第一章 (7) 推測

 ケファは北極星ポラリス内の自室で横になっていた――かと思いきや、枕元にたくさんの紙束を積み上げ、それらを膝の上でぺらぺらとめくっていた。そして、文字の羅列に目を通しつつ、片手間でどこかに電話をかけている。彼の口から発せられているのは流暢なフランス語だ。


「……ああ。追加で聖水を送ってほしい。構わないか?」


 電話の向こうから聞こえる馴染み深い声に相槌を打ちながら、ケファは書類に青いボールペンでメモを書いている。


「うん。俺が必要なだけ。大丈夫だって、たいしたことないよ、親父」


 電話の相手はどうやら彼の養父、ブラザー・ジョーらしかった。


 定期的に連絡は取っているものの、ここしばらくはろくに帰っていないので長話になっているようだ。ケファはただ業務連絡をするつもりだったのが、いつのまにか世間話にまで発展している。


 ケファは話しながら、微かに頬を緩ませた。


「そっちのガキどもはどう? 元気でやっているか? ……うんうん。そうか、アダンは神父になるのか。よかったな、後継ぎができたじゃないか」


 ゆっくりと目を閉じ、耳元から聞こえてくる声にじっと集中する。心なしか安心するのは、やはり身内だからということだろうか。


「ん、俺? 俺は後継ぎなんかならねぇよ。あんたには長生きしてもらわなきゃ困る。うん、……ありがと。じゃあ、切るよ。うん」


 そこでようやく電話を切った。


 ケファは恐ろしく長い溜息をつき、携帯電話を書類の山のほど近くに置く。伸びた前髪を掻き上げると、再び手元の資料に目を落とした。


 ブラザー・ジョーにはまだ“釈義”のリバウンドを起こしたことは言っていない。おそらく聖水を送るように頼んだことでおおよその見当はついてしまったのだろうが、なるべく心配をかけたくなかった。


 そちらについてはまだどうにかなるだろうが、こちらの問題は生憎いい方向には向かいそうになかった。


 これが本部に知られたら、確実に三善の教師の任を降ろされる。


 別に自分がこのまま『喪失者ルーウィン』になっても構わなかった。のんびりどこかの教会で説教する生活もいいなあ、とは思う。しかし、三善をあのまま放っておく訳にはいかない。せめて確実に三善がひとりで生きられるようになるまでは傍にいてやりたかった。


 この数か月調べ続けて分かったことがいくつかある。


 まず、『契約の箱』についてだ。


 あの釈義を発動させると、ふたつの事象が発生する。ひとつが、あらゆる物質が『塩化』すること。そしてもうひとつが、任意のタイミングまで『時間が逆行する』こと。これらの事象を合わせて、“七つの大罪”は『終末の日』と呼んでいるらしい。


 特に後者の方に対し、ケファは興味を持った。時間遡行する能力を持つ“釈義”能力者が唯一存在していることを彼はよく知っているからだ。


 前大司教、その人である。


 やはり『契約の箱』と前大司教の間で何らかの関係があると考えるのが自然だった。それにしても、この『時間遡行』という点が何か引っかかる。なにかを忘れているような、そんな気にさせられるのだ。


 こんなに自分は忘れっぽかっただろうか。ケファは暫し逡巡し、一旦この件は置いておくことにした。


 ケファは書類を一枚めくった。


 また、この『契約の箱』には絶対に近づけてはいけない釈義が存在し、その二つを近づけることで『契約の箱』の釈義が発動する。その“釈義”が何かまでは分からなかったが、その文面から察するにどうやら『十二使徒』に匹敵する特殊釈義のようだ。


 そして、唯一厄災を防ぐには、然るべき持ち主に『契約の箱』を渡し管理させることしかない、ということも分かった。


「……ふむ」


 ケファは小さく唸り、その脳裏でパズルのピースがひとつひとつはまってゆく感触を味わっていた。そしてこうも思う。


 まだ、足りていない。肝心のところがすっぽりと抜け落ちている。


 そもそも『契約の箱』の持ち主は『白髪の聖女』と呼ばれる女性だったらしい。名を、姫良真夜といった。それがかつて本件について片足を突っ込んだ際に出てきた『内紛』の原因になった女性でもある。そして、この名から分かる通り、彼女は姫良三善の母親にあたる。それでようやく、三善の身体に起こっている異変の原因は分かった。つまり、大聖教のトップと“七つの大罪”のトップによる驚異のサラブレッドが三善ということだ。ついでに昔の写真が出てきたのでついついコピーして持ってきてしまったが、それを見てやはりかと実感する。三善は驚くほどに母親似なのである。


 それはともかく、元の持ち主が姫良真夜なら、その実子である三善が扱うことは比較的容易のように思う。三善の性格上そういったものを悪用するようにも思えないし、彼と『契約の箱』を結び付ければ彼の延命にも繋がるのではないか。


 しかし、その方法が全く思いつかない。


 あと一歩。あと一歩のところが掴めない。何か重要なことを見落としている気がする。それとも、忘れているだけか。もう一度、ちゃんと筋道立てて考えれば――


「人の心配なんかしている暇、あるの?」


 その時突然戸が開いた。驚いて顔を上げると、その声の主はノアだった。

 金色の長い髪がさらりと揺れ、緑の瞳がケファをじっとりと睨めつける。ほんの少し、怒っているらしかった。


 ケファも少々不機嫌そうな表情を浮かべ、


「勝手に入るなよ」


と文句を言う。正直なところさほど怒ってはいないのだが、それくらい言わないと彼女には効かないのだ。


 ノアはそれすら無視し、ケファのすぐ隣までやってくる。


「なに」

「あんた、本当は風邪なんひいてないでしょう。その様子だとアレかしら……リバウンド、とか」


 心臓が跳ねた。冷静を装うとしたが、動揺して頭の中がぐちゃぐちゃになっている。取りあえず目を逸らしたが、それが明らかに逆効果だった。

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