第14話 防御

 耳をすませる。地下で目は頼りにならない。働く時も、休む時も、目を薄っすら閉ざすことはあっても肌を風が撫ぜる感覚を忘れることはない。

やるべき作業は多い。考えただけで足りない所が数限り無く浮かび、不安で呼吸が浅くなる。

 悪い兆候だ。あれをこれをと目移りするのが最悪の行動だと分かっていても、経路の封鎖、破壊すべき道と残すものの選択、外の監視。個人では補助なくして出来るはずがない義務がのしかかる。

 哲学者は人を指して考える葦とのたまったが、今日この時ばかりは動くだけの葦でありたかった。


 大切なのは体を動かし続ける事だ。思考を止めるために余分な労力は使えない。きりきり痛む胃も、滲む脂汗も労働の最中なら誤魔化しが効く。

 武器庫に通じる床には大穴が空いていたので、とりあえず目立たないように聖を押し込み、必要な物資を確保した。問題は搬送方法がほとんど人力、それも僕だけな事である。アシスト機能の付いた大八車を引き、汗水垂らして運ぶしかないのだが、敵がやってきた際にバテていては話にならない。

 時計も無い以上、疲れてきたらベッドか監視装置に寝転ぶといった原始的な方法を採用せざるをえない。

 

 監視装置は手ひどくやられて、操作は受け付けなかった。ケーブルをどうにかつなげてもノイズが混じる定点の映像を映すだけだ。

 しかしどうして敵が引いたのかは窺えた。川の幅が倍ほどに拡大している。砂州の中の神塞も、泥に濁った水に壁の一部が浸かっていた。濁流に押し流された敵の残骸が引っかかっていたりもするにもかかわらず、水漏れ一つないのは建設者に感謝するべきだろう。


 たぶんあの時の塔――新聞で見た異常攻撃というのはあれかもしれない――が出現した余波でダムが崩壊したか、あるいは形勢の不利を覆すために聖が開放したようだった。この土地自体が低地な上、あの大破壊のせいで地盤が緩んでいる。倍になった川のさらに数倍の泥濘が広がっていた。とてもでないが、敵の行列を載せられるものではない。


 泥の先、角度の関係でほぼ見えないが、黒雲のような蟲の群体の螺旋は隠しようがない。隠す気もないのだろう。何らかの構造物が見えた。道路、この場合は橋か。やたら脚の多い電車とダンゴムシの間をとったような輸送機関が忙しなく足を動かしているのが確認できる。それなりの敵が海まで洗い流されたはずであるが、どこからあの物量が出現しているのか。

 あちらも拙速な攻勢を仕掛けないあたり、なんらかの警戒すべき事象を見出しているはず。それが現実か幻かは僕にも分かりかねるが、今は休戦期間といったところ。ともかく時間はなさそうだ。あの勢いならば3日もかかるまい。今日か明日か、明後日の朝日を拝めるかどうかは機械馬の頑張りと僕の運次第のようだ。




 





 装備を点検する。正面からかかったとして圧殺されるのがオチなので、あくまで足止め用の、運動を阻害しない軽装だ。

 まずは名刀伝孔丸。1kg少々の軽量で構造ごと破壊できるのは大きい。機関拳銃と予備弾倉3個。1mちょっとの、骨で作ったようなブルパップライフルと予備弾倉が2。扱えそうなのがこれしかなかった。手榴弾2つ。当然通常火薬だ。

 防弾チョッキ代わりに、紐に通された人型を腹から胸に巻き付ける。今のところ文字の蟲、業に対する防御はこれしかない。紙としての強度も十分ありそうだし、それなりに効果はあるはずだ。あとは使い捨ての火器としてロケット弾と発射筒を身近に置いておく。


 僕個人で無理なく持てるのはこのくらいだろう。有り余っていた竹槍で簡易バリケードを作りつつ、無為な思考に頭を悩ませながらも警戒を続ける。工場内の音はいくらか弱まっていた。壁の大給水口を見るに、流入する水を絞っているらしい。工場の設備自体だいぶやられてるので、やんぬるかなといったところである。

 通路もひびが入ったり曲がったりしているが、木製なのが幸いしてか、人ひとり載せる強度は残している。上手く使えば寡兵のこちらに有利になるはず。


 何度も頭に焼き付けた経路を再生し、先ほどの攻撃で生まれた変数を入れて、最適な防御機構を最小限のエネルギーで構築する方策を練る。敵の侵攻する入り口は大まかに二つ。排水口と地上。敗北条件は僕か聖の死。勝利条件は聖復活までの時間を稼ぎきること。

 難しい、というか普通に考えて不可能だ。一体一体が僕より遥かに上の破壊力を持つ上に、千倍万倍ではきかない頭数の差があるのだから。しかしここまで来ては是非も無し。我ながら随分と軽く腹をくくれた。これまでの戦闘から見て敵の行動パターンは単純で合理的、ぶっちゃけ蟲とそう変わらない。だとすれば、かなりの無理を前提に可能性はあるはずだ。


 通路の至る所に爆薬を仕掛けて、目印に竹槍を刺しておく。竹槍便利だ。立体迷路のような工場全体を把握し切るのは難しい。ならばあらまほしき通路を作ってやればいい。土管にもつけておく。砕けかけて危険な箇所には近寄れないが、それは別の使い方がある。

