第9話 石火
結論から言えば聖は強かった。とてつもなく強かった。
まず常人なら瞬く間に足を殺されて餌食になるだろう枯れた犬猫の群れ。これらはもう一握の土のような扱いだった。
三叉の蹄で打ち砕き、腹の円盤で切削する。飛びかかってくる能のあるものは刀で殴りつけて前にはたき落とし、耕し潰す。
小動物では極端に破壊されると身体を維持できないようで、中から蚊柱のように文字が湧き、騎馬に寄ってたかるが、新雪のように真白い
この地の先人の呼称を借りれば
「 円 我
一 真 我 持
礼 入 我
地 利 菩 等 塔
法 身加
身 入 界
現 婆 法 身
故提 我
頂
満 心
」
シダ科の植物か深海の固着性動物のような、嫌悪感をもよおすまでに枝別れした触腕から青白い火花が散る。
大きな破壊は見られなかったが、変化は速やかに訪れた。まだ青さの残る芝が煮えたように
電磁攻撃。マイクロ波だ。
旧日本軍が怪力光線兵器として研究したというが、実用に耐える出力となればどれほどのエネルギーなのか。鎧からカメラのフラッシュのような閃光があがる。
聖の左手が光った。電磁波照射の影響ではない。遅れて爆発音。散弾銃剣から打ち出された弾が、怪しげにうごめく文字塊を円錐状にくりぬく。しかし浅い。怪力光線はおさまったが、中心の神輿まで届いていない。
小規模なクレーターを生成できるあのバ火力弾を抑え込むとは、あの文字自体にも何らかの強度のようなものがあるのか。
聖が馬上で立ち上がる。大太刀を逆手に持つと、目に見えて薄くなった黒雲にむかって投げ打った。普通なら放物線を描いて先端が突き刺さる程度だろうが、自身が炸薬で加速したかのような彼女の投擲は、投げるのに適していない太刀をマッハの単位まで押し上げ、刀身どころか鍔まで埋めた。
柄頭から伸びる黒い紐がぴんと張り、機械馬が跳ぶ。これまた砲弾のような速度だ。あのけったいな神輿がどのくらいの強度なのか知る由もないが、体高と材質から見てトンはあるだろう鉄獣の体当たりを食らって無傷では済まないだろう。
その時神輿が膨れ上がった。金属でも有機質でもない。ぬらぬらと光る青黒い筋繊維のようなものだ。発射台の容積を一瞬で超え、ちょうどエアバックのように衝撃を吸収する。
当然受け止められた聖は跳ね飛ばされて宙を舞う。直撃した時に脚で威力を逃したためか、傷は見えない。
しかしあの組織はなんなのだろう。いやに生物的だが、ひっくり返った内臓のような光沢はどのような生理反応に用いられるのかさっぱりわからない。いわば暗黒物質製の肉塊だ。
あれらが持つ再生能力は生体部分の規模に依存するのは間違いないようだ。あの増殖速度も合体して一種の巣を作ったためだろう。どこから質量を持って来ているのやら。
となると手っ取り早い解決法はあの神輿をバラバラにすることだ。だが破壊するには再生を留めなければならない。
つまりジレンマ。あるいは矛盾。戦いにおいて常に直面する事態。
攻略の手口は少ない。いや一つと言っていい。
最強の矛と無敵の盾があるのなら、より強い矛を持ってくれば良い。もっと硬い盾を造れば良い。これもまた矛盾しているが、それを解決し続けるのが技術であり、
聖のバイザーが跳ね上がった。人型の札が連なる黒髪があふれ、右の義眼が冷ややかに魁偉な構造体を見上げる。
水中で口を開けたようなものだ。怒涛のように文字が押し寄せ皮膚に張り付く。沈着した炭素は血液に溶解しつつその本質である振動を脳髄に伝えようとして。
押し出される。溶け込もうとしていた墨状の寄生蟲が飽和し、聖の血液が黒く沸騰した。
右手が
七
一 五 六
四 一 波 八 五
八 若 羅 七
般 空 蜜
二 六 標 皆 度 多 座 八 九
蘊 一 時
〇 五 照 九
四 七 見 三 〇
九 八 一
三
神輿が動く。半流体の、繊維質をペーストにしたような青黒い肉塊が無理やりに形を整え、砲口を形成した。国民的アニメの早すぎて腐った怪物の口に似た、所々で乱杭の突き出す洞穴だ。その中心から放たれる音声信号の嵐が、
聖の騎乗する機械獣の円盤が金切り声を上げ、すぐにそれさえ聞こえなくなった。止まったのではない。可聴域を突破したのだ。かき乱された大気が熱を持ってけぶる。その薄っすらとした霧中の光が形をとって高密度の声となる。刃先が石を切り、華が散った。
燃えたつ昇火球が水に落ちた絵の具のように糸を引く様子がまざまざと映し出される。一体でも戦車砲並の効果を発揮する炎。あのサイズなら必殺といって差し支えない。
だがその砲火が僕に、なんの超装備も持たぬ僕に見切られていた。
止まっていた。全てが。画面に釘付けになる僕はそれこそ体の隅々までピンで固定されたようだ。写真のように静止した白い炎と青黒い肉。
必殺は既に打ち出されていた。聖の兵装はその権能を発揮していたのだ。
色 是
不 大
異 神
石
是 不
大 異
明 色
呪 即
是 是
火
即 上
是 無
色 呪
円盤から火花が散り、消えることなく無窮を刻む。目に焼き付く間も無く何もかもが凍りついた中、聖の体から何かが放射されていた。
紐だ。太刀から伸びるものと同じ文字の螺旋、いやそれより太いか。聖の体から全方位に散乱し、無辺に繋がるその線は、むしろ棒、いや塔に見える。
ばきん、と音が響いた。あり得るはずがない。心臓の鼓動、息遣いさえ届かない静寂を砕く破壊そのものの音。
幾十条もの探照灯の光線のような塔。その中間から手が生み出されていた。銀の 手甲に発光器官が並ぶ黒い手のひらは聖のものに違いない。
ばきん、と音が届くごとに、塔の奥、絡み合う二重螺旋の経文がほどけて、あの特徴的な兜が、くすんだ銀の鎧が、赤い単眼と黒い脚が次々と表出する。
全身が完成すると、ばらけていた塔が収束し、捻くれた軌道を編み上げる。
その墨書の海を半透明の幽体が泳いだ。しなやかな体躯は、しかし戦うための確かな厚みと引き絞った密度を感じさせる。
泳ぐというより泥のような抵抗をかき分けながら進む力強い腕は、石膏と蒸気機関で作り上げた一個の工芸品だ。
現代美術か悪い冗談じみた、鉄と何かの塊をすり抜けて、象牙ならぬ煤の塔は、聖のもう一つの体に魂を移送した。
全ての工程を終えて、音が戻る。
真空には莫大なエネルギーがある。本来何かある場所になにも無い、というのは大きな不安定であり、不安定には常に力が関与するのだ。ゼロに限りなく近い石火の間に、騎馬は偏在の場を跳んで因果を超えた。
聖の貫いた空間には彼女が存在したはずだったが、実在を追い抜いた後には空虚が開くのみ。
物理法則を
光った。真っ白な光だ。画面は数分の一秒、飽和した白色光を映すだけとなり、回復した時に揺れがきた。
風船が割れる炸裂を鍛造して、鋭く研ぎあげたような音の輝き。見るも無残な、元々無残ではあったが更に無残になった神輿の残骸が落ちてくるところだった。
石火の瞬きは回復の暇を与えず敵を打ち、その衝撃は彼らの持つ異界起源の結合力を上回った。
振動が本体ならば、爆発によって生まれる低圧と荒れ狂う雑音を前に情報を保全できるはずもなく。まばらに宙をかく文字たちは弱々しい。
移動の際にかぶっている事になった兜を外して生き残りを片付けていく。髪から垂れる人型が空に燃え溶けていき、後には祭りの残り香だけが横たわっていた。
しばらくあたりを見回り、殲滅した事を確認すると、神塞に背を向けて機械馬を走らせる。どこへ行くのか。知る由もないが、そこに寂寥などあるはずもない。ただ敵に向かう純粋な運動量は、彼女の持つ運命さえも感じさせる。
その形は、あるいは塔なのかもしれなかった。
それにしてもどうなっているんだこの世界。なんでミイラ?なぜあんな粘土を手に入れた幼稚園児の作品みたいにパイプなんかを刺しているんだ?
大体粉々になっているのでそんなに不気味でもなくなった灰と鉄の不法投棄物を眺めたりしてみる。たまに変なのが入ってたりして面白い。
遠くを見れば心洗われる日本晴れの天下の自然。こうやって籠の中から見ているとありがたみが分かるというものだ。
ふと気が付けば半日くらい時間を潰してしまっていた。
僕はアホだ……。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます