第一章 (2) 釈義展開
「本州第三区・東十六夜市の、聖フランチェスコ学院で高等部神学を教えてほしい。学長さん直々の依頼だって、ホセが言ってたよ」
「うーん、あの学院で神学の教員が足りないはずはないんだがなぁ……」
なにせ、依頼主である聖フランチェスコ学院は大聖教直属の神学校だ。一応日本の風土に合わせて、高等部までは他の学校と変わらない教育を行っているが、なにせ根幹は神学校。通常授業に加えて「道徳」の意味合いを込め『神学』を必修科目としており、基本的にはどの生徒も基本的な知識をつけてもらうカリキュラムとなっていることとなっている。そして、この学校には非常に優秀な神学者が数多く所属しており、生徒に関しても大学は是非ヴァチカンへ、という猛者が集うことで有名だ。
そんな学校で、わざわざ臨時教員を求める事態が起こるなどとは考えられない。ぼやくケファに三善は無邪気な声色で話を続けた。
「あ、それは表向きの話。本当は、妙な事故が高等部で起こっているから、それを検証してほしいんだって」
「妙な事故?」
ケファが尋ねると、三善は首を縦に動かした。
「例えば、水道やプール、トイレとか……そういう水気の多い所で原因不明の発火事故が起こるんだって。現段階で生徒が三十二名、教員が十四名負傷していて――それが“七つの大罪”に関係しているかもしれないから、是非検証してくれって」
「なるほどね。だから一応それなりに名の通った学者で、且つプロフェットである俺たちにご指名が入った、と」
話の要領がようやく掴めたらしいケファは、納得した様子で数回頷いていた。しかし、その表情はどことなく険しい。きょとんとして三善は首を傾げるも、ケファは口を閉ざしたままだ。彼の頭の中では、何か別の考えが浮上しているらしい。
しばらくの沈黙の後、彼はぽつりと呟いた。
「“
「どういう意味?」
「ヒメ、お前はできる子なんだから、もうちょっとお勉強しなさい。“大罪”以外に、もっと厄介な奴がいるだ――うおッ」
急停車。
がこん、と妙な音を立て車体が前後に大きく揺れる。脳みそがシェイクのごとく激しく揺さぶられ、同時に視界もぐわんぐわんと回転していた。
ああ、星が見える……。
三善は鈍る頭の片隅で考えた。
「悪い、ヒメ。意識はあるか」
運転席のケファも、額に手を当てながら掠れた声を出す。彼もまた、揺れにより相当なダメージを受けたらしい。二人とも頭を打ったわけではないので、致命傷ではないが。
三善はそれとなく肯定して、
「運転へったくそ!」
と言ってやった。そう、ケファの運転のへたくそさはエクレシア内ではかなり有名な話である。何でも人並み以上にこなすことのできるケファの唯一の欠点。神様は、そのあたりをきちんと考慮してくれていたらしい。
しかしその事実に納得できないのはまさに本人のみである。
「失礼な! これは俺のせいじゃねぇぞ、なんか今、変な影が――」
この期に及んで言い訳するのかと三善が反論しようとしたとき、もう一発、車が激しく揺れた。車窓から差し込んでいた日光が突然遮られ、二人は目を瞠る。
とりあえず、この話は後にしよう。二人の間で瞬時に取り決めがなされた。
それもそのはず。黒のボンネットに奇妙なものが乗っかって、彼ら二人を『見下ろしていた』からである。
例えるなら、世界の昆虫図鑑に載っている蟻の拡大写真を見ているような――全長五メートルはありそうな超巨大昆虫が、べったりとガラスに張り付いてこちらを覗きこんでいる。口と思われる箇所からはだらだらと粘性を帯びた黄色の液体が流れ落ち、ボンネットの鉄鋼を溶かしていた。独特の白い泡と煙が立ち上る。あの黄色い液体は、強い酸なのだ。
『イタ……プロフェット……』
怪物が洩らした呟きは、確かに彼らの耳に飛び込んできた。
これだけの異常事態、普通ならば発狂ものである。しかし、この二人はこれだけの観察をじっくりと行えるくらいに、それはもう恐ろしく冷静だった。むしろ、余裕をかましているようにも見える。
ケファが楽しげに嗤った。
「ヒメちゃん。ここで問題。こいつらの属性と階層は?」
突然の質問に、三善はほんの少し困ったような表情を見せた。眉を下げながら、三秒ほど考え込む。
「ええと。身体は黒いけど、目が黄色いから“
「正解。“
二人はその言葉を合図に、車を飛び出した。
刹那、激しい爆風が吹き乱れ、三善の細い体躯はあっさりと飛ばされてしまった。怪我をしないよう咄嗟に受け身をとり、雨の如く降り注ぐ車体の破片から頭を守る。容赦ない熱風が肌を焼いた。
ようやく顔を上げるも、ふっと急に視界が陰った。それが怪物による頭上からの攻撃だと分かると、三善は側転で回避し、彼らが着地する様をその目で確認する。どん、と地響きにも似た重い振動が伝わる。
「ケファ! こっちは二体いる!」
やや離れたところからケファの声が聞こえた。
「こっちも二体。じゃあ、平等だな。戦えるだろ?」
「もちろん」
爆破により廃車――というよりは鉄片と化した車を横目に、三善は己の左手に手をかける。
彼の左手には白い手袋がはめられており、黒い革ベルトで三重に縛られている。先程側転をした際に、ガラスで掌を傷つけてしまったらしい。うっすらと赤い染みが滲んでいた。しかし三善はそれに臆することなく、さっとそれらをまとめて外してしまった。日焼けしていない乳白色の肌が露わになる。
“七つの大罪”――彼らは、敵だ。エクレシアにとって、だけではない。己にとっての敵なのだ。
三善はそう念じながら、まだ熱を帯びている鉄片を拾い上げる。
熱さなど全く気にならなかった。ただそこにあるのは、胸の内から湧き上がる純粋な感情のみ。
敵は、倒す。
だから、今ここで自分にできる最上の祝詞を唱えるのだ。
「『
見開いた彼の紅き瞳は、今、燃え盛る炎の如く爛々と輝いていた。
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