第十五章その1 最近は神様もSNSを使うらしい

「私は米問屋の奉公に出ていたことがあります。腕力には自信がありますので、是非雇ってください」


「以前、履物屋で番頭をしていた経験があります。数字の扱いは得意です、すぐにでも帳簿をお任せください」


 開店はまだまだ先だというのに、白石屋福岡支店には多くの男たちが詰めかけていた。


 この日、俺たちは福岡支店を任せる従業員の面接を開いていた。八幡から連れてきた手代も何人かここに残すつもりではあるが、それだけではひとつの店を回すにはとても足りない。


 福岡はここらで最も大きな都市であり、九州各地から出稼ぎの男たちが来ているため人手には困らない。女中も何人かは雇うつもりだが、やはり対外的には男の働き手を充実させるのが最優先事項だ。


「ふう、疲れた」


 朝早くから何人もの相手をしてきたので、まだ昼前だというのにもうへとへとだった。俺は番机に突っ伏しながら、背骨をバキバキと鳴らす。


「サブさん、今日も多くの人が来ましたけれども、どういう働き手が欲しいですか?」


 手代の若者が手製のリスト片手に俺に話しかける。新たな働き手を募集する人事担当として、俺は彼を任命したのだった。


「うん、商品の売り出しももちろんだけど、ここは長崎に運び出す商品の中継地点にもなる。常にたくさんの荷物が入っては出ていくから、そういうのに向いている人が欲しいね」


「わかりました。ではあの力自慢は残しましょう。番頭経験のある男は荷物の管理に長けていそうなので、あの男も雇いましょう」


 手代は意気揚々と部屋を出た。始めて任された仕事とあって、やる気にみなぎっていた。


 彼もまだ若いが、いつかは店で重要な役割を任される。年配の働き手の極端に少ない白石屋だ、有望な若者には早くから仕事を任せ、経験を積ませてもよいだろう。


 俺は彼らがしっかり動くか見守りつつ、もしもの時にはブレーキをかけるのが役割だ。


「さて、これで開店の準備はだいぶ進んだし、一旦八幡に帰るか。それから次は江戸に行く準備をして、あとは――」


「栄三郎さんはおられますかな?」


 店先から聞こえる貝原先生の声に、俺は立ち上がった。今日は今までお世話になっていた吉松がここにやってくる日なのだ。


「貝原先生、ようこそ……?」


 だが店先に出た俺は目を点にする。屋内の土間には貝原先生と吉松だけでなく、高砂屋の主人も立っていたのだった。


「やあ、景気はどうだい?」


「高砂屋さん、まだ店は開いていませんよ。ところでどうしたんですか、その格好?」


 はにかむ店主を俺はじろじろと眺める。いつもの着崩した服装とは違い、動きやすい草鞋に裾を上げた袴、そして背中には大きな葛籠を担いでいた。それは行商に出る俺たち近江商人とよく似た出で立ちだ。


「あんたの話を聞いてな、俺も旅に出たくなったんだ。そこらで名品を探して異国に売り付けられないか、自分でも試してみたくなったんだよ」


「それは良いですけど、うちの商品は買ってくださいよ?」


「ああ、だがあんたの所より良い品が見つかったら保証はできんがね」


 高砂屋の店主は豪快に笑う。どうやら彼は一度は失った商人としての情熱を取り戻したようだ。


 その隣で先生に背中をポンと押された吉松は、改まった態度で俺に頭を下げた。


「栄三郎様、本当にありがとうございます。これから八幡にお帰りになられるとお聞きしまして、私もお供させていただきます」


 今まで貝原先生の家に寝泊まりしている吉松だが、人手がいる時には手伝いに来てくれていた。だがそれも今の内だけ、彼が丁稚としてこの店にいられるのはもうわずかな時間だけだ。


「うーん、吉松にそう言われると調子狂うな。いつもの口調に直してくれよ」


 こみ上げる感情を抑えるように俺が言うと、貝原先生は首を横に振った。


「それはいけません、吉松君はやがて貝原家の男子となります。貝原家は代々礼儀作法を重んじる故、栄三郎さんには最上の敬意を抱かねばなりません」


 ひええ、これは吉松大丈夫かな?


