第13話 傷

 意識が戻った時に感じたのは脚の痺れだった。頭は自分が仰向けになっている事を教えてくれるが、ベッドに入った覚えはない。

 姿勢がおかしい。脚がずいぶんと上にある。動かそうとすると、ムカデが皮膚の下を走り回るような痛痒さがふくらはぎを締め付ける。


「あだっ、うぐえ」


 頭頂部をどこかにぶつけた。さんざんだが、おかげで記憶がはっきりしてくる。異次元の攻防の後、地盤そのものを揺るがした衝撃と光で倒れたのだ。どうやらまだ監視装置の中にいるらしい。暗いが全く光が無いというほどではない。装置のケーブルは切れたが、施設全体が駄目になってはいないのだろう。

 痺れはあるが、致命的と思える信号は無いところを見ると、まだそれほど時間は経っていないようだ。

 とにかく、こんな折りたたまれた状態のままではいけない。身体をずらしつつ、どうにか足を下にして扉を押す。


 部屋の中は骨格から変形していた。正直よく全壊しなかったものだと思う。僕がいる三重塔の全体が絞られるようにしてかしいでいるようで、柱が全部左を向いている。壁の板は圧力に耐え切れずに、中ほどから木っ端を散乱させひび割れていた。

 監視装置にいたことは幸運だったのだろう。木のとげが刺さると、金属とは別の嫌悪感を呼び起こすのは僕だけだろうか。いやそれ以前に重傷を負うのだけれど。


 あの塔が打ち出されるまでは常に耳の中を乱していた鈴の音は、いつの間にか虫の声の消えた冬の庭のように静まっている。腕が通る位のひびを見つけ、通れる広さにするために思い切り回転してトランクを投げつけた。

 聖がいた時には鋼鉄の金庫に思えた壁は、ばりばりと音を立て、見た目通りの脆さでトランクを通過させた。

 上半身をくぐらせられる穴が開き、そこから意味も無く忍び足で抜け出す。入った時には無機質だと抵抗を憶えた白い壁も、六角形の部屋と地下を往復するだけだった数週間を超えると、仰ぐだけで無窮の青空の下にいるような清々しさが湧く。


 だが感傷に浸る間はそれほど長くなかった。かこん、かこん、と鹿威ししおどしの響きが髪を撫で、蹄鉄が砂利を軋ませて近づいてくる。まさか、という恐怖と、やはりか、という安堵がないまぜになって首を回した。

 機械馬が死体を運んで来たのかと、初めはそう思った。聖の体積は半分、いや三分の一も残っていなかった。

 胴体は装甲の助けを借りて辛うじてつながっている状態。左腕は消えうせている。ただ本来胴体や腕が存在するはずだった部分を、真っ黒なもやとも穴とも名付けられる空間が占領している。作り物じみたその充填剤が無残なはずの光景の現実味を奪っていたのを、嬉しい誤算と言うのは不謹慎か。

 

 聖は負けたのか?いや、完全な敗北を喫したのなら帰りつけるはずもないし、何より帰るべきこの建築自体、奴らによって神輿の材料にでもなっていたはずだ。瀬戸際でどうにか、どうやってか踏みとどまったのか。

 畏敬の念が胸にしみる。正直言って、僕の中の横暴な官吏のステロタイプを突き固めてくれた抑圧者ではある。しかし異形の大群を前に単騎で決戦を挑み、敵わぬまでも背後を守り抜いたことは尊敬に値する。

 機械馬の方もだいぶガタがきているようで、時々円盤を回して姿勢を維持している有様だ。重荷を背負わせたままでは心が痛むので、死体かトリアージでいうところの黒にしか見えない聖を下ろそうと駆け寄って、いぶかしんだ。


 聖が帰って来たときに見た傷口は、真っ暗な空洞に一様な光点がまたたいていたはずだ。

 しかし今彼女の体を人型たらしめている固形の闇には、光点だけではない、粘菌の腕のようなものが広がっている。円筒形の、無数に枝分かれした真直ぐな棒。塔とも、粘菌とも、大樹とも呼べる。

 構成する枝の一本をよく見ると、それより細かい枝の集合であり、その細い枝もまたより細い枝の。


 不可思議に吸い寄せられるのは人のサガなのだろうか。暗闇を貫く枝あるいは塔に、触れた後になってそう考えた。

 目の前が真っ暗になる。目は閉じていないのに、眠る前に見るあの無数の色の無い色の粒たちが視界に充満していた。いやに良く見える。存在しないほど小さいのに確かに在る粒の形が解る。


 文字だ。怪物たちから湧き出た蟲や、聖から放射された塔を造りあげていたものと同じ。

 沈む。聖が塔を移動したように、あらゆる色が混ざった黒の海を掻き分けて、その底を突き抜けた。


 六角形の部屋にいた。僕が生活していた部屋、しかし僕がいた時より幾分綺麗になっている。

 何より人がいた。部屋のベッドが一杯になる人数。一階は男だけのようだが、地下へ通じる階段には女性も並んでいるので、階層で男女を分けているのだろう。


雰囲気は和やかだ。老人はベットに座って談笑し、子供がその下をすり抜けて走り回る。若い男は聖のものより量産し易そうな装甲服を脱いで、女はその汗をぬぐってやっている。古き良き共同体が緩やかに作動していた。

 視界に文字が映り込んでいるのは、いわゆる拡張現実ARというやつなのだろうか。もの凄い速さで変化していっているため、意味はほとんどつかめないが、隅っこに浮かんでいる日付は分かった。光文47年6月18日。年号に見覚えはもちろんない。

