第12話 崩壊

 一匹の魔獣が尾のあるはずの箇所から生える脚で跳ね、こちらを押しつぶそうとする。水中の生き物というのは間近で見るものではない。特に上がったばかりのやつは生々し過ぎてSAN値が下がる。

 腐ったゴムの皮膚と、浜に打ち上げられた海藻じみた剛毛に覆われた脚が大きくなり、比例して解像度も上がっていく。聖は構わずに機馬を走らせる。

 怪獣の腹が爆ぜた。すえた獣臭が密度を持ったかのように吹き寄せ、脂の海から枯れ木のようなものがいくつもこぼれ出る。見覚えのある顔だ。






「      無        一          救

   釈          法      ぎょう        性  

          観                       大

      ぎょう                    界 

本          薩          尼      しつ


        びょう     無                 無

  悲

         苦                心    

                 造


    南      南           ぎょう      慈


               仏

応     ぎょう

          教                 音  

   迦

       観                       」







 あれは揚陸艇か。いや水に潜るところからすると輸送用の潜水艦かもしれないが。でっぷりと膨れた腹はミイラ兵を格納するためでもあったようだ。

 一つの怪獣から4体の敵兵。そして一体の敵兵から無数の蟲が湧き出る。聖は目もくれず駆ける。向かう先は出口だ。

 前からも後からもかかってくる怪魔の群れと、その内からまろび出る躯たち。異臭と耳障りなざわめき。五感に震えが走る。機械馬が跳んだ。

 腹を破ったばかりの躯は、脂のせいか文字の流れにまとまりを欠く。そこから回復する前に蹄で頭を掴み潰し、太刀を振るって縦に割り、斧じみた三日月型の銃剣で胸から上を叩き潰す。

 正に八面六臂。大車輪の如き破壊力が奇怪な敵性体に襲い掛かる。コンクリートミキサーかコールタールか、とにかく粘っこいのと砂利っぽいのが撹拌されて背後に置き去りにされていく。

 僕といえばいぶし銀の甲冑にできるだけ顔を寄せて、回した腕の間に首を縮こめて飛散物から身を守っていた。


「うへ、ばっちいなこれ!絶対健康にわりゅ!?」


 初めて動いた聖の後頭部に脳天をぶっ叩かれた。はい、すみません静かにします。

 しかし一騎当千が真実としても、多勢に無勢もまた真理。人馬の手足を合計しても8本しかないのでは、総勢数百に達しようとしている敵をスナック感覚で叩き潰すのは困難だ。

 あの瞬間移動じみた超加速、石火ならば出来なくはないだろうが、それは神塞地下の壊滅を意味する。あれは手加減とかそういう小細工が効く能力には思えない。というか僕も死ぬ。間違いなく。


 重なりあった配管を障害レースのように踏み越えて、唯一開いていた風呂用の入り口に到達する。すぐさまにもつを投げ落として迎撃の体制を、しかし取らない。

 前進前進、また前進である。助走をつけると、異形の大群めがけて踊りかかった。

だが敵もアホでは無い。少なくとも作戦行動をとれる知能はある。十体ほどの枯れた躯が前方に出て文字の壁を作り、他は後方で遠距離攻撃の用意をする。イルカっぽい怪獣は役目を終えて撤退していく。


 聖の手が蛍光灯の点滅のような速度で形を変え、無数の光文字が墨文字の壁に潜り込む。壁から波動が発射され、こちらまで突風が伝わってくるが、聖のいる部分は中和されてか圧が弱い。機械馬が黒い障壁を前足で掴み取り、引き裂く。

 侵入すると同時に散弾銃を撃ち、反動で馬体ごと錐もみ回転すると、右手の太刀で左に残っていた敵を残らず刈り取る。その遠心力を殺すことなく、斜め前の敵へと太刀を投擲した。

 しかし、既に後方の敵群は円形の陣を完成させ、攻撃の前段階に入っている。またあの耳鳴りのような異音が響き、手すりがぱちり、と音をたててささくれ立つ。円陣が収縮し、白い火球がいくつも浮かぶ。


 その上から輝く柱が降り落ち、躯の一体の頭が弾けた。同時に鉤型の刃が柱に沿って落ちていき、火球を切り裂きながら消し去る。

 反射的に上を向く。ほとんど気にしたことの無かった天井、その一部が開いて細長い柱、いや、槍を落としていた。防御機構。当然あるはずの名称が思い浮かぶ。反撃出来ないまま一網打尽にするタイミングを計っていたのだ。

