得て妙だな。おそらくあいつにとって人を殺すことは、俺たちが煙草を吸ったりコーヒーを飲んだりするみたいに、単純に刺激を得るためだけの行動なんだろうなぁ」


 “あいつ”は、旧体制の中でも特に訳のわからない類の生き物だからなあ。トマスは小さく呟くと、短い白金の髪をがしがしと乱したのだった。


 その時、帯刀の携帯が着信を訴えて震えた。ちらりと目を落とすと、それはどうやら公衆電話からかかってきているものらしい。


 帯刀は少しためらったが、思い切って出てみることにした。


「ん、どちらさん?」

『あ、ゆき君? 三善です』

「ああ、みよちゃんか」


 久しぶりにその声を耳にし、なぜかほっと胸をなで下ろす帯刀である。ここしばらく連絡を取っていなかったが、元気そうで安心した。件の「ジェームズに喧嘩を売った事件」以降、彼の身の回りはめまぐるしく変化している。できる限り助けてやりたかったが、そうもいかなかったのは事実である。


 三善が少しためらっているようなそぶりでいたので、帯刀は一言、


「いきなり公衆電話から着信があると驚く。それだけだから安心して」


となるべく優しい声色で言った。


『ごめん、知っての通り僕は携帯を持っていないから。今電話してもいい?』


 今この場にはトマスもいるので、あまり突っ込んだことは話したくない帯刀である。まして、三善が今使用しているのは本部の公衆電話だ。雑談なら別に構わないが、完全に安全な回線だとは言い切れない。同じ非セキュアな回線なら、やはり別の携帯からかけてもらうのがよいだろう。


「ええと、結構難しい話になりそう?」


 まずは状況確認を、と帯刀が尋ねると、三善は肯定の意を示した。なるほど、それならば。


 帯刀は少し考えて、思い切ってこのように提案してみた。


「みよちゃんが言いたいことっていうのは、たぶん本部の公衆電話から話されるとまずい内容のような気がする。だから、みよちゃん。明日俺から専用に携帯電話を送る。それを使って俺に電話をかけてくれ」

『え、どういうこと?』


 分かってるくせに、と帯刀は思う。


「俺と話す専用に携帯電話を買ってやるって言っている。大丈夫、ただの譲渡ってことにしておくから。ブラザーに話しておけば問題ないだろ」

『えええ……ゆき君の家って何なの。ブルジョア?』

「何をいまさら」


 天下の情報屋が金欠であるはずがなかろう。帯刀はさっぱりとした口調で言う。


「俺はお金で買える程度の信頼ならいくらでも買うべきと思っているだけだ。ああ、それとも、体裁が気になる? だったら、少し早いけど誕生日プレゼントだ。受け取ってくれ」


 とりあえず本部宛に送る、と言うと、帯刀は終話する。続いて、電話帳からとある人物の電話番号を探し、通話開始ボタンを押下する。


「あ、秋子姉。ちょっといいか? ……うん、携帯を一台、エクレシア本部に送ってやってくれ。できるだけ機能が少ないやつ。宛名は、姫良三善で。プリンセスの姫に、グッドの良、三つの善で姫良三善。うん、よろしく」


 通話は二分とかからなかった。さっさと終話すると、帯刀は何事もなかったかのように携帯電話をポケットにしまい込んだ。


「ええと、何の話をしていたんだっけ」

「今のお前、ブルジョアって言われてもおかしくないことをしていたぞ。なんで携帯なんか買い与えちゃうの。法人用を持たせればいいじゃねぇか」


 トマスが恐ろしいものを見たとでも言いたげな口調で言うものだから、帯刀は首を傾げつつ淡々とした口調で答えた。


「ん、俺は価値があると思うものにしか金は出さないぞ」

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