第二章 (2) 炎の正体
高等部講義棟三階、美術室。
三善とケファはすっかり変わり果てた姿となったこの教室を仰ぎながら、地道に現状確認をしていた。
今朝、この教室から火が上がったと連絡を受けたのである。すぐにスプリンクラーが作動し、被害は天井がやや煤けた程度で済んだ。怪我人はなし。
消防車が撤退した後、三善は器用に水溜りを避けながら、窓辺に近づいた。窓のちょうど真下に水道があるからだ。水道の蛇口は三つあり、その全てが今も勢いよく水を噴射している。三善は手袋をはめた左手で、蛇口を締めた。
「今回も水辺、か……」
ケファが呟く。「ヒメ、蛇口は別に壊れている訳じゃないんだろう?」
「うん。ちゃんと締まったよ」
特段水漏れを引き起こしている訳でもなさそうなので、たまたま故障、ということではないだろう。三善も困った様子で首を傾げており、割れた石膏像の欠片を拾い集めるケファですらすっかり参ってしまった様子だ。
「今日って臨時休校だよね? どうしてこんなところから火が出たんだろ」
「知るか。ったく、昨日の今日でまだ上手く動けねぇのに、容赦ないなぁ」
まだ鈍く痛む腹を押さえながら、ケファはぼやいた。
三善は再び水溜りを避けながら、ぴょこぴょこと跳ねるようにしゃがみこむケファの横までやってきた。そして、天井の四隅を順に仰ぐ。黒焦げの天井。本当に、これ以上の被害が出なくてよかった。
「せめて、火の状態でも見られればなぁ」
ぽつりとケファが呟いたときだった。
「お困りのようですね。迷えるプロフェットのみなさん」
恐ろしく気の抜けた声が、二人の背後から聞こえてきた。
この声はとてもよく知っている。
ぱっと振り返った三善は嬉しそうに表情を明るくし、逆にケファは苦虫を噛み潰したような表情を浮かべた。彼に対する評価が実にはっきりと分かる反応である。
「ホセ!」
扉に寄り掛かるようにして立っていたのは、ホセであった。その手には立派な革のボストン・バッグ、そして少し大きめの書類ケース。
「お久しぶりです。元気そうでなにより」
挨拶もそこそこに三善は彼に駆け寄ると、がばりと勢いよく正面から飛びつく。さすがのホセもこれを受け止めるのには少々苦労したようで、思わず後ろによろけていた。ケファはそれを見て鼻で笑う。
「今、笑いましたね」
こういうところだけは目ざといホセ、いつもの嫌味混じりのコメントをケファに向かって投げかけた。だが、彼はそれをさらりと無視する。
「随分早かったな。てっきり、警備員室で足止めかと思っていたが……」
「警備員室? 正門の?」
「そう」
それなら、とホセは鞄から一枚の紙を取り出し、それをケファの顔面に突き付けた。反射的にそれを受け取ると、その紙に記された文字の羅列に目を落とす。
「『教皇庁特務機関発行、釈義調査令状』……?」
「日本語だとそういう無粋な訳になるんですよね」
教皇庁特務機関――大雑把に言うと、エクレシア本部お墨付きの調査令状。一般に警察機関が用いる捜査令状と性質が似ており、これが発行された以上問答無用で立ち入り調査ができるという便利な書状である。
尚、この書状は司祭以上の聖職者のみが利用できるものとなっている。先程ホセは警備員室でこれを見せつけてきたので、やたらスムーズに入校手続きが終わったという訳だ。
「教皇庁特務機関って、要するに
「くすねてきた、が正解ですけどね」
ホセはにこりと微笑み、三善にボストン・バッグを渡した。中には、新しい聖職衣と肩帯が二人分入っている。いずれも、プロフェット用のツートーン・カラーのものだ。
「しかし、釈義調査令状ときたか……やっぱお前も、そう思う?」
多分、と曖昧にホセが頷いた。
三善はこの二人のやりとりを、実に不思議そうな表情で見ていた。随所に盛り込まれた用語が理解できず、ひとりで置いてきぼりになったというのが正解か。きょろきょろと大人二人の顔を交互に見比べ、……彼らの言わんとすることを少しでも多く読み取ろうと務める。
そこでようやく彼らが三善の困った顔に気がついて、目線を落とした。
「ああ、悪い悪い。仲間はずれはよくないなー、うん」
ケファが三善のふわふわとした頭を撫でるも、彼の機嫌は逆なでされる一方だった。嫌そうにその手を振り払うと、真紅の瞳が赤銅の光彩を睨めつける。
「ヒメ君には、こっち」
ホセが書類ケースの中から、二束の資料を取り出した。一方を三善に、もう一方をケファに渡すと、「いいですか」と彼は念押しする口調で言う。
「今回、私とあなたたちの任務は似て非なるものです。あなた方は、どうかプロフェットらしく“
「ホセは違うの?」
三善が尋ねたので、彼は首を縦に動かした。
「私は、……ええと。今回は他の部署の代理で来ているので。残念ながら別行動です」
とにかく、と彼ははっきりと言い放った。
「その資料は、以前こちらで事件が起こった際、
「観る。つーか最初から出せよ、それを」
ケファのそんな暴言はあっさりと無視された。
何枚か資料をめくり、ふむ、と三善は考えた。さすがに科学研で作成したものだけあり、専門用語ばかりで非常に読みづらい。結論はどこだ、と速読しながら探していると、その横で大方読み切ったらしいケファが長い息をついていた。資料を返し、なるほどね、と呟く。
「“聖火”か。そりゃあただの水で消火できない訳だ」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます