第一章 (12) 戦友
その男のことは誰よりも知っているつもりだった。今も脳裏にはっきりと焼き付いている。白金の髪に、青い瞳。黒く裾の長いコートに、その手には煙の立たないシガレット。
ホセの脳裏に生々しい記憶が蘇る。
肉に突き立てた刃物を抜きとる際の、あの独特の感触。ぬめる掌のせいで、うまく力が入らなかった。ようやく刃物を抜き取ると、噴き出す血液により全身が真っ赤に染め上げられた。白く湯気が立ち上り、傷口が徐々に視界からかき消されてゆく。冷えた手が求めていた暖かさを微かに感じていたが、このときばかりは吐き気がしそうなほど気持ち悪かった。上に跨り首を絞め、苦しいはずなのにあの男は嗤って。
そして言ったのだ。今も彼を捉えて離さない、呪いの言葉を。
『また会おう、戦友』
「トマス……」
絞り出すような声色で、ホセはその名を呼んだ。
マリアはホセの横で、彼が敵なのかどうかを見極めているようだ。鋼鉄の翼から赤と黒の配線がむき出しになっているのが見える。それを目にすることで、ようやく彼女がアンドロイドであると分かるくらいには、今の彼女の仕草は人間らしい。
ホセは自分からワイヤーを切断し、地上に降り立つ。そして、突如現れた眼前の男を睨めつけた。
動揺などという生ぬるい言葉ではとてもじゃないがこの気持ちを表現出来やしない。ひどくどろどろとした、憎しみにも似た感情が沸き上がる。自分の醜さに心底辟易するが、今のホセはその感情をばっさりと捨て去ることにした。
白金の髪の男はシガレットのフィルターを口から離し、ふ、と息を吐き出した。
聖職衣を連想させるコートの裾が、風に舞いふんわりと円形に広がってゆく。瞳の青い光彩が一瞬だが銀色に輝いた。それでホセは確信を得た。この独特な瞳の色を忘れるはずがない。
「どうしてあなたがここにいるのですか」
男はふ、と気が抜けたように笑い、一層凄みの増すホセのアイボリーの瞳をじっと見つめた。
この瞳に見つめられると不思議な気分になる。まるで、心の奥底まで見透かされているような――
「久しぶり。二年ぶりかな、戦友」
そう言うや否や、トマスと呼ばれた男はホセの額に黒い短銃を突き付けた。こんなにも至近距離で銃口を突きつけられているというのに、ホセは決してうろたえることなく、むしろ毅然としていた。
地上に降り立ったマリアはそれをやめさせようと、ホセに祝詞を求める。
しかしホセに彼女の声は届いていない。ようやくのろのろとした口調で発せられたのは、彼女が求める祝詞なんかではなかった。
「何度わたしは、あなたを殺せばいいのでしょう」
トマスは優しく笑い、ゆっくりと引き金を引く。
「既に二回も殺されているからな。さすがに次は勘弁してもらいたいものだ」
同時に、乾いた音が鼓膜を激しく揺さぶった。
――銃口から発せられた青の弾丸は軌道を大きく逸れ、ホセの右頬を掠めていった。あと数センチでも動いていたら確実に命中していただろう。否、そもそもトマスはこの弾丸を命中させる気などなかったのではないか。彼にとって、これはただの「ご挨拶」に過ぎない。
表情一つ変えず、穏やかな口調でトマスは言う。
「これね、自分の意思で軌道を変えられるんだ。すごいだろ」
「……なるほど。銃口の向きだけでは想定できないところを弾が走るんですね。最近の“七つの大罪”は面白い技術をお持ちで」
「ま、俺の能力じゃないけどな。ちょっと二人で話そうぜ」
“
その瞬間、周りの音――例えば木々のざわめきや風の凪ぐ音、そのような音すらも一切シャット・アウトされ、あたりがしんと静まり返る。この空間には、己とこの男しかいない。マリアすらも遮断されてしまった。だからといって、引き下がる訳にもいかない。
ホセは腹を括り、彼の前に「対等に」立つ。
目的は何だ、とホセが鋭い言葉を投げかける。この男にいつもの丁寧語は不要だ。そう判断してのことである。
「ちょっと確認したいことがあって」
トマスは青銀の光彩をホセのアイボリーに重ね合わせた。じっと射抜くような視線で、腹の中を探り合う。どのような意図がこめられているのか、判断するにはまだ材料が足りなかった。ホセは怪訝そうな表情で真意を問う。
「こちらからお前に言うことは何もないが?」
「お前が一番初めに俺を殺したときに、『アレ』を渡しただろ。アレはどうした?」
「『アレ』……?」
「『契約の箱』だよ。処分してくれたか」
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