 槍の身に沿って、直角定規のような形の刃が降り注いでくる。長さも付いている角度も違うが、どうやってか精密に躯たちを狙い、切先が次々に乾いた体に突き刺さる。運動エネルギーのままに槍先まで獲物を引きずると、はやにえのようになった躯を刺したまま、落ちる時と同じ勢いで上に戻っていった。


 上空からの奇襲を逃れた躯たちは、受けた攻撃の性質上散開せざるを得ず、その数を生かす術を失った。その内の一体が引き寄せられる。胸の中心には切先の棟が鋸のようになった大太刀。

 歯科医の振るうドリルのような、甲高い回転音を上げる円盤が朽ち木のような色の屍体を二つに割る。下をうろついていた躯を散弾で消し飛ばし、反動で土管の裏に着地。蹄で配管の裏を掴み、重力に逆らいながら円盤で加速。あっという間に敵との距離を詰めて胴を斬り離す。

 ようやく彼女に狙いを定めた躯に太刀を投げ、同時に土管から飛び降りて下の敵に体当たりをみまう。円盤の摩擦によって青白い炎と化し、黒紐に引き寄せられた躯は散弾銃剣によって薪のように断ち割られた。


 数限りなくいたように思われた躯たちは既に尽き、排水口が閉鎖される地鳴りのような音だけが工場を満たしている。兜を解放した聖は、水晶の瞳であらわにして煙の様にくすぶる墨色の蟲たちを回収しつつ、唯一開いた入り口、つまり僕の方まで駆けてきた。

 機械馬が跳ぶに合わせて上下する黒髪。どこともつかぬ場所をひたすら真直ぐ見据える眼は、機能的であり自然でもある。美しいことだけは間違いなかった。


 僕の目の前まで来ても速度を緩めることもなく駆け抜ける。向かう先はさらなる地下。場所は分かる。武器庫だ。ここだけが攻められているはずがない。地上はもっと酷いことになっているはずだ。

 ずどむ、と散弾銃剣の発射音が届く。武器庫の扉を開ける手間さえ惜しんだのか。それにしたって力技過ぎると思うが。

 とにかく外の様子が見たい。ドアを閉めて廊下を駆け上がる。全力で走れば一分とかからない。階段を一段飛ばしで昇り、寝室に出る。後ろから蹄鉄と車輪の擦過音が追い付いて、地下の通路から躍り出た。

 

 体積が二回りほど膨張している。機関銃が二門。腹巻のように巻き付いたベルト弾帯に、足回りには電飾じみた無数の手りゅう弾。腕には人型の紙が幾重にも巻き付いている。さらに馬体に取り付けられた擲弾筒てきだんとう、短機関銃、刀剣類。

 五月人形とてここまで飾り付けないだろう。金属と火薬が飽和した武装の塊が壁を蹴り開け、一路鳥居を目指して走る。


 僕も追いかけたいところだが、残念ながら行ったとしても助けどころか足手まといにさえなれず瞬死する他ないだろう。

 僕に出来るのは、いつもと同じく監視装置の中で彼女の勝利を祈ることだけだ。

 プリクラの筐体のような箱の中に入り、モニターを見る。真っ黒でなにも見えない。どこかを壊されたのだろうか。顔を近づけてみる。黒い画面が砂嵐のように蠢く無数の粒だと分かった。










夫集天所宗毘ぎょう智絶門多阿於魔賢去智起命百聖以説ぎょう之婆覺沖釋迦摩婆所以集過泥等致教ぎょう門欲約口諸千則會食逸所おん花母五之以威律ぎょう勝族演幽第國翳則異途しつ同趣有禁離願羅律法薩從帝釋所衆藏林びょう神也達乃如夜皆丘無びょう四含蓋大出講身十尸觀是光諸婬染衆防萬善弟鬱心之滅淵律おん胎自府出禁福賢化則障量愚之迹衆ぎょう界法無不趣降無如獲後來洹喜摧生毘在彼尊無婆巨樂仙百大不冥天不妙棄專知不姓遊含礙念睺扶脱尸來大本量川如欲堂尊所照各ぎょう若響無中天記微以愛法倶樓聖號種右ぎょう佛演晝神般見現日所金子覩不將二要軍二沙今使しつ道葉名隸者諸迦紫明人諸釋有去門那兜月秦遣七佛國普契士道ぎょう含比足衆色宿亦筆樓受身おん毗菩磨不涼薩生無州孫婆尸欲羅種藏與諸ぎょう沙佛師聞最沙導處所丘以伏念京眞乞除無分捨及極梵海幽名其無尸三翼人善しつ秦佛知經道士道吾告羅微三近含可演おん有然筆天放名是我聞亂毘司過説數親賢論徳別義淨眼びょう之比至門佛名尸慧ぎょう舍佛相拘此等正上在衆大解知ぎょう演毗夏而不樂歡集不見通明遠怨



