第二章 (3) 逍遥

 せいか? と首を傾げる三善を引き連れ、ケファは一旦寮に戻ることにした。寮の個室には生徒が自由に使用できるパソコンがあり、ホセが持ってきたという映像資料を観るにはあそこがいいだろうと判断したためだ。勿論それらパソコンは生徒用というだけあり、使用状況を定期的に収集し担当教官に報告するシステムとなっている。ホセがこの日持参した映像資料に関しても例外でなく、ディスクを起動した際にプロセスの状態等からどのような操作をしたのかが外部に漏れてしまう可能性が非常に高かった。


 それだけ何とかできれば、とケファが言うと、ホセが一緒にくっついてきた。おそらく、何とかしてやるつもりなのだろう。


 講義棟をのんびりと歩きながら、ケファは横をちまちま歩く三善に目線を落とした。


「ところで、ヒメ。俺たちプロフェットが使う『釈義』についてだが――、その原義は?」

「え? ええと、」


 突然の質問に、三善は目をぱちくりさせ、一瞬口ごもる。だが、答えはすぐに見つかった。その証拠に、三秒後にはケファを仰いでいた。


「……『聖書の解釈』。『読み込み』だけではなくて、本文の意図を読み出す、と言った方が正しいのかな。文章それ自体の字面を追うのではなく、『文章の深層に眠る意味』を考証する。うん、これだ、こういうこと」


「はい正解。とはいえ、これは先週の授業で話したもんな。覚えて当然」


 ニヤリとケファが笑った。こういう笑い方をするときは、決まって彼がなにかを企んでいるときだ。それを知っている三善は、内心「もしかして、小テスト?」と冷や汗をかいている。こういう類の予想は八割方当たる。一般に勉学に対する評価が辛いと言われるケファ・ストルメントを相手に、一体どう戦えと。


「転じて、俺たちの能力としての『釈義』は、『信仰の力』を原動力に、神が造りし物質の本質を『読み込みeisegesis』、『深層に眠る本質を得てsignificance』発動している。力を体内で循環させているんだ。ここまでは復習。じゃあヒメ、プロフェット一人あたりにつき与えられる『釈義』の数とその理由は?」


 三善が露骨に顔をしかめた。そして腕組みをしながら、うんうんと唸り始めた。あまりに考え事に集中し過ぎて、目の前の階段に気がつかなかったほどだ。案の定踏み外しそうになったので、ケファとホセが同時に三善の身体を引き揚げたのだが、その時にようやく「うわっ」と目を剥く始末。


「ばーか。前向いて歩け!」


 怒られるも、三善は上の空だ。


「み、三つ!」


 口から突いて出てきたのは、謝罪でも弁解でもなく、質問の解答だというからまた驚きだ。こればかりは「そうじゃねぇよ」とさすがのケファも脱力してしまう。


 今度は階段を降りた後で、質問の解答を求めてみる。


「数は、三つから最大五つまで。でも、理由はよく分かりません」

「正直で結構。次は階段から落ちる前に結論を出せよ」


 ホセはこの二人のやりとりを、後ろから愉しげに眺めていた。三善のマイペースさもさることながら、やはりこの男・ケファが教育に関してはかなりの実力があると再認識したからである。


 というのも、本来彼は神学のドクター・コースを十八歳で修了した、そこそこ名の知れた学者なのである。そのまま学者としての道を歩いてもなんら差支えなかったはずの彼が、何故エクレシアに入団したか。ホセは一度本人に尋ねてみたことがあるが、そのときは「論文を書き続ける人生に心底嫌気が差したから」と実に真剣な表情で言われてしまった。


 エクレシア入団後も、本部に栄転が決まるまではヴァチカン支部に併設された孤児院で教師を勤めていたということもあり、その知識量は同年代の聖職者の中でも群を抜いている。この若き天才が、さらに若いプロフェットを育てようというのだから面白い。


 そう、自分があれこれ手をかけるより、彼の方が適任だった。あの子はどうやら忘れているようだが、自分はあの子に――仕方なかったとはいえ――ひどいことをしてしまった。彼がそれを思い出したら、きっと今のように飛びついてきたり、笑って話しかけてきたりしなくなる。


 これが、己自身が背負った罪なのだ。少なくともホセ自身はそう思っていた。


 ようやく昇降口に辿り着き、彼らはのんびりと歩調を緩めながら寮に向かう。天気がいい日は、なるべく外で授業を行うこと。これがケファの信条らしく、本部に滞在している間も彼らはよく中庭で逍遥しながら論じていることの方が多い。今日も例外でなく、その流れを酌んでいるようだ。


「まず個数は正解。ヒメの釈義は『金属』『プラスチック』『ガラス』の化学系三種類だし、俺だって『塩』『血液』『炭』『熱』の物理系四種類。理由は簡単、『釈義発動のたびに身体が相当なダメージを受けるから』」


 身に覚えがあるだろう、とケファが言う。例えば、能力を使いすぎて翌日寝込んだり、突然コントロールが効かなくなったりする。もっとひどい状態になると、能力そのものが体に跳ねかえる――所謂『リバウンド』が起こる。プロフェットの中ではよくあることだ。


「そのダメージは属性にもよるが、一般的に、使える『釈義』の数が多いほど大きいとされている。まあ当然だろ、身体の中で訳の分からないエネルギーが常にフル稼働するんだ、体力だって使うし、熱量出さないと動けなくなる」


 ふんふん、と大人しく聞いていた三善が、「質問、いい?」と尋ねた。ケファは無言で首を動かすだけだ。目線のみで続きを促している。


「じゃあ、釈義が一つだったり二つだったり……三つに満たない人はどうなるの?」


 確かに、前述のような説明を受ければ、誰もが考えることである。この『釈義』という能力、使用するプロフェットの大半は先天性――つまり、生まれつき備わった能力なのだ。必ずしも三つ全てが備わった状態で生まれてくるはずなど、ない。一つ乃至二つのみの状態で生まれてくる子供も必ずいるはずなのである。


 それを聞いたケファは、いい質問だ、と笑った。


「エクレシア側の見解としては、プロフェットの釈義制限にこだわりはない。しかし、いざ“七つの大罪DeadlySins”との戦闘が始まったとして、使える手段が一つだけ。特に対価が雨とか風とか、自然現象に基づいたものだったりすると、まず釈義を得る段階で大博打になってしまう。対価がなければ、俺たちなんかただの胡散臭い教えを述べているだけのおっさんなんだよ」


 つまり、と息をつく。「使える釈義は多ければ多いほどいい。しかし釈義それ自体は有限だ。だからより長く上手に付き合っていくためには、エネルギーそれ自体を削減しないといけない。つまるところ、そんな話」


 本当はもうひとつ理由があるんだが――


 そこまで言いかけて、ケファはぴたりと口を閉ざした。そして、後ろを歩いていたホセに呼びかける。


「映像資料って、例のサーモグラフィーも入ってる?」

「さすがに入っていませんよ。あれは持ち出し不可です」

「あっそ。ヒメ、残念だったな。もしかしたら見られるかと思ったんだけど」


 何が? と三善が問いかける前に、学生寮まで辿り着いてしまった。ここからは、例の映像を見た方が手っ取り早い。講義は一旦中断し、三人揃って借りている個室へと入って行った。

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