第8話 脱出準備
一晩開け、二日が経ち、三日目が訪れた。
何事もなく過ぎる日々。本当に何もない。神塞での生活は下手をすると元の世界のそれよりも健康的だった。朝早く―といっても太陽なんて見えないのだが―起きると通行証を床にかざして下に向かい、顔を洗いに行く。
トイレに行くのにざっと500mは歩かなければならないのは明らかに設計ミスだが、それはまあ運動にもなるからいいとしよう。でもトイレが橋のような通路の上に延々と続いているデザインはどうかと思う。
食事は3番目のドアから入ってまた通路を歩くと決まった時間ごとに流れてくる。朝夕二回らしい。洗い物は服でも食器でも5番のドアから入って置いておけば全部綺麗になる。どんな洗剤を使っているのかちょっと気になった。
ドアは全部違う通路に繋がっているのでうっかり間違えると1kmくらい歩くはめになり、昨日は朝からちょっとしたジョギング並みの距離を走ってしまった。
朝ご飯をたべると、実はこの後やることが全く無い。人がまだいたころは助け合う必要もあったのだろうけれど、一人を生かす分には過剰と言える設備だ。聖に頼めば書庫を開けてもらえるが、スクランブルがかかると閉じ込められるので心臓に悪い。これは何度頼み込んでも止めることを頷いてくれなかった。
2日目まではただただぼうっとしていた。とりあえず安全が保証され、やることもなく。人間をダメにするには十分な条件だ。
そして今日気付いた。これをどれくらい繰り返すのだろう。一週間で済みそうにはない。では一ヶ月?異世界に助けなんて来ない。一年経つとどうなる?季節が過ぎてまた秋が訪れるだけだ。
そしてどうなる。そして、きっと年老いて死ぬのだ。この純白の檻の中で。
それは嫌だ。絶対に。何か理由があるはずだ。呼ばれた理由が。理不尽ではあっても、こんな所で腐るのならむしろ不条理に飛び込みたい。
助けてもらった事には本当に感謝しているし、救ってもらった命をドブに捨てる真似になるかもしれないが、聖と別れることになる。
そもそもここは僕のいるべき場所でもないだろう。この世界の人たち、多分僕とそう変わらない人類が最後の砦として縋ったものだ。世界規模の余所者が長居していい場所じゃない。
そんな無鉄砲な決意をして聖を探し回っているのだが、この要塞、入り組みすぎである。地上施設にはいなかったので地下を歩き回っているが、工場に行きつくまでにどんなに急いでも5分はかかるのはどうにかしてほしい。足場も視界も悪いのでうまく走れないのだ。
工場内は三次元に拡がる通路やパイプによって見通しが極端に悪い。常になにかしら作業している機械群のために音で探すのも不可能だ。結局一つ一つの通路を見回るしかない。
時間短縮のために通路を逆に歩く。歩くというより小走りといったところなのだけれど、これでも全ての通路を通ることになれば何時間かかることやら。
しかし幸いにも聖の姿はすぐ見つかった。というか彼女の方からきた。
くすんだ銀色の鎧武者が放物線を描いて落ちてくる。手すりに着地すると全身のばねを使い、拳一つの幅で見事に静止した。膝関節から煙が吹きあがる。
「うおあ!」
当然びびる。起き抜けにこんな出会いをしたら失禁していたかもしれない。破壊力でいったらトラックと同等かそれ以上だろう。異世界転移のあとさらに転生しては笑えない。
相変わらず不気味な造形をした兜の奥に感情は窺えない。耳と口を怪物的に描写したバイザーのスリットから中が見えそうなものだが、特殊な素材をはめこんでいるのか、炭鉱の底のような闇以外なにも見えない。
