第7話 過去

 非現実的なほどに潔癖な明るさを維持していた地上とは打って変わって、地下はより要塞然としていた。むしろダンジョンと言ってもいい。通路が狭いという事はない。むしろ大型車が通れそうなほどの幅と高さがある。


 しかし薄っすらと光を降らせる電球に、通路全体の暗闇を押し退ける力は無く、結果として左右から迫る薄ぼんやりとした垣根に肩身の狭い思いをしている。

 といっても、そう思うのは僕だけかもしれない。前を歩く鎧姿の少女は視界の不安など微塵も感じさせない確固とした足並みで進んでいる。

金属部品がむき出しになっていた彼女の右貌が浮かぶ。多分暗視も可能なのだろう。長いこと彼女以外通る者もいなかった通路なら、この程度の光量で十分なのかもしれない。


 こん、こんと空っぽな音が床から鳴る。足音は熱いコーヒーに溶かした砂糖のように消えた。竹の床というのは歩き難い事この上ないのだが、設計者にそういったデザイン上の配慮は無かったらしい。比較的細いものを使ってはいるが、滑りやすいのはいただけない。

 だが植物性の材質だけあって割合空気が良い。気温もひんやりとして歩く分には快適だ。


 道は左右に曲がりくねり、奥が隠れるようになっている。塹壕なんかは横からの射撃で全滅しないようにこんな風になっているらしい。

 どこからか大きな機械が回る、こもった音が反響してくる。重々しい水の落下音も聞こえるところをみるに、発電機かそれに近しい何かがあるのかもしれない。そういえばここのエネルギー源は電力でいいのだろうか。

 しばらく進んでいると水音が徐々に大きくなり、扉が並んでいる通路に出た。分厚い木製のドアは、僕の両腕を開いた幅より広い。降り積もる年月の作用で表面は素焼きの土器のような色合いを帯び、あと何万年かでそのまま化石になりそうな威厳がある。


 聖はドアノブを回すと、中の様子を探るように1拍おいて、一気に横にスライドさせた。風圧がこちらまできて髪を揺らす。ドアノブは壁にはまると、かきんと音がしてロックされる。ここの機構はやたら仰々しい。

 

 雑多な音が流れ出してきた。水が撹拌かくはんされるざわめきと、地の底から回転し、絡み合い、運動する機械の轟き。広い。というかでかい。無駄にでかい。建て売りの住宅くらいは飲み込めそうなパイプが、掘り返された木の根っこのように幾本もつきだし、その先から円筒形の塊となった清水が吐き出される。

天井は地下だからそこまで遠くないが、下は巨大ロボットの一つは詰め込めそうなほど深い。その空間に所狭しと繁茂しているごちゃごちゃした歯車やピストンやがんぎ車にばね、軸、クランクその他もろもろ。


工場を地下に埋めたような状態だ。上下左右関係なく走る土管の間を縫うように、木製の階段が続いている。

 高所恐怖症というわけではないが、流石に下もろくに見えない場所を平然とは歩けない。意味もなく手すりにつかまりながらくすんだ銀色の背中を追う。


 洗浄機、のようなものは10mほど降りた場所にあった。木製のベルトコンベアにつけるように通路が流れ、奥に洗浄槽が見える。

洗い物を置くと泡立つ水に落ちる。また階段を下りていくと、洗い終わった食器が水の流れに乗って吐き出され、プロペラからの温風で乾燥されて、最後に謎のロボットアームによって棚の上に乗せれれるところまでが観察できた。


 ここまでで200mは歩いている。工場までの道のりに帰りの分まで足せばキロは固いだろう。運動になるからいいのか?しかしお年寄りの人とかはどうするつもりだったんだろう。

 僕らが通ってきた階段の他にも様々な通路がさながら熱帯雨林のごとく重なり合っている。湯気のたっている場所はお風呂だろうか。止まっているラインもある。それぞれがどれかの扉に繋がっているはずだ。

たぶん地上の建物は全て居住スペースで、インフラなどはこの工場に集約されているのだろう。


 食器を持って進み続けると、階段が上りに変わり、一周して元のドアに戻っていた。こちら側にはノブが無い。閉められた時に中にいれば閉じ込められてしまうわけだ。

 金属が使えないために冗長なしくみになっているが、決して技術力が低いというわけではなさそうだ。一杯まで人を入れればちょっとした町くらいの人口はまかなえるだろう。そのための施設のはずだ。では人はどこにいるのだろうか。


