第七章その2 初授業ですよ!
翌日、白石屋で最も広い座敷に集められた10人の丁稚の子供たちは座りながらもそわそわと落ち着かない様子だった。
「まったく、何で俺まで」
中にはふくれっ面の吉松もいた。年上とはいえ、自分よりも後に入ってきた者に習うのは不服のようだ。
そんな彼らの顔を襖の隙間から覗いて見ていた俺は、自分自身もやたらと緊張していた。
子供を相手にするのだから下手なことは絶対に言えない。それに彼らには学校という概念が無く、当然ながら集団で授業を受けた経験も無い。
これから何が始まるのか、俺も子どもたちも期待と不安でいっぱいだった。
せめて彼らには最大限リラックスしてもらって、学習の集中してもらおう。
俺は勢いよく襖を開けた。
「みんな、こんにちは!」
やっぱり元気が一番だ!
声高らかに挨拶する。
「こ、こんにちは……」
突然の事態に子供たちはたじろいでいた。
今まで年長者からは高圧的に話しかけられてばかりだったのに、突如フレンドリーな大人が現れたのでどう対応すれば良いかわからないようだ。
やべえ、ちょっと滑った?
だが気を持ち直して俺は子どもたちの前に置かれた座布団に座る。
「みんな、白石屋に来てくれてありがとう。俺は伊吹栄三郎、みんなの先輩だよ」
「本当は俺の方が先輩だっての」
集団の中で吉松がぼそっと呟く。
俺はふふっと笑った。
「そうだね、吉松さんの方がこの店は俺より長い。だからみんな、この店でわからないことがあったら吉松さんを頼ればいいよ」
「あったり前よ」
気を良くしたのか、吉松は得意げに腕を組む。とりあえずこれで彼も授業は聞いてくれるだろう。
「さてさて、今日からはみんなにこれを覚えてもらうよー」
俺は折り畳んだ白い布を広げ、壁に打たれた釘にひっかけた。
見るなり子どもたちから歓声が上がる。
犬の絵と「いぬ」の文字、特に「い」は大きく書かれている。そんなものがいろは順に描かれた巨大な表だった。現在でいうあいうえお表だ。
「やかんって、こう書くのか」
「めはわかるけど、よく似たこの字は何て読むの?」
昨晩、女中の葛かずらさんと俺とで夜なべをして完成させた甲斐があった。
彼らは多くが貧しい農家の出で、家庭で文字を習う機会には恵まれなかった。自分の名前が読み書きできれば大したものだった。
その分だけ彼らは文字を習おうというモチベーションが高く、見慣れぬ表を前に一気に意欲を高めてくれたのだった。
「みんなには立派な商人になってもらうために、まずは文字を読み書きできるようになってもらわないといけない。そこでまず、ひらがなを身に付けてもらおう! じゃあ俺が言った言葉をそのまま真似て口にしてごらん」
俺は木の棒で表の絵を指し示す。まずは犬の絵。
「
「「「いぬ」」」
「
「「「ろうじん」」」
とりあえずは「いろはにほへと」の7文字。少しずつ時間をかけてゆっくりと。
集団授業は一種のショーだ。行き当たりばったりでなく、綿密に計画を立てて進行するのが原則だ。
特に現在の集団授業のスタイルで最もスタンダードな組み立て方は四段階教授法ないしは五段階教授法と呼ばれるもので、これまた200年以上の伝統を誇る由緒ある授業論だ。
19世紀初頭、ドイツ人教育学者のヘルバルトが小学校の創始者であり授業の達人と呼ばれていたペスタロッチの授業を研究し、方法論として落とし込んだのがこの理論だ。
授業の流れを大まかに明瞭、連合、系統、方法という4つの段階に分けているのだが、噛み砕けば最初にこれから授業で習う内容を明示し、その新しく習うことと子どもの既有の知識とを関連付けて説明しする。そうして新たな知識を体系化したら新たに身に付けたことを実際に応用しよう、という流れだ。
後に弟子たちによって五段階教授法なども提唱されたが、すべてはこのヘルバルトの理論から出発している。
……とこの辺りは俺の専門分野なのでつい熱く語ってしまった。教員採用試験や国家公務員試験を受ける読者の皆さんは今の話を必ず押さえておくように願いたい。
いらない裏紙を使って子どもたちに文字を何度も書かせながら形を覚えさせ、ようやくはじめての授業が終わる。
その時の子どもたちの顔は実に爽やかだった。今までできなかったことができるようになった、視野が広がったという喜びに満ちていた。
いろは表も丁稚の寝床の壁にかけておく。これで彼らは今日習った文字を復習できるし、寝る前や朝起きてからなど、無意識の内に文字に接することもできる。
先述のペスタロッチも提唱した「居間の教育」の実践だ。文字を覚えるにはまず日常的に文字に囲まれた環境を整える必要がある。
「明日もこの続きするから、始まる前に当番の子はいろは表を持ってきてね」
「「「はーい!」」」
最初はそわそわしていた子どもたちの声がそろっている。俺は妙な快感を覚えた。
ほっと胸を撫で下ろしながら悦に入っているときだった。子どもが5人ほど、一冊の本を持って俺の元に駆け寄ってきたのだ。
「先生、これの読みを教えてください」
先生だって。いやぁそれほどでも。
「何々、『
表紙を見るなり俺は年甲斐もなく、子どもが持っていた本を奪い取るように受け取る。
描かれているのは数多の植物、それに蛙や鮫、さらには牛や
これらはいずれも薬の材料だ。
「私たちは元々薬の卸売りの店にいたので、こういった書を読んで勉強するよう言われてきました。ですが読めるようになる前に旦那が店をたたんでしまって」
子どもの一人が話す。
本草綱目は16世紀に中国で編纂された本草学の大事典であり、古今東西あらゆる薬種を図入りで列挙している。
鎖国以前に朱印船貿易で日本に持ち込まれると徳川家康にも献上された。その内容の充実さにすぐ日本語に訳され、その後も長く重版を繰り返した江戸時代のベストセラーだ。
学習ドリルの無い時代、子供たちはは実学書や孔子の論語を何度も繰り返し唱えることで読み方を習い、同時にその意味も自分なりに解釈していたのだ。
随分と効率悪い学習法に聞こえるかもしれないが、当時はこれが一般的だった。むしろ太平洋戦争が終わってアメリカ式の教育方法が主流となるまではこの風潮が強かったと言っても良いだろう。
しかしこれを読んでと頼まれても、俺だって内容は理解できないぞ。読めない漢字もあるし。
「うーん……これは専門外だなぁ」
子どもたちが一斉にしゅんと頭を垂れる。そんな目をしないでくれよ、こっちまで悲しくなるじゃないか。
せっかく彼らが自分で興味をもった内容を見つけたのだ、この学習の芽をうまく利用したいのに。
そんな時だった。後ろから覗き込んだ吉松が不意に口にしたのだ。
「こういうのって、医者の兄ちゃんなら詳しいんじゃないの?」
医者の兄ちゃんとは鍼灸医の出水宗仁さんのことだ。
そうか、彼なら人柄も温厚でいざというときに頼りになるし、薬草の知識で右に出る者はいない。先生にピッタリの逸材じゃないか!
俺は「ちょっと待ってて」と子どもたちに告げるとすぐに立ち上がり、そのまま店を後にした。
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