聖の手が印を結び、光文字が浮かび上がる。
逆走非推奨
注意
「あ、すみません」
反射的に謝る。いや逆走禁止と言っても誰もいなければ意味ないのでは……。いやルールを守るのは大事だ。こういった小さな不注意が大事故につながるとハインリッヒの法則にも書いてある。好きな人多いよね、1:29:300の法則。
いやそうじゃない。そんな説教臭いことを言う時に便利な法則のことは今はいい。ここは決然として自身の意思を告げなければ。
「えー、聖さん」
無言でこちらに視線を向ける。迫力あるう。
「このたびは命を助けて頂いた上に、今の今まで衣食住を提供してもらい、まことに感謝しています。恩返しもしないまま不義理ではありますが、僕は家に帰らなければならないので、そろそろ外に出なければなりません」
不可
「なのでえーと、え?」
不可
「いや不可って」
居留者無断外出禁止
「き、禁止って、いつまで?」
紀伊国政府許可受理時迄
「政府って、もうなにもかも崩壊してるんだろ!?そんな許可なんて」
我外出許可権限無
「そうじゃなくって、あの門を開けてさえくれれば」
がしゃり、と鎧がきしんだ瞬間には上下二連の散弾銃剣が構えられていた。ことさらゆっくり、聞きわけの無い子供を
我権限無
紀伊国許可受理迄待機求
言葉も無い。反論なんて出来る訳もなく。
つまりこういうことだ。聖は僕を出す権限も考えもなく、彼岸のかなたの政府が許可を出すか僕が彼岸に行くまでここに閉じ込める気だ。
それは善意なのかどうか。いや、自らの意思でやっている訳でさえない。ただ任務を遂行し続けているだけだ。彼女の意思ならともかく、惰性で死ぬまで缶詰めにされてはかなわない。彼女にその意思がなければこっちの意思で脱出するだけだ。
しかし逃げるといったところで僕はゲシュタポに捕らえられたジョンブルじゃないし、この要塞の地図を刺青で彫っている訳でもない。平均より逃げ足の速い走力B程度の男子高校生だ。作戦が必要になる。
タフな男なら筋肉で脱出できるだろう。しかしたとえ腕立て伏せを毎日100回やっても僕はアーノルドシュワルツネッガーにはなれない。インスタでパフェの写真を撮りつつ筋トレなんかするとムキムキになっちゃうじゃーんとかスポーツ科学を舐めくさっている発言をかます女子が7
そうなるとハイテクそうな装備を整えたサイボーグ少女の監視をかいくぐり、不整地三次元機動なんでもござれなロボ馬の追跡を振り切らないといけない。
ということで、夜通し考えようとして聖に強制的に寝かし付けられたので実質4時間くらい考えたアイデアを実践してみる。
その1。適当に言い訳を並びたてて出してもらう。別にそのまま脱走しようというのではない。逃げるにも周囲の環境を把握していなければ首輪を付けられて殺し合いさせられてる中学生と同じだ。とにかく一回でも出てみる。ダメで元々、聖だって強圧的ではあっても横暴ではない。可能性はある。
「聖さん。聖さん」
朝僕を起こしに来た聖に話しかける。自分でもびっくりするほどわざとらしいゴマすり声に嫌な顔一つせず振り返った。兜を被っているけど、こういうのは雰囲気の問題だ。やはりいい人。
「昨日は僕も無理を言ってしまって申し訳ない。でもずっと閉鎖空間にいると精神衛生上よろしくないと思うんですよ。なのでちょっとだけ、5分でいいから、外の空気を吸えたらいいなーなんて」
期待を込めた目で不気味な造形のバイザーを覗き込む。果たして大の男のおねだりがどれほどの効果を発揮するのかは未知数だが、やらないよりはましなはず。ましなはずだよね!