 監視装置を見れば、橋はすでに泥沼の過半に跨っていた。視界の奥には青黒い肉塊と、そこに咲くサイケデリックな花。あの射程でこちらを狙撃しないところから見て、あの兵器は虎の子であろうこと、そしてこちらを確実に抹消するために認識範囲に入れようとしていることが推察できる。となると僕と聖の両方の居場所が知れれば一発でゲームオーバーも有り得るわけだ。聖の隠すのも少し工夫がいるか。


 孤独と恐怖、果てしなく思える労苦の時間。いっそ早々に攻めてくればいいのにと思う気持ちと、永遠に来るなという思考が相反することなく神経を苛む。

 汗が流れても喉が渇かない。肉体の疲労は高揚した脳にとって些細な問題の様で、時折意味も無く飛び跳ねて叫びたくなる。視覚は目の前だけに集中することに慣れて、耳だけが異様に鋭い。水の落ちる振動で土管の粉が剥がれる音まで聞こえる。


 ずいぶん働いた。腹は減っているのだろうか。減っているはずだ。少しでも食べるべきだ。限界がいつ訪れるかは分からないが、現在進行形ですり減っているのは確かなのだから。

 手すりの3段目に腰かけて、ヘルメットを脱いで服をあおぐ。かぶりなおすと、細長い直方体の固形食をかじった。もそもそしていそうな外見のくせして、やたらジュ―シィだ。小麦粉っぽい粉の中にカプセルのようなものが入って、水分を保持しているらしい。味はみかんだ。やはり果物は良い。精神を落ち着かせる。


 ゆっくりと噛みしめながら、水音に耳をすませる。叩きつける音こそ激しいものだが、耳障りなものではない。固形食を飲み込み、口の中にのこった食べかすを飲料で流し込む。

 まだ時間はあるだろうか。そう思いながら立ち上がって、すぐに跪いた。

 

 通路に耳を当てる。未だ稼働している設備からの振動しか響いてこない、はず。だが聞こえる。あの震え。近い。壁に到達したか。どんな攻撃をしているのかは分からないが、着実に削っていることは分かる。


 現在位置を脳から引っ張り出し、誘導する経路を選択。予定としてはまず地上に上がり監視装置で外を確認。花の位置を見極める。

 侵入した敵を迎撃しつつ後退、工場へと誘引。5番入り口、洗濯槽行きの通路から入って、土管を経由して排水口までの階段を下りる。残りの経路は機を見て爆破。落下物には気を付けるべきだろう。あとはちょっとした英雄的行為だ。それまでに聖が復活してくれれば、虫の良い話か。


 ライフルを引っ掴んで走る。ロケット弾は置いたままでいいだろう。地下の廊下で使うには大きすぎる火力だ。 

 脚が軽い。人生最高の出力だ。ストライドが一割伸びている感じがする。あるいは脳内物質が引き起こす錯覚かもだが。それでも確かに階段を駆け上ったときは、二段飛ばしで最後まで行けた。特訓はしてみるものだ。いざという時応えてくれる。

 監視装置に飛び込む。花の位置はすぐに把握できた。川の端辺りからどんどん幹を伸ばしている。神塞ごと串刺しにする気か。

 壁のそこかしこを炭素の刃を数十枚円形に重ねたドリルで切削している。核に耐えただけあってただの竹ではなさそうだ。ときどき小爆発を起こして刃を割っている。もちろん破られるのは時間の問題だろう。だが待つ必要は無い。こちらから出迎える。


 鳥居の口を削っている所でいいだろう。狙いやすいし。門から真直ぐに撃てばいい。

 砲を引き出す。武器庫のかなり下にあったものだ。自走式なのが決め手だった。5m以上の巨体を、六本の脚を蠢かせて、僕が手綱を引っ張る方へと運んでいく。その口は八連の穴。ガトリング。直径はたぶん40mm。口の上に乗っかったサソリのような尾には、無数の弾薬が並ぶ。

 庭の玉砂利を踏みつつ、門の前に着く。白い壁が微かにたわんで影を作っているのがもう見えた。砲の横のそれらしきレバーを引くと、ガトリングの尾が横に割れつつ立ち上がる。門を超える高さまで上がった尾が地面に叩きつけられると、最初の弾薬が装填されるがこん、という音がした。

 耳栓をして、レバーの上の赤いボタンを押す。

 

 炎の圧力が額を焼いた。内臓を叩く炸薬の鳴動。白い壁が赤く灼けて、黒い刃が姿を見せる。それさえも1秒かからずに撃ち通すと、久しぶりの青空が目に入った。あるいは見納めかもしれないのでじっくり見ておく。


 弾は20数えるくらいに切れた。水筒を空にして放り捨てる。もうただの重石にしかならない。青空はすぐに墨のような黒で煙った。走ってくる獣の木乃伊と、火球を放とうとする躯たち。

 とりあえず地上に置いてあったロケット弾を一発。躯が2,3体吹っ飛び、火球が自爆する。完全に破壊は出来ていない。やはりこの程度の弾では役者不足か。


 すぐに塔の中に逃げ込む。門から爆炎が立ち上るのが背中で感じられた。

 しばらく追いかけっこだ。せいぜい走り回ろう。


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