「あの、ここって無人なの?ずっと?」


 聖が指さす。僕を、そして自分を。


「いや、そうじゃなくて、僕たち以外の、ここに以前から住んでいる人は」


 首を傾げる。思い出しているのか、言っている意味が分からないのか。生物的な意匠の兜ごしからは察することも出来ない。しかしすぐに頭を戻すと指が閃いた。


保存


「保存?」


 頷いて、下を指さす。下の階層で仲良く暮らしている、という訳ではないだろう。保存、つまりどうやってか肉体を休眠状態にしているのか?あるいは遺伝子の類を冷凍しているのか。やはり込み入った話になると要領が掴めない。


「その人たちに会ったりとかは」


 首を振る。ですよね。

 ドアから出てノブを握ると、また接続が切り替わる音がして引き戸が閉まる。ごうごうと響いていた大機構の鳴動が収まり、地下の静けさに驚く。まだ唸りが残ってはいるが、気を引くようなものではない。


 聖が奥へと歩き出した。どこに向かうのか、言葉はやはり無い。質問にはそれなりに返してくれるし、説明する気はあるようだが、どうも言葉が足りない。

かといって怠慢とは無縁そうだし、どちらかと言うと大雑把というか、雑な感じがする。やたら字数の多い職に就いているようだし、これがいわゆるお役所仕事と言うものなのか。