聖はいつものように無言で考えるそぶりを見せたが、そのまま回れ右すると壁に手を当てて、本殿らしき建物に続く廊下へ消えていった。やはり男子の猫なで声は気持ち悪いだけだったか。なんとなく分かってはいた。
そんなどうでもいいことで反省していると、聖はすぐに戻ってきた。なぜか台車を押して。乗っているのはちょうど証明写真の自動販売機と同じくらいの箱。けっこう重いらしく台車のがらごろいう音がえらくうるさい。
僕の隣のベッドの前でぴたりと止まり、台車から分厚い木製の箱を下ろす。箱の端からケーブルを引き出すと、床に接続し始めた。いつの間に端子ができたんだ?作業を終えると箱についているドアを指さす。
入ってみるとゲームの筐体のような内装だった。戦闘機の操縦桿みたいなコントローラーと大きなモニター。画面が映ると、外の景色が目に飛び込んでくる。
「おお!」
偵察用なのかなんなのか。本当はこちらから行かなければ見れないのだろうけど、一人だけの居留者にサービスしてくれたようだ。コントローラーを倒すと上下左右に、ボタンを押すとと拡大、もう一度押すともとに戻る。移動中にしがみつきながら見ていた景色とはまた違った良さがある。
「ありがとう聖さん!これでなんとかなりそうだよ」
頷いて親指を立てる。そのゼスチャーこっちにもあるんだ。そのまま台車を押して出ていった。
外の景色が見れるだけと言えばその通りだろう。だが読みづらい本くらいしか娯楽が無い中で外の景色を展望できるのは嬉しい。飴と鞭でごまかされている気もするが、ストレスで胃を痛めるよりはマシに決まってる。
それに人がいない分幻想的な世界だ。とうとうと両脇を流れる川に周囲を囲む山脈。昔は田んぼだっただろう湿地にも若木が生えだし、その横をミイラ化した牛が二足歩行で通り過ぎる。
「ん?んん?」
ちりりりり
ちりりりりりりりりり
また鈴が鳴った。どこかで
草むす大地を這いずり、あるいは点在する茂みをかき分け、さらには廃墟と化した住宅地の合間を滑って来る。
どこに潜んでいたのか。あるいはどこかから進軍してきたのだろうか。あの焼死体に負けず劣らずの異形の軍団が隊列を成して神塞へと向かってきていた。
それらはカオスなようでいて、何らかの秩序に統率されているようだった。分散していた化生の群れが集うと、まずミイラ化した牛や馬が一定の間隔で並ぶ。
本来偶数の蹄を持ち四つ足で移動する獣達は、前足に枯れ木のような指を得て、直立して歩く技を覚えていた。
その手に握るのは、曲って錆びついた鉄骨や自転車、車のドアなどのそれなりに大きな金属部品だ。
それらを叩きつけるように組み合わせると、ひしゃげた金属塊が即席の土台へと変わる。
その上に犬猫を始めとした比較的小さなミイラが乗り、更に体に突き刺さったりくわえていたりする金属部品を噛み合わせ始めた。
馬鹿げた悪性腫瘍のような神輿の上に、百は下らない数の人型の屍が座り、そして一斉に唄う。
「 懺 我
痴 今
之
由 昔 我
皆 身 瞋
悔 無
所
業 従
生
貪 口意
」
俯瞰すれば田園の一部が煙って見えるほどの文字の黒雲。液体のように対流するそれらは、生物のおぞましさと無機質の不気味さを兼ね備え、隙間から覗く怪物たちは深夜のパレードのようだった。
右舷に逆さに据えた鐘がわんわん震え、垂れ下がったアンテナが看板にぶつかってがんがんと騒いだ。
電飾のように絡まる銅線が火花を散らすと、車のエンジンが炎を上げる。家電製品がぶつかり合い、標識がドラム缶を叩く。
常軌を逸した乱痴気騒ぎの行列だ。ちょっとした家ほどになった神輿を中心に、屍人と地獄の獣どもが長蛇の列となって攻め上る。先頭を走るのは干物のようになった犬だ。何故か鎌や鉄パイプが体中から飛び出ている。口から湯気のように黒煙を吐き出して川に近づいて。
その頭蓋が三叉の爪に砕かれた。次の瞬間には円盤に両断されて開きになる。燃え上がるように赤いヘッドライトが冷たい眼光で前方を照らし、吹きすさぶ向かい風が紙垂を巻き上げる。
身を包む装甲は風雪にくすんだ銀の色。兜の両目にはそれぞれ人の耳と口を模した奇妙な意匠。
絡繰の馬が跳ね、聖はためらわず黒雲の中に突っ込んで行った。
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