第一章 (5) 十戒

「まず、教義に反するという根拠が何かというと、大聖教の教えの中にある『十戒』における第二戒『あなたはいかなる像も作ってはならない』という部分になる」

「偶像礼拝の禁止、ですね」


 ケファは頷く。


「本文中で言及されているのは二点に大別される。ひとつは、『いかなる被造物の形も造ってはならないこと』、もうひとつは『それを拝みそれに仕えること』。すなわち、偶像礼拝を禁じ、さらにその前段階である像の作成という行為自体が禁止されている。さらに言えば、被造世界の物に似せて像を造ることが禁じられていたのだから、当然、そこには人間自身をも含まれていると考えられる。よって、偶像礼拝に利用されなくとも、人間の像を造ることそれ自体が禁じられていると考えていい」


「ええ、合っています。話を創世記二章七節まで掘り下げましょう。ここには人間が二つの側面によって生きる者とされた記述があります。土の塵で形作られ、その後に命の息が鼻に吹き入れられた、というやつですね。単に呼吸し始めたというのではなく、第一原因とでも言うべき神との特別な関係によることがここに示唆されています。つまりは、聖書の人間理解は、ヘレニズム文化における“精神”“魂”“肉体”の三分法ではなく、全人的総体としてのものだということを考慮しなくてはなりません」


「このアンドロイド製作という議題においての最大の問題点は、ロボット開発が神の創造行為を侵食する冒涜行為と見做されるか否か。違うか」


 ケファの問いに、ホセは短く肯定した。「これは生命倫理・社会倫理の根本的課題でもある『人間はどの段階で人間と認められるのか』という問題とかなり似ている。話をより複雑にさせる要因はそれだけではなく、人権についてとも密接な関わり合いがある。近年、科学分野が進歩したおかげで今回のA-Pのようなアンドロイドが徐々に浸透しつつあるが、俺たちがそれを積極的に肯定していいものではない。それだけデリケートな領域にわざわざ首を突っ込もうとする時点で、争いの火種にしかならないだろう」


 しかしながら、とホセは切り返す。そう返されることはすでにケファは分かっていたらしく、じっと彼のアイボリーの瞳を睨めつけた。


「完全に『教義に反する』と言い切ることはできない。だからあなたは先ほど、『可能性がある』というあやふやな言葉を使ったのですね。……ああ、なんだかあなたに誘導されている気がしますね。まぁ、ヒメ君の前だから乗ってあげますけど」


 分かってんじゃん、とでも言わんばかりのケファの眼光にホセは苦笑する。ひとり置いてきぼりになった三善は何とか理解しようと首を傾げ、――ええと、と言葉を返す。


「今までの流れからすると、そんなことは本文中に明示的に書かれていない、ということで合ってる?」

「正解」

 ちょっとは分かるようになってきたじゃねぇか、とケファは微かに笑う。「科学に代表される『人間の合理性』をどこまで俺たちの教義と一致させていいのか、本当に俺たちはロボットを造ってはいけないのか、教えにはどこにも書いていない。すべては類推解釈でしかない」

「だからこそ、あれこれ都合よく解釈されたりするんですけどね」


 三善はしばらく考え、目の前に座る美少女へ目を移した。間違いなく今までの会話を聞いていたのだろうから、彼女にとって酷な話を聞かせたのではないかと思ったからだ。しかし彼女は真顔のまま数回瞬きをしただけで、それ以外にはなにもしなかった。


「まぁ、その子がそこにいるってことは、なかなか都合のいい解釈がされたんだろ」

「そういうことです。エクレシアの見解としては、今のところA-Pを量産するのは『否』です。ただし、今後はどう変わるか分かりません。自分で言うのもどうかと思いますが、奇跡の御業と言われてもおかしくないほどの貴重な釈義を喪失させたのも、禁忌に抵触する可能性がある技術に頼らざるを得ない状況を作り出したのも、紛れもない司教連中ですからね。一応それなりの責任をとって、まずは一体だけ製造すること、そしてそれを動かすのは私という条件つきで許可が降りたのです」


 つまりは、まだ彼女は彼らに完全に受け入れられた訳ではないということだ。


 そこまで話したところで、注文していたコーヒーとパフェが届いた。


 赤、黄色、紫のカラフルなフルーツソースがかかったソフトクリームに、細長く巻かれたクッキーが添えられている。いかにもそれらしいオーソドックスなパフェだったが、三善はそれを珍しそうに眺めている。これは本当に食べ物なのだろうか、とでも言いたげに、そわそわと肩を揺らす。


 マリアの前にも同じものが置かれたが、彼女はルビーにも似たその瞳をじっとパフェに向け、小さく首を傾ける。そして小さな声でホセを呼んだ。


司教ファーザー、これは、食べもの?」


 確かに、今までに見せたことがない類の食べ物である。明らかに戸惑っているマリアに苦笑しつつ、ホセは肯定の意味で頷いた。


「さすがにクッキーの部分はヒメ君にあげてくださいね」

「食べられるの?」

「彼女は特別製です。水に還元できるものは大丈夫です……メンテナンスは必要ですけれど」


 こんな気の抜けたやり取りを目の前にしても、ケファは落ち着いてなどいられる訳がなく。コーヒーにポーションを流し入れ、スプーンでかき混ぜながら思案する。


 実に可愛らしい外見の少女。その身に秘めるのは、おそらくホセの代わりを務められるだけの莫大な釈義だ。どれだけの力が眠っているのか分からないが、どう考えても脅威としかみなされないだろう。現役だった頃のホセ程度か、あるいはそれ以上か。少なくとも今までのような生活はできないことは明白だった。この男の風当たりはますます強くなる一方だ。

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