第一章 (11) 要するにセンスがないという話

 あれはもはやそういう類の才能なんじゃないか、とホセは思う。


 先刻ケファの『悪魔祓い』の練習に付き合ったのだが、確かにあれは再試にせざるを得ないと妙に納得してしまった。むしろ今までに試験を担当した司教らに対して、彼は全力で平謝りすべきである。


 ホセは己の仕事部屋にこもり、先ほどの彼の失態について考えていた。一応自分の仕事を捌くという名目はあるのだが、それすら手につかず、右手に万年筆を持ちながら始終うわの空でいる。


 大聖教における『悪魔祓い』というのは準秘蹟に相当する能力のひとつである。これはあくまで霊的権能に依拠する代物であるため、『釈義』の有無は関係ない。さらに付け加えるとするならば、司祭、特に司教見習いであれば権能としては申し分ないはずなのである。


 勿論、筋は悪くないのだ。それは彼が幼い頃から天才だと言われ続けている所以の通りで、何をやらせても基本的には平均以上ということには変わりない。『悪魔祓い』にしても、同年代の聖職者に比べればよく頑張っている方だ。だが、どうしても彼の特殊性が邪魔をする。どんなに頭が良かろうとも、どんなに徳が高かろうとも、修験の年数で言えば今在籍している司祭の誰にも劣ってしまう。修験年数がものを言うこともある、ということを、ホセはよく知っていた。


 右手の人差し指を規則正しく机に叩きつけながら、かつて自分が『悪魔祓い』を習得した際に使用した教則本を眺める。――十五分ほど眺めたが特にいい収穫は得られなかったので、諦めて本を閉じた。どのみちあの部下は自分でどうにかするのである。


 その時、ことん、と机の横で音がした。


 はっとしてホセが顔を上げると、マリアが大きなカップに何かを入れて運んできたところだった。ふんわりと甘い香りが周囲に立ち込める。ホット・ココアの香りだということはすぐに分かった。しかし、彼女にはこんなことを教えたはずないのだが。


「マリア? どうしたんです、これ」


 驚きのあまりホセはカップとマリアとを交互に見つめる。


「教えてもらったの。これが好きだって」


 誰に、とは言わなかったが、おそらく昼間に彼女を預けた科学研の職員だろう。彼とは古くからの知り合いで、同時にA-Pプロジェクトのことを熟知している人物でもある。そのため安心して預けることができたのだが、その間に彼はマリアにあれこれ仕込みを入れたらしい。


「ありがとう。いただきますね」


 アンドロイドにすら気を遣われるとは。ホセは反省し、広げていた教則本の類を机の端へ追いやった。


 マリアの頭を撫でてやると、嬉しそうに少しだけ目を細めた。


 一口それを流し込むと柔らかな甘さが口いっぱいに広がり、張りつめていた心が融けてゆくようだった。疲れたときには甘いものと言うが、なるほどこれは言い得て妙だ。


 マリアがじっとこちらを見ているので、ホセはにこりと笑いかけ、


「おいしいですよ」


と感想を述べてやる。マリアはそれで大分機嫌が直ったらしい。


 その時だった。


 ぴくんと、マリアの動きが停止した。ホセも「それ」に気がつき、そっとカップを机に置いた。なにか、エクレシア本部にあるはずがない妙な気配を感じたのだ。


「何だ……?」

司教ファーザー、外に何かいる」


 ホセは慎重に窓辺に近づいた。ガラス越しに見る限りは特に何も見当たらない。いつも通りの夕暮れである。元々この辺りはあまり人通りが多い方でもない。現に今は人っ子一人見当たらず、西日がゆっくりと街路樹の影を伸ばしてゆくだけだ。しかし、気配だけは未だはっきりと感じている。この近くだということだけは分かるのだが。


 ホセは窓を開け、身を乗り出して周囲を確認してみた。やはり何もない。


「司教! だめ!」


 マリアのその声が彼の耳に届くその前に、ホセの身体は上から落ちてきた『何か』に突き飛ばされた。バランスを崩したホセの身体はそのまま窓枠を越え、宙に放り出される。


 ホセは右腕を振り、仕込んでいたワイヤーを窓枠に飛ばした。ぐん、と全身が引っ張られ、落ちることは何とか免れたものの、腕にかかった急激な負荷により骨が微かに軋んでいる。


 息をつく間もなく、今度は地上から黒い何かが放たれたのが見えた。それが弾丸であるということをホセが認識するよりも早く、「彼女」の姿がホセの前に立ちふさがる。


「『HIC EST ENIM CALIX SANGUINIS MEI,ET AETERNI TESTAMENTI』」


 彼女の背中には、鋼鉄の翼。続けてホセは祝詞をあげる。


「『第二釈義2nd-exegesis展開・発動!』」


 紅いルビーの瞳がきらりと瞬いた。

 刹那、彼女の両手から大量の聖火が噴き出す。先日の一件に比べれば多少コントロールされているようだが、それでも一つの弾丸を燃やすのには十分すぎるほどの火力である。聖火が弾丸に触れた刹那、青いプラズマが走ったのをホセは見逃さない。


 まさか、とホセは思う。


 青いプラズマを放つ異能力といえば、“嫉妬Invidia”のアトリビュート“弾丸Bullet”くらいである。“嫉妬”のお出ましか、と身構えたのだが、


「――あっ……」


 地上にいたのは、ホセが全く予想もしていなかった人物だった。

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