                              」








 全てが、何もかもが、悉くが、満天が全地が四方が八方が埋め尽くされていた。夜は塗りつぶされてもっとのっぺりとしたペンキのような黒になっている。黒雲が空気を押し退け空間を占有して、それらが放つ声は空気でなく相互のこすれ合いによって、壁を隔てたこの場所までもわずかにどよめかせていた。


 どこからこれほど湧いたのか。何故これほどの数がここに集まるのだ。

 この量、聖にとっても未曾有であるはずだ。だからこそあれほど傷ついた。その原因は、イレギュラーは何だ?

 決まっている。僕だ。僕以外いない。奴らは僕を狙って訪れた。何故かは分からない。異世界から来たのが珍しかったのか、あるいは別の理由か。


 そんな僕の苦悩を踏みしだくかのように、甲高い回転音を残しながら鳥居を走り抜ける機械の武者。こちらまで弾薬のこすれ合う音が聞こえてきそうな重武装。一歩踏み出すごとに弾帯が跳ね、銃刀が揺れる。

 その手に大きめの取っ手付きの球体が握られている。黄色地に黒く大書された、”核力手榴弾”の太文字。


「マジかぁぁぁぁぁぁぁあぁ!?」


 監視装置の椅子から飛び上がる。椅子の下に潜り込んで殺虫剤をかけられたゲジゲジのように丸まる前、視界の端に映りこんだのは、球状の容器をなんら躊躇いなくぶん投げる聖の姿。瞼の裏が漂白され、脳裏に焼き付けられたのはピカッ、ドーン、という擬音。

 神塞がかしいだ。土台の砂州ごと小舟のように揺れる。


震えはしばらく続いた。おさまるかおさまらないかの時点で飛び起き、肩が狭い監視装置の箱のあちこちにぶつかるのも構わず画面に集中する。

 ああ、空に見事なキノコ雲。大きさからして戦術核だろうが、明らかに通常の爆薬とは次元を異にする効果を生んでいた。いかに振動を起源とする特異な生命であれ、分子を擾乱する熱波の奔流の中で存在を保つのは不可能らしい。視界を蓋する黒い海は明らかにその体積を減らしていた。

 だがその量。戦術核をもってしても、やっと目に見える程度しか減らせていない。殲滅とは程遠く、せいぜいが風呂場の水を大きなバケツ一杯分すくった程度。しかし一様なその壁に穴が開いたのは事実。水が戻り、水面が平静を取り戻すより速く、機械の騎士が走り抜ける。


 夜空を貫く流星のように、銃弾が墨文字の暗幕を切り裂く。狙いは雲霞のような文字ではなく、大蛇の如き怪異の行列だ。片手に一つずつ握った重機関銃の銃弾が神輿を担ぐ牛頭馬頭を穿つと、内部から炸裂して枯死した肉を今度こそ土に変える。

 機械馬の横に装着された擲弾筒から弾が発射され、外観から予想される威力とかけ離れた大爆発を起こした。とにかく休みなく何らかの火器が撃たれ、そのたび何かが吹っ飛ぶ。もうほとんど現実感がない。80年代のガバガバなアクション映画を見てるみたいだ。


 正に八面六臂の大暴れといったところだが、それは同時に埋めようのない戦力差を意味する。なにしろ核で焼いてなお空の青が見えないのだ。じりじりと押してくる大軍が殲滅されるより、この神塞が押しつぶされるのが早そうだ。

 いくら見た目以上の火力といっても、物理上の制約から逃れることはできない。あの馬鹿げた物量を打破するには、あの時の兵装、石火を使わなければならない。

 だが聖が兜を展開する様子はない。ちらちらと映り込む黒煙のような蟲たちに隠れて見えづらいが、ジグザグに走行して辺りを探っているようである。

 だが何を探しているのか。戦術からいえば、まず狙うべきは敵の指揮官や通信設備だが、そんなものをもっている敵には見えない。

 となれば目標はこちらに甚大な損害をもたらしかねない強力な火器。たとえば重砲のような。


 弾切れをおこした機関銃を後ろに投げ捨てると、左に散弾銃剣、右に大太刀に持ち替えてすぐさま二連射。小指をトリガーガードに引っ掛けながら弾薬を取り出して片手で装填。その間に飛び掛かってきた狗のようなものを叩き斬り、木乃伊が放った火球を鎧が焦げ付きそうな距離でかわしつつ頭を割る。また二連射。