 

 視点が動くと、景色が一挙に切り替わった。今度は地下らしい。先ほどまで動いていたもの達が、養蚕台の上の芋虫のようにのたうっていた。

全身から墨汁のような体液を垂れ流し、空気に触れた所から燻るように文字が舞い上がる。


 それぞれの身体に"保存"や"破却" といった橙赤色の字が重なり、いぶし銀の装甲に覆われた腕が、その指示に従って処置していく。"保存"と書かれた者には、油性マジックくらいの太さの注射器を打ち込み、破却とされたものはそのように処分する。

 注射を打たれた者はぴくりとも動かなくなった。パイプのバルブを開ける。流れ出た水をかけて体液を洗い、固まった体を粘土を成形するみたいに屈曲させて、繭型の甕に押し込む。


 果てが影に飲み込まれた部屋に、同じような甕が等間隔に並んでいる。増えはすれど減ることの無い葬列。

 

 視界が変化する。六角形の部屋。人が随分と減っていた。あれほど横溢していた生気はどこにもなく、感覚野には存在しないはずの腐臭が漂ってくる。文化的な習慣は忘れ去られて久しいようで、変色した脂が床を汚している。

 真白い箱の中は灰色に荒んでいた。弱いものが更に弱いものを打ちのめす。男が女を、若きが老いを。秩序は暴力と同義になって、鈍い銀の腕が法律の代わりに逸脱者を破却した。

 元より無理があったのだ。一目で分かる。あれは敵を粉々に打ち砕くために存在するのであって、民衆を守る盾にはなり得ない。巨大すぎる砲口なのだ。その威力が発揮されるたびに、周りまで払ってしまう。本来彼女を扱うべき首脳は死に絶え、民草が自らを守る決意を持つには、箱はあまりに狭く、希望を入れておくことさえ出来ない。


 運命というものはあるのだろう。それは神や魔術といった曖昧なものではなく、人と人の力学から必然として行き着く意識の落下点だ。

 あらゆる希望を断たれ、共に歩むにはあまりに武骨な防人さきもりに虐げられた者達は、最後に絶望的な抵抗を見せた。当然の帰結として、彼らの強度から許される兵装の威力は、聖の装甲に瑕も付けられずに破却される。

 閑静と時だけが歩み続ける。怨念の痕跡さえも風化の波が洗い落とし、薄く積もった埃だけが無常を伝える。


 視点が変わる。めくるめく戦塵の旋風つむじの中へ。回転覗き絵ゾエトロープのごとく、躍動と孤独が繰り返し映し出され、視界の隅の日付だけが変わっていく。


光文51年9月2日 敵性体5体破却 異常無


光文51年9月5日 敵性体16体破却 異常無 


光文52年1月23日 敵性体3体破却 異常無


光文54年6月11日 敵性体103体破却 異常無


光文68年4月6日 敵性体1体破却 異常無


光文81年12月30日 敵性体591体破却 異常無


光文93年3月18日 敵性体20体破却 異常無


光文97年8月4日 敵性体16体破却 異常無


光文109年11月9日 敵性体170体破却 異常無


光文121年6月13日 敵性体672体破却 異常無


光文126年10月24日 敵性体1418体破却 異常無


光文128年5月10日 敵性体3004体破却 異常無







 光130年9月19日1742 敵性体1体発見 生存者1名確認

 生存者保護及神塞輸送優先 要迅速 行動開始




 


チィィィィィィイイイ

キュイイイイイィィィイ……ン


「うえっ、ゲホッううええ…」


 急に吸い込んだ息にむせながら起き上がる。また倒れていたのか。頭が痛い。眠りすぎて頭痛がする感じだ。その上にキンキンとドリルの音がするのだから堪らない。最近、というかこの世界に来てから変な夢をよく見る。こう思うのも何度目なのやら。神経の痛む出来事ばかりなのだから当然かもしれないが。

 横を向くと、さっきまでの弱り様はどこへやら、元気に聖の治療をする機械馬の姿。再生能力があるにしても、それなりの時間が経ったのだろうか。時計も無い建物の中では、どれほど時間が過ぎたのやらさっぱりだ。


 長い時を垣間見た。そのほとんどを占めた孤独も。夢、で良いのだろうか。この神塞が辿った滅亡の再現としては、十分整合はとれている。しかし結局これが聖の記憶なのか、それとも僕の妄想なのか語ってくれる親切な存在はいないのだ。

 彼女はどれだけの間戦い続けたのだろう。無為に思うことはなかったのだろうか。無常が全てを押し流す前には、彼女も笑ったり泣いたりしたのだろうか。異界からの侵入者を守るべきものと勘違いして、使命を遂行しようとしたとき、吐き出せない胸の中に何が渦巻いていたのだろう。それとも聖はただの泥人形で、全ては幻なのか?


 僕は信じることにした。もう信じられるものは何も無い。もし信じたいものがあるとするならば、それは自分自身と、あとは僕を救ってくれた異形の少女くらいのものだ。信じよう。信じたいものを。それが力になるはずだ。


 眠れる戦士に背を向けて、三重塔の方へ歩き出す。聖はしばらくは動けない。敵は一旦引いたところで、すぐにやって来るだろう。戦えるのは僕だけだ。


 戦わなければ。僕が守らなければならない。自分と、要塞と、彼女を。






 

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