第三部 永訣の神無月

第七章その1 先生をすることになりました

「帳簿はここに……え、書式が違う? でもうちはこのやり方で……」


「だーかーら! 水を汲んだらここに置いておけって!」


 俺と吉松はてんやわんやの忙しさに目が回る思いだった。


 なぜって、そりゃいっぺんに従業員が数倍に膨れ上がればまずは店のルールを叩き込むだけでも苦労する。


 いくら前職の経験があったとしても、新人のバイトだけでは店は回せない。


「ふう、しんどかった……」


 俺と吉松ふたりは縁側に座ると、そのまま背中を床板に倒してしまった。


 夕日に鳴き渡るカラスの声と同時に、新人の子供たちのきゃっきゃと騒ぐ声も聞こえていた。


「明日もこれだと思うと、もう店どころじゃないよ……OJTでは時間がかかりすぎる」


「おーじぇいてぃー?」


「いやいや、こっちの話だよ」


 吉松をあしらいながらすっくと立ち上がる。


 これが続くなら体が持たない。大人ならともかく、子供相手では一人一人教えるのも効率が悪すぎる。


 それならばいっそのこと。


 俺はあるアイデアを胸に、今にも眠りに落ちそうなほどぐったりしている店主に頼み込んだ。


「店主さん、こんなにたくさんの新人、私たちだけではさばききれません。そこでお願いがあるのですが、しばらくの間新人の子供たちを私に任せていただけませんか?」


「どういうことです?」


 青いクマを作った目をこちらに向ける。ただでさえ病が進んでいるのに、今ぽっくり逝ってもおかしくない疲れようだった。


「私は未来の世界で教師……寺子屋などの師範となる勉強をしていました」


 正確には東京都内の某私立大の教育学部だ。一応頑張って勉強しないと入れない大学で、そこの初等教育学専攻という小学校の先生を目指す学科に通っていた。


「私の時代ではひとりの師範が最大で40人ほどの子供を一度に教えています。その方法に心得がありますので、しばらくの間、丁稚の子供たちには講義をつけて店の掟や心構え、それに読み書き計算を教えたいのです」


 それを聞くなり店主はにこりと笑い、「先の短い私です。今さら何を戸惑いましょう」と告げた。


 そして改めて座り直すと、軽く頭を下げる。


「サブさん、お願いします。私も協力いたしますよ」


「ありがとうございます!」




 というわけで急遽、俺は店の子供たちを対象に講義を開催することとなったのだった。人前で教えるのは教育実習以来で緊張するが、あのくそ忙しい時間を乗り越えたのだから何とかなるだろう。


 しかしここでいきなり問題に直面する。


「内容、何から教えよう?」


 夜、店を閉めて帳簿の整理も終えた後、蝋燭の灯りを頼りに俺は机に向かって頭を抱えていた。


 まず10歳前後の子どもが10人ほどに教えるわけだが、現代日本と違って家庭での読み書きはほとんど教えられていない。


 まずは店のルール以前に、読み書きを身に付けてもらう必要がある。


 だが当然ながら江戸時代に国語のドリルは出版されていないし、師範としての教育を受けてきた人材もいない。


 こういう時こそ歴史から学べ。先例に倣ってこの状況を打破するんだ。


 俺は大学の教育史の講義内容を思い出す。


 初めて日本に集団授業が海外から持ち込まれたのは明治維新後、1871年に文部省が設立され、翌年に近代教育を推し進める学制が発布されたのが転換期だろう。


 近世の寺子屋は年齢も身分も違う子供たちが一か所に集まり各々が異なった教材を進め、大人がフォローするという自習の形式が一般的だった。しかもそれらは武士の子弟の通う藩校とは違い、寺や商人が出資して運営していたという完全なる私塾だった。


 しかし社会の近代化を迫られると同時に、教育の分野でも国家主体の国民皆教育が必要とされ、それに見合った教育方法と内容が整備される。


 まずは子供の年齢層ごとに学級を持ち、一度で多くの子供に同じ内容を教える。この発想は当時としては画期的だった。


 そして日本で最初の小学校の先生となった人々が特に活用したのは、図を用いた授業だった。


 簡単に言えば「あ」ならアリの絵が、「い」なら犬の絵が描かれたような「あいうえお表」など、教える内容を棒で指し示して子供たちに暗唱させるというものだ。


 図絵と内容を併せて覚えるのは今となっては当たり前のことだが、当時としてはかなり珍しかったのだ。


 そもそも初等教育の歴史自体が大学などの高等教育に比べればかなり新しく、幼い子供を対象とすることから方法論の確立にも時間がかかったことが最大の原因であろう。


 俺は店主からいらない紙と布をもらい、そこに墨で表を書き始めた。例のあいうえお表、いや、この時代ならば「いろは表」を作るためだ。


「あら、サブさんてば結構絵がうまいのね」


 ちょうど「い」の犬の絵を描いていた時、女性の声に振り返った俺は驚いた。


 てっきり湖春ちゃんあたりかと思ったら意外や意外、そこにいたのは女中の葛さんだった。


 すっと背の高い彼女は寝間着姿も色っぽい大人の魅力にあふれ、思わず胸を鳴らしてしまった。これは大津代官から派遣されている大本さんがゾッコンなのも分かる気がする。


 そんな彼女も日中は新入りの女中にこの店のルールを叩き込んでいたのでもうくたくただったはずだが、寝る前にも関わらず背筋はしゃんと伸び、その動きには日本舞踊のような上品さが感じられた。


「ええ、色々と描かされたので」


 実践形式の授業や実習で教材づくりのために散々絵を描かされて工作をこなしてきたんだ、この程度なら問題ない。


 だがいざ他人に見られるのは少々恥ずかしい。葛さんが覗き込むと、どうも顔が真っ赤になってしまう。


「丁稚の子たちにいろいろ教え込むんだって聞いたけれど、それを使うのかしら?」


「はい、講義のための教材ですよ。うまくいけば一度に読み書きを教えられます」


「読み書きねぇ、覚えるのにとても苦労したわ。本当にそれでうまくいくかしら?」


「まあ、何とかなるんじゃないですかねぇ?」


 この方法は350年の伝統ある手法だ、ある程度はなんとかなるだろう。


 この図と内容を併せて覚える方法を提唱したのはチェコの教育学者、コメニウスだ。彼は個人授業ばかりの大学教育に疑問を感じ、多くの人々に効率よく物事を教える方法を模索した。そして年代ごとのクラス分けなど現在の初等教育の基礎となる構想を打ち立て、1658年に『世界図絵』という百科事典のような著書を出版した。


 明日から子供たちに読み書きを教えるに当たって、困ったときは彼ら著名な教育学者の発想を拠り所としよう。俺はそう決めていた。


「ねえ、私も手伝うわよ。まだたくさんやらなければいけないこと、あるでしょ?」


「いいのですか? 葛さん明日早いですし」


「いいのよ、それはあなただって同じでしょ?」


 薄明りの中ふふっとほほ笑む葛さん。思えば彼女が俺に笑いかけてくれたのは初めてかもしれない。

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