 嵐のような散弾の猛威が過ぎ去り、見えた。

 これまでに見たどれよりも奇怪な、形容しがたい構造。極端な環境下で成長した植物と表現できるだろうか。曲がりくねり、どこが開始なのか分からないほど分化したくきの表面で、黒い血潮がうぞうぞとうごめいている。

 材質は青黒い肉状物質と、活動的な炭素の流体。余って出てきたのか、端々にこぼれる生命の名残は、人のそれもあれば、犬猫家畜家禽野生動物その他の珍獣まで、かき集めるだけ集めた努力の跡が見られる。

 その枝の先端から、大小の花が開く。流線型の花弁が放射状に集まり、強烈な原色の光をまき散らす。中に入っていたのは、ぼろぼろの袈裟を着た木乃伊。即身仏、というのだろうか。花がこちらを向き、僧侶の木乃伊の首が直角に折れる。

 その口が、開き、音が聞こえる。





   業    業                 業   業 

              業      業          

                  業            業 

業         業       翳      業          

    業          幽     蓋            業 

            夜尸是弟十心   衆  毘     業

          礙      福 講姓在    仙         

 業       賢府出離願     釋      光觀    業 

    業   遊    身絶滅智  命    勝族演 多        

      業國                     無業

        睺 聖異扶    羅  禁法從帝    胎

    業    障本      尸     量如門智天     業   

          愚    起彼百 藏      善

      業     界  魔   與隸洹喜摧專      業     

 業             冥     薩    業        業

          業       樂           業 

     業            業              業

             業           業

 業                   業             業         業                    業











 内臓が震える。ここまで響くはずがない。それが空気の振動である限りは、周りを破壊してしまうほどのエネルギーがなければ、壁を隔てたこの狭苦しい箱の中まで聞こえるはずがないのだ。いや、これは耳が聞いているのか?肌がふれているのか?経の文言が鼓膜を震わせた感覚が、幻の様に存在しない。

 脳が聞いていた。振動しているのは世界だ。別世界から透徹とした不協和音が侵入してくる。


 聖が兜を脱いだ。水晶の瞳には既に輝く文字が浮かんでいる。機械馬の円盤が空間と擦過せんほどに回転する。

 黒雲が変容した。ただ渦を巻いているだけだった墨文字たちが、急速に密度を高める。打ち出されるのは黒い剣。八方からの刺突。本来なら斬り祓うか撃ち砕くか出来るはずだが、明らかに攻撃を急いた聖にそのリソースは無い。腕に巻かれていた紙の人型が舞い、剣の幾つかを焼き落とすが、いかんせん薄い。

 いぶし銀の鎧が貫かれる。蒼く澄んだ右眼に浮かぶ、夕焼け色の光文字が霞んでゆらいだ。

 極彩の花から発せられる震えはますます強まり、頭蓋の内の大部分を占めるまでになっている。


 聖の鎧が一瞬膨れ上がったように見えた。機械馬が跳び、硬いがもろい刃は砕け散る。着地したその時に走る石火の光。

 同時に僧衣の木乃伊が消し飛んだ。


 動かない。なにもかも、身じろぎさえしない。あれほどに飛び回っていた蟲も、襲い来る怪物共も、ジオラマかなにかのように固定され、ただ塔だけがゆっくりと回っている。 

 塔、聖の身体からいくつも伸びているものと、僧衣の木乃伊が存在した場所から伸びているもの。こちらは聖のものに比べ遥かに太い。黒い文字が縄の繊維じみて固くよられ、遥か空まで、宇宙の先まで続いても途切れる様子がない。

 その延々とした黒鉛の塔の、ほんの外縁が、神塞を囲む竹の壁に触れている。聖から放射されている塔の一つはその大型の塔を貫いていた。

 ばきん、と止まった世界に唯一の音が放たれ、聖の鎧が生成されていく。ゆっくりと墨色の塔を泳ぐ幽体が、壁を守るようにして塔と神塞の間に入った。


 それを見た時には、既に塔は消え、白い光が僕の意識を突き飛ばす。莫大な光量は夢現の境界を塗りつぶして、僕の意識は先ほどに倍する衝撃を感じながら沈んでいった。 

 


 

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