一本道の通路は綿花の玉のようにこんがらがって、微妙に傾いた下り坂が地味に足にくる。

見えるものといえば、暗黒に形ばかりの抵抗を示す灯火と、急に立ち上がったように現れる扉だけ。暇つぶしに数えていた歩数は千を超えたあたりでわからなくなってきた。

聖が立ち止まる。下を向いて歩いていたために頭をぶつけた。


「あでっ」


思わず情けない声が出る。痛い、がそれほどでもない。驚くほどの反発力で頭が弾む。金属だと思っていた鎧だが、少なくとも表面は違う材質のようだ。

聖が竹の床を蹴る。かこんかこんと竹が脇に避けて行き、暗い光の向こうへ消える。

下は石の塊だった。巨大な正方形のタイルに長々と文字が描き連ねてある。傘状に広がる文字列の中心に、大きな封の字。いかにも大変なブツが入っている感じだ。


一辺10m近い石の蓋、その端に手をかける。人が動かすにはあまりに巨大なサイズ。その灰色の重石に線が走った。

 橙赤色の触手のような曲線は、やはり文字の塊。手のひらから流れ出す光の奔流は、聖が指に力を込めるとより強く輝く。装甲に包まれた背筋が盛り上がり、石の蓋が浮いた。


 大根でも引っこ抜くかのように勢いよく持ち上げる。慣性のまま天井にぶつかるまで引き出された石板が、ずん、と重く低く震えた。

出てきたのはハシゴだ。木製のほこりでくすんだ横木を踏み、底に降りる。


暗いせいもあって奥が見えない。だがどんな場所かは分かった。嫌になるほど続く本棚に囲まれている。書庫だ。

棚の高さは、少し手を伸ばせばてっぺんに届く程度。等間隔に並ぶ列と、切れ目無く伸びる行は不気味ですらある。というか切れ目くらい作ろうよ。不便でしょ、これ。


 聖が向かったのは本棚ではなく、その手前の機械。むきだしの歯車やパイプの上にボタンが乗っている。突然手を引っ張られた。

 わ、と言う暇もなく大きなレンズに手を押し付けられる。カメラのフラッシュのような閃光が肉を透かして網膜に焼き付いた。

 ちかちかする目をもんでいると、うぃーん、といかにも稼働していますというふうな唸りがして、御札が印刷されてきた。


崩した漢字が円形に並び、中央に丙と大きく書かれている。それをちぎりとると僕に手渡し、本棚の間に引っ込むと、大判のアルバムのような本を載せて来た。


「えっと、これは?」


通行許可証 及 服務規則


それだけ書き放つと、動きを止めて待っている。ここで読めと。まあこれを持ったままハシゴを登るのは骨か。

とりあえず棚の反対にあった椅子に座り、机に本を置く。


ちりりりりり

ちりりりりりりりりり

ちりりりりりりりりりりり


物凄い数の鈴が、どこかで鳴り出した。一つ一つの音色は心地よくさえあるが、とにかく数が多い。秋の野原の虫の合唱か、神楽鈴を束ねて一斉に鳴らしたようだ。


僕がその音に反応した時点で、聖は駆け出していた。鈴の音を押し退けるように、蹄の怒声と円盤のいななきが近づいてくる。

聖がハシゴを駆け上がりー本当に脚だけでリスのように登って行ったードリフトの火花が落ちて来て、入り口が閉まった。

床がたわんで足が3cmほど浮き上がる。

入り口が閉まった。ハシゴの下から石の蓋を見上げる。蜘蛛の糸の入る隙間もない。

閉じ込められた。


「え、ええ……」


どうする?どうしようもない。試しにハシゴを登って天井を押してみるけれど、当然ビクともしない。

鈴のさざめきはいつからか止んでいたが、状況の説明などは一切なかった。放送くらいしてくれてもいいんじゃないかな。


なんとなく歩き回ってみる。聖はどうしたのだろうか。何となく緊急事態、スクランブルで出動したのだとは分かる。またあのミイラのような化け物が出たのだろうか。

すぐに倒せたらそれでいいけど、もし長引いたら?最悪返り討ちになる可能性だってある。そうなるとどうなる。

地下室で孤独に干からびた、あの異形そっくりの自分が思い浮かぶ。


「いや、いや!そんなことあるわけない。うん!本でも読もう。知識は大事だ」


自身を欺瞞して本棚の下から適当に本を取る。机には小さな電灯があったので、黄ばんだ光の下革の表紙を開いた。


どうも新聞をとじたスクラップブックのようなものらしかった。元号は光仁。見覚えはもちろん無い。文字はわかるものと理解できないものが半々くらいだった。

しかしこの本の編者がどのような意図を持っていたかははっきり見てとれる。


"業"


その文字はどの記事でも最も多く使われていた。






生命体か? 確保した試料から炭素以外検出されず


  生態は寄生虫に似る



発声に伴い繁殖


血液の黒変 墨の如し



幼児への感染防止の為手術の要有り


死体が変質す

千度以上で焼却


国軍出動







戒厳令発令



"業"の正体判明


空間媒質エーテルを伝播する振動情報体 異界起源




魑魅魍魎ましてや神の類に非ず


流言厳に慎むべし







東都封鎖



対"業"兵員を徴募 四半世紀ぶり徴兵制復活か





都道府県制維持困難


国郡里制に移行


どれほど後退するのだ






感染者千万突破


既に把握不能なり


人口は半減しているのではないか?



地下へ人員の保存開始



禁裏封鎖 最大規模の保存事業



兵制確立


一部女子に特別任務



対"業"作戦に光明 兵員生産軌道に乗る



国際社会と共同せよ 人類危急存亡なり









地方の変質体減少



感染する者も無く、寂しい限り


東都奪還作戦に加え、一部人類大気圏外へと避難






内閣より通達


全人類の避難は不可能事


臣民覚悟を持って国難にあたるべし



避難民は技術者、健康児童計3432名



内閣これに含まず



戦闘永きに及び、犠牲数知れず 形勢良好ならずして、軍神の死闘に応うる事もならぬ我らの無力、臣民兵士に陳謝す


親類家族、最早残る者を数えるが易し



慚鬼に耐えず


残存兵力15万及び改変装士2000を東都奪還若しくはこれの破却に用い、事後国軍を解散




改変装士は各国に分散し臣民の保護に任ずる








東都奪還ならず

大規模異常攻撃により関東崩壊




読めない部分を次から次へと読み飛ばし、新しい方へと進んでいく。10冊を超えてから時間感覚も曖昧だ。

これから先は全国の記事はのっていない。紙の質も一気に悪くなり、印刷も恐らく手刷りに、内容はこの神塞の中の当たり障りのない日常を描写している。

誰もいない不落の要塞。何もなかったはずはない。あるいは己らの醜態を後世に晒すことを恥じたのか。


ただ最後の一冊の末尾に、書き殴るようにして記してあった。






鬼め きさまはもう用済みだ



考えるまでもない。この世界の人類は滅びた。少なくとも文明は崩壊し切ったのだ。

あまりに劇的に。あまりに凄惨に。あまりにも異常に。


では、彼女は誰なのか。最後に残った、いつからいるのかも知れない無用の戦士は。

そして、僕は誰だ?なんのためここに来た?


疑問に答える声に代わり、天蓋が開く地震のような振動が訪れる。

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