第五章 (5) わたしの罪の償いのため

「姫良三善の件については、薄々気が付いているかもしれませんが、境遇が少々特殊でして」


 ホセは小さく息を吸い、そして吐いた。それくらい気合を入れなければ、この話は到底できそうになかった。


「彼は大司教の御子息で、同時に大司教の肩替りをしています」


 土岐野はきょとんとして、その妙に遠まわしな言い方がどういうことかを考えた。肩替りという言い回しから想像するのは、どちらかというと業務的なところを代行しているような印象なのだが、おそらくそれは違うのだろう。


 しかし、それでは説明がつかない。じっと土岐野は考え、それから先日の三善の様子を思い浮かべた。


「とても平たく言うと、ひとつの身体にふたりの人間が同居しているような状態、という感じでしょうか。先日あなたも目撃したでしょう。いつもと違う話し方をしている彼を」


 土岐野はこくりと頷いた。

 ホセは続ける。


 大司教が行使できる力のひとつに、『釈義で対象の者の行動を制限し大司教の意のままに操る』というものが存在する。その能力のことをエクレシアでは『楔を打つ』と呼んでおり、通常は戒律に背いた者に対する処罰として使用している。これを大司教は姫良三善に意図的に施し、必要なときだけ三善の身体を介して公務を行っていた。


 大司教逝去以降新たに大司教を選任せずとも公務が滞らなかったのは、このためである。しかし、三善に楔を打ったのはただ大司教が自由に動き回る身体が欲しかったからではない。


「最大の理由は、あの子が――姫良三善が“七つの大罪”の能力を持って生まれたためです。“七つの大罪”の能力は保持するだけでも“釈義”を使用する以上に体力を削ります。あの子の身体はもう限界です。二年持てばいい方だと思います」

「そんなっ……」


 土岐野はとてもじゃないが信じられなかった。彼はあれだけ元気そうにしていたのだ。彼女がホセに問いただす前に、ホセは口を開いた。


「だから楔を打ち、大司教の釈義で“七つの大罪”の影響を抑えています。真の目的はそれです」


 人の理を無視したことをしてでも、姫良三善には生きていてもらわないといけない。それはホセにとって、大司教にとって重要な命題だった。

 教皇は確かに死んだ。しかしその次が決まっていない。今大司教の最有力候補と呼ばれる男は確かに存在するが、彼の思考は些か保守的過ぎた。彼がもしも大司教の地位に就いたとしたならば、おそらくもう一度『聖戦』が行われることになる。厳密に教義を守ろうとするあまり、他の存在を全て否定するのである。


 ホセはふ、と息を吐き、瞳を閉じた。


「あの子はその抑止です。今のところ、彼が前教皇の結縁者であることはごく一部の人間にしか知りません。しかし、いつかはその秘密も暴かれてしまうでしょうね。そのときに、あなたがもしも“火炎の守護聖女”としてエクレシアに所属していたならば、確実に選択を迫られるはずです」


 なぜ釈義に関して素人の彼女に対して『守護聖女』の名を与えることを検討したのか。


 単に席に空きがあったからではない。プロフェットはあくまで教皇の自由に使える手駒で、自由な選択肢など与えられない。もちろん『聖戦』へ赴くよう命じられればその通りにしなければならない。そして、もしも現在の『大司教の最有力候補』なる人物が選任された場合、三善の秘密を知る者を徹底的に排除することになるだろう。


 ホセはゆっくり目を細めた。なにかに思いを馳せるような、祈りにも似た張りつめた表情である。


「私もね、今はこんなに偉そうな司教服なんか着ていますけれど、エクレシアに入団したときから、この身体も釈義も、すべて実験として捧げています。それは今も変わりありません。今後も変わることはないでしょう」


 土岐野はじっとホセを見つめた。穏やかな表情ではあるが、その奥で何かがあふれださないように必死につなぎとめているように見える。


「……ホセ神父」

 絞り出すように、土岐野が口を開く。「そこまでして、どうしてそこにいるのですか」

「それは……、」


 ホセは一瞬口ごもり、それから意を決したように顔を上げる。


「わたしの罪の償いのため、です。わたしの、三善君に対する」


 だから壊れてもこの場所に居続けるのです、とホセはそのように締めた。

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