第一章 (10) ブルジョア

 そのまま自室に戻ると、簡素な机の上に先ほどの写真を置き、聖職衣を脱いだ。ついでに消臭剤を吹きかけておくと、普段寝巻にしている薄手のシャツに袖を通す。


「さて、と」


 椅子に腰かけ、さきほどの写真へと目を落とした。

 ここしばらくケファがなにかを調べていることは薄々気が付いていたが、まさかこんなことをしているとは思わなかった。


「この人、多分……おかあさん、だよね」


 はっきりと決まった訳ではないのに、なぜか断言できる自分がいた。あまりに自分と似ているから、というよりは、写真からも分かるこの不思議な印象からだろうか。コピーのため判別しにくいところはあるが、その写真は結構古いものだと想像できる。


「なんでケファがこんなものを持っていたんだろう」


 ケファが考えそうなことは、と三善は暫し逡巡し、ひとつの結論を出した。

 おそらくケファは、三善が大司教にならずとも延命できる方法を探っているのだ。確かに最大であと五年ほどしか持たないという楔、最近かなりガタがきていることは確かだ。五年と言わず、一年持てばいいくらいかもしれない。それまでに大司教になれるかと問われれば、確かに無謀な挑戦であることには違いない。


 しかし、それを受け入れるだけでよいのだろうか。三善は思う。


 もう自分は、救いを待つしかできない囚われの子供とは違うのだ。今は昔に比べたら多少は自由に動けるし、考える頭もできた。


 ならば、と三善は机の引き出しから小銭を何枚か取り出し、自室から出ていった。向かう先は、北極星備え付けの公衆電話である。


 とある番号をプッシュすると、数回のコールののち、気の抜けた声が聞こえてきた。


『ん、どちらさん?』

「あ、ゆき君? 三善です」


 ああ、みよちゃんか、と電話の向こうで帯刀が安心したような声を出した。真意が分からず口ごもっていると、いきなり公衆電話から着信があると驚く、という旨を帯刀が説明した。


 とはいえ、携帯電話を持っていない三善の連絡手段はせいぜいこれくらいなのだ。


「ごめん、知っての通り僕は携帯を持ってないから。今電話してもいい?」

『ええと、結構難しい話になりそう?』

「うーん、そうだね。ちょっと難しい話になるかな」

『なるほど』


 帯刀は少し考えて、それから言った。『ええと、みよちゃん。つまりそれは緊急ではないんだな?』


「うん、緊急ではない。でも早い方が嬉しい」

『なるほど。じゃあこうしよう』

 帯刀ははっきりとした口調で続けた。『みよちゃんが言いたいことっていうのは、たぶん本部の公衆電話から話されるとまずい内容のような気がする。だから、みよちゃん。明日俺から専用に携帯電話を送る。それを使って俺に電話をかけてくれ』


 この男、なにかとんでもないことを言っている気がする。三善はつい動揺し、妙に慌てた口調で問いただす。


「え、どういうこと?」

『俺と話す専用に携帯電話を買ってやるって言っている。大丈夫、ただの譲渡ってことにしておくから。ブラザーに話しておけば問題ないだろ』

「えええ……ゆき君の家って何なの。ブルジョア?」

『何をいまさら。俺はお金で買える程度の信頼ならいくらでも買うべきと思っているだけだ。ああ、それとも、体裁が気になる? だったら、少し早いけど誕生日プレゼントだ。受け取ってくれ』


 とりあえず本部宛てに送ると言い、帯刀はほぼ一方的に終話した。つー、という間の抜けた電子音だけが三善の耳に残る。


 なんだかまずいことをした気がするのは気のせいだろうか。三善はつい長ったらしい溜息をついてしまった。


 ――その翌日、帯刀の言った通り、三善宛に小さな小包が届いた。


 それを受け取る際、ホセが「あなた、ブラザー・ユキになにを言ったんですか……携帯くらい買ってあげますって」と微妙な顔をしたのを思い出す。


 自室に戻ると、さっそくそれを開封する。小型の携帯電話で、最低限の機能しかついていないものだ。充電状態も問題なさそうだったので、早速三善は帯刀に電話をかけてみた。


『はいはい。お、届いたんだ。意外と早かったな』

「うん。ありがとう、ゆき君」

『いいって。今後もみよちゃんとは込み入った話をすることになるだろうから。安い投資だ』


 それで? と帯刀は三善に何が知りたいのかを尋ねた。


「ええと、こんなことを聞いていいのか分からないんだけど。ゆき君は『白髪の聖女』って知ってる?」


 電話の向こうで帯刀の動きが止まったのを、三善は微かな物音から感じ取った。こういう反応をしているときの帯刀は、大抵ものすごい速さで考え事をしているのである。帯刀は三秒ほど口を噤んだのち、やや慎重に尋ねた。


『……みよちゃん、それ、ソースはどこから?』

「どこから、というのはちょっと言えないんだけど。可能ならその人に会いたいと思っている。できるかな」

『ええと、そうだな……。結論から言うと、俺は彼女の居場所を知っている。会おうと思えば会えることも知っている。でも、今のみよちゃんは耐えられないかもしれない。だからおすすめはできない』


 三善は思わず首を傾げた。


「どういうこと?」

『みよちゃん、今あんまり体調がよくないだろ。今の状態で、“釈義”は継続してどれくらい使える?』

「なんでそんなことを……。ええと、一時間くらいかな」

『そうか、結構長くいけるんだな。分かった、場所は教える。でも、ひとつだけ約束して』


 帯刀はいつになく厳しい口調で言った。『無理をしたら、きっとみよちゃんの寿命を縮めることになる。だめだと思ったらすぐに引き返して。これが約束できないのなら、俺は居場所を教えることはできない』


「分かった。約束する」

『うん、絶対だからな。それで、居場所なんだが――』


 帯刀が口にしたその場所に、三善は思わず目を丸くした。


「……それ、本当?」

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