「それともうひとつ、吉松君を貝原家に迎え入れるとなれば新たな名前が必要となります。そこで吉松君の新たな名を、是非栄三郎さんにお知らせしようと思いまして」


「おお、それは良かった。これで吉松も武家の仲間入りですね。で、どのような名前に?」


「はい、こちらでございます」


 吉松は懐から紙を取り出し、丁寧に広げて俺に見せつけた。


 そこには墨で『白石丸しらいしまる』と書かれていた。そう、白石屋と同じ名だ。


「この名を使いたいと最初に言ったのは吉松君なのですよ」


 貝原先生は吉松の頭にそっと皺だらけの手を載せた。


 吉松は顔を赤らめたまま、俺をじっと見据えて話した。その顔は幼いながらに凛々しく、武者人形のようだった。


「店の名を拝借しますこと、お許しください。ですが私にとって白石屋は生まれの家にも等しき場所、ここで学んだことは決して忘れません」


「吉松……もちろんだよ!」


 なんだか涙が出そうな気分だった。


 八幡で正式に湖春ちゃん他店の者たちに挨拶をさせ、後日従業員たちとともに福岡へと出発させる。八幡の本店を発つその時が、丁稚としての吉松最後の姿だ。


 惜しい流出であることに変わりはない。彼ほどの頭脳の持ち主なら将来立派な商人にもなれる。


 だがそれ以上に、本人は学者になりたいと思っているし、俺もそちらの方が才能をより発揮できると信じている。そうとなればやはり本人の望む道へと進ませるべきだ。


 そして今、俺は吉松を養子に出して本当に良かったと心の底から思えたのだった。




「船の手配ができましたよ、明後日の船で大坂まで帰ります」


 夕方、手代のひとりが帰ってくるなり嬉しそうに報告した。


 彼には港で大坂に帰れる船を探すというミッションを任せていた。こうやって自分で考えながら他の人と交流し、営業のスキルを培わせていくのが目的だった。


「ありがとう、疲れただろうからもう休んでいいよ」


 高砂屋から返してもらった商品を店先に並べていた俺が言う。手代は「はい」と答えるとすぐに床に上がり、従業員の寝室へと真っ直ぐに向かった。


 彼にとっては初めての交渉だったためか、随分と緊張したようだ。今はちょうど解放感といっしょに疲れが押し寄せていることだろう。


 さて、順調にいけば5、6日後には大坂に到着だ。八幡まではそこから2、3日と見ればよい。


 その前に、ここ福岡で航海の安全を祈願しておくか。


 そう思い立った俺は手の空いていた店の者を引き連れ、博多の住吉神社に向かった。ここの祭神である住吉三神は海の神であり、漁師や船乗りから篤く信仰されている。


 ここは藩主黒田家からも崇敬されており、全国各地に散在する住吉神社の始原であるとされている。現に今の本殿はかの黒田官兵衛の後継者にして福岡藩二代目藩主、黒田長政による造営である。


 朱塗りの社殿に巨大な破風と特徴的な建造物だけでなく、広大な境内には連日全国から多くの旅人が集まり賑わっていた。


 その境内に一歩足を踏み入れた時のことだった。


 夕焼けの中、目の前から人々がふっと消え、しんと静かで不思議な空間に俺は立っていたのだった。


 この雰囲気には覚えがある。日牟禮八幡宮で比売神に会う時にはいつもこう神様の世界に引きずり込まれるのだ。


 だがここに女神はいないはず、一体誰が?


「やあ、よく来たね!」


 気が付くと俺の目の前には三人の男が立っていた。


 まったく同じ顔の三人組。そして全員、真っ白の衣服にこめかみで髪の毛を丸めた、弥生時代の高貴な格好をしている。


 直感的に、この人たちはあの比売神と同類であることが理解できた。


「長男の底筒男命そこつつのおのみこと


「次男の中筒男命なかつつのおのみこと


「三男の表筒男命うわつつのおのみこと


「「「俺たち住吉三神すみよしさんじん三兄弟!」」」


 声を揃えて返信ヒーローさながらのポーズをとる三人組……いや、三柱。


 ある程度予想はしていたものの、あまりの唐突さに俺は口を半開きにしたまま固まっていた。なんというか、こう……あまりにも寒すぎたので。


「やあやあ、キミが伊吹栄三郎君? 比売神ちゃんから聞いてるよ、わざわざ平成から元禄まで連れてこられたんだってね」


「そうそう、人間なのに気に入られるなんて羨ましいね。比売神ちゃんの助けがないと、俺たち新羅に渡ることもできなかったからな」


「チクショー、俺たちいつも三点セット扱いされて、まともに名前すら覚えてもらえないんだぜ! それを一対一で話したなんて、許さん、どこだ、どこまでいったんだ!」


 だがこちらのことなどどこ吹く風、兄弟たちは口々に話し出す。


 なんだこの神様たちは。日牟禮八幡宮の女神もそうだが、日本の神様はテンションおかしいのがスタンダードなのか?


「落ち着け弟よ。今日はそれが用件ではない。栄三郎君、俺たちは航海や海の安全の神だ。実は近江八幡の比売神ちゃんから、SNSでそっちにキミが来るから帰る時には無事故で送り返すようにね、とお願いが届いたんだよ」


 そう言うと長男の底筒男命様はスマートフォンを取り出し、俺に画面を見せつける。


 液晶画面には『かみさまネット』とかいうSNSが表示され、あの女神の顔写真とともにギャル文字でメッセージが打たれていた。


 ちなみに住吉三神の返信は「御意!」の一言だけだ。


「比売神ちゃんの頼みとあれば断れない。キミが帰る時には東へ穏やかな風をずっと吹かせてあげるから、安心しなって」


「くそ、本当なら暴風雨を起こして海の藻屑にしてやりたいところだが、仕方がない。俺たちに感謝するんだな」


「とまあ、用件はこれくらいだ。これから福岡にも店を出すんだって? がんばれよ、俺たちはいつでも応援しているからな」


「「「それでは、ご機嫌よう!」」」


 そう言うと三神は揃って手を振り、やがて消えてしまった。


 気が付けば俺は先ほどまでの人でごった返す神社に戻されていた。


 結局こちらが一言も口にできない内に、話すだけ話してそして帰されてしまった。日本の神様とは総じて気まぐれで、そして愉快な存在のようだ。

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