第二章 (4) 聖火
***
「それで、例のパソコンがこれですか」
ふむ、とホセは思わず腕組みをし、とりあえず外観を観察し始めた。
学生寮の個室は、一年生が二人部屋・二年と三年が一人部屋となっている。今回三善とケファが借りたのは一年生の空き部屋で、やや簡素なベッドが部屋の両隅に一つずつ、中央に仕切りとなるようにして机が設置されている。ホセから貰ったプロフェット用の聖職衣に着替え直している二人をよそに、ホセはそのパソコンを静かに立ちあげている。
銀色のボディのノートパソコンは、最近国内でも人気の軽量型だ。象が踏んでも壊れない、を謳い文句にしているが、日常生活において象に出会うことなんかほとんどないのではないか……と実にくだらないことをホセは密かに考えている。
そっとキーボードに触れ、何やら打ちこみ始めたホセ。滑らかなタイピングの音が響いている。
「ところで、ケファ。さっきの続きは?」
着替え終え、黄色の肩帯も銀十字も元通りになった三善がケファに尋ねた。「もうひとつの理由って?」
「あぁ、そうだった」
ケファも着替え終えたらしい。金髪を手櫛で後ろに流しながら、のんびりと答える。
「今のエクレシア科学研の力では、釈義を三つ以上持つ人間でないと発見できないんだ。俺も一度見せてもらったことがあるけど、釈義を持つ人間は消費する熱量が通常の人間の倍以上になる。だから、サーモグラフィーを応用した機材を用いれば候補くらいは発見できるって訳。ただし、一つ乃至二つの釈義では、普通の人間のそれと大して変わらない。だから発見そのものが遅れる」
その映像が見られるのではないかと思ったのだが、そこまで甘くはなかったのだった。
正直な話、三善は「その、さーもなんとかって何?」とは思っていたが、その辺については敢えて何も聞かないでおくことにした。話の流れからすると、温度を感知する機械のようだ。それくらいの知識で構わないだろう。
「二人とも。準備できましたよ」
そのとき、ホセのお呼び出しがかかった。彼が立ちあげてから解除するまでの時間、約五分。
「意外と早かったな」
「システムが単純で助かりました。それほど長い時間は維持できませんが、一時的にログ収集を止めています。さて、映像でも見ておきましょうか……ヒメ君、おいで」
三善もひょこひょことパソコンまで近付き、画面を覗きこんだ。画面では、読み込み中の青いアイコンがくるくると輪を描いている。
「ヒメ、今回の放火事件の話に繋げるぞ。俺たちは、今回の放火事件の犯人が、その『一つ乃至二つの釈義を持つ者』だと考えている。そしてこれが一連のボヤ騒ぎの正体――“聖火”ってやつ」
動画が再生され始めた。
講義棟の一角、水道が映し出されている。時刻は夜らしく、校舎の中はしんとした闇に包まれていた。微かに聞こえる、水の音。蛇口が緩んでいるのだ。ぴちゃん、と等間隔に聞こえる軽やかな音が、夜闇に混ざり一層不気味さが増す。
その時、三つ並んでいる蛇口の中央から、黄色の炎が噴き出した。
炎の勢いは増すばかりで、とうとう天井に備え付けられているスプリンクラーが作動した。だが、炎は一向に消えない。むしろその勢いが増しているではないか。けたたましく鳴り響く火災警報器の音。赤く燃える炎が、白い天井を黒く焦がしてゆく。
「“聖火”というのは、その名の通り浄化作用を持つ特殊な炎のことだ。特徴は二つ。色がこんな風に黄みがかっていること、それから、普通の水道水や雨水なんかでは絶対に消えないこと。この火を唯一消せるのは、“聖水”という同じ属性を持つ水だけだ」
しばらく燃え続けると、炎は徐々に収束してゆく。あんなに激しい燃え方をしていたというのに、今は弱い火の粉が舞うだけだ。
三善はその映像をしばらく、じっと見つめていた。
「……もう一度、いい?」
そして、ホセの袖口を引っ張った。「気になることができた」
「ええ。どのあたりから?」
「火が上がる三〇秒前くらい」
分かりました、とホセがカーソルを動かし、映像を巻き戻した。画像は、再び夜の静けさに包囲された水道へと戻る。三善は食い入るように見つめ、時折首を傾げたりしている。
火が上がった。
「ホセ、もう一回」
画像を止め、再び同じ個所へと戻す。水の音が数度聴こえ、そして火が上がる。
「もう一回」
どうした、とさすがのケファも顔を覗かせる。しかし三善は首を横に振るばかりで、口を割ろうとしない。
四度目の映像。しかし今度は火が上がる直前に、
「止めて」
三善が言うので、ホセは言われた通りに画像を一時停止する。
「ケファ、これ、なんだろう」
そして静止画像の一部に指を差したのだった。
三善が指差したのは、水道の右端に僅かに映る窓だった。黒く塗りつぶされているように見えるが、これが一体どうしたのだろう。
「ここで何かが動いた」
と三善が言うので、再び彼らは画像を巻き戻し、再生してみることにした。今度は三善の指摘した部分に着目して。
――数秒後、ゆらり、と何かがうごめいた。
しかしそれは本当に一瞬の出来事で、それ以降同じものを見ることはなかった。
「なんだこれ? 科学研でも発見してないだろ」
「ええ、聞いていませんが……」
おかしいですねぇ、とホセも首を傾げている。一応、科学研の中であらゆる調査を行い、異常はないと判断されたため持ち出すことを許された資料なのだ。ということは、これに誰も気がつかなかったということか。現に、三善が言い出すまではホセもケファもこの影を完全に見落としていた。
「もう少し、解析してみる必要があるのかもしれませんね。もしかしたら私たちの予想が外れていて、“
「じゃあ、両方から探ろう。ヒメ、」
ケファが三善の肩を叩いた。「お前、聞きこみしてこい」
「……はっ?」
僕が? とあからさまに動揺した素振りを見せる。赤い目が、完全に泳いでいた。お前以外に誰がいるんだ、とケファが小突くと、三善は「それもそうか」とあっさり納得してしまった。
「俺は今から四辻学長のところに行って、教師・生徒双方の情報を引き出してくる。ヒメはこれから学生寮を回って、被害に遭ったっていう奴から詳細を聞いてこい」
分かった、と三善が素直に頷いた。おそらく、ケファが行くよりは警戒されないだろう、と考えたのだろう。なにせ、三善は高等部の生徒と同年代だ。上手い具合に仲良くなってもらえればこっちのもの。
それに、普段大人にばかり囲まれている三善には、こういった機会がない限り同年代と話すことなんてない。何事も経験は大事なのである。
そういう意図があるとはつゆ知らず、三善はひとり個室を飛び出していった。
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