第6話 社の下

 起きるとベンチの上だった。辺りを見回すとごった返す人の波に、垂れ下がる広告の群れ。イ〇ン?


「兄さん、起きたの?」


 妹が目線だけこちらに向けて何気なさそうに言葉を投げる。


「喋ってる」

「当たり前でしょ。寝ぼけてる?いきなり眠いとか言い出して、お守りするこっちの身になってよね」


 淡々と眉根を寄せつつ文句を言う。まあいい歳した兄貴がベンチで爆睡していたら不機嫌にもなるだろう。なんだかんだ隣にいてくれたことには感謝しかない。愛想がいいとはいえないが、優しい妹を持ててお兄ちゃんは嬉しい。


「なに、気持ち悪い目をして気持ち悪い。そんなキモイ目をして普段からなよなよしてるから気持ち悪さが二乗されて気持ち悪いんだよ」

「後で何回気持ち悪いって言ったかクイズ出せそうな勢いで気持ち悪い連呼しないでいただけると嬉しいんですが」


 あとこれでも陸上部だから結構鍛えてるんだぞ。長距離だから細いだけで。


「私にとっての鍛えてるは庭先でガン=カタの修行するくらいが基準なの」

「それちょっとハードル高すぎだと思うんですがね」


 ご近所さんから丸見えの状態であの動きは辛い。我が妹ながらなんでこうも辛らつになってしまったのか。


「ん?」

「どうしたの?」

「いや、あれ?」


 おかしい。そうだ、目の前に妹がいる。間違いない。妹が。

 名前、なんだっけ?


「まだ眠いの?具合悪いなら帰ろうか?」


 帰りたい。そうだ、返りたい。家に、家はどこだっけ。どうやってここまで来た。妹の顔が、目の前にあるはずの顔が、思い出せない。心配そうな声が、解るのに。

 無意識に出口に足を運ぶ。帰りたいという欲求が体を引き付ける。妹に支えられてドアに手をかけ。

 

 床から先が無い。崖、いや建物の上だ。コンクリートの外壁が延々と。根本は針先よりも小さく、地面は見えない。真っ白な空とも雲ともつかない空間が全てを飲み込んでいる。上を見るとこれも同じ光景。上も下もあるのだろうか、ただ続いているだけだ。それはまるで。


「塔……?」


 塔だ。天まで伸びる、傲慢そのもののような建築。四階ほど上、その窓、いやドアから身を乗り出す者がいる。僕の学校のものではない、古めかしい学生服を着た、細いけれど引き締まった男。歳は若そうな。髪はあごの近くまで伸ばしている。顔は、上を向いているためうかがえない。隣には顔を思い出せない妹が。


 横を見た。妹が、いる。


 上の僕も見た。


 下の僕も見た。


 その上の僕も、その下の僕も、その上の上の僕も下の下の僕も上の上の上の下の下の下の上の上の上の上の上の上の下の下の下の下の下の……。


 塔があった。果てしなく続く時が。記憶と、自我と、僕を構成する何もかもが混ざり合い、その果ての果てにもう一つの塔と重なり合って。





かしん


「わっ!?」


 金属質な足音が鼓膜をつつき、脳が意識を一気に覚醒に導く。目が乾いて周りがよく見えない。ほこりっぽい空気が鼻孔に充満している。ぐっと顔に力を込め、まぶたを湿らせて開く。年月を経た木の光沢が四方を囲み、床から生えてきたようなベッドが並ぶ。

 そしてただ一つ無機質な輝きを宿す甲冑を纏った武者。聖だ。


「また夢か」


 最近、といってもにきてからまだ24時間たつかたたないかだろうけど、よく夢を見る。やはりストレスが溜まっているんだろうか。この状況では当然だな。

 聖は兜をかぶったまま、相変わらず無言でこちらを見やる。観察しているのか、あるいはただ待機しているだけだろうか。どっちかというと後者のような気がする。


「えーと、ごめんなさい。どうしても眠くなって。あ、あとこの服はぴったりで、ありがとう」


 沈黙。どうにも会話の糸口がつかめない。声を出すことは出来ないらしいが、あの光文字をもうちょっと積極的に使ってくれると助かるんだけど。

 いずれにせよ喧嘩ではどう考えても勝てっこないのだから、仲良くと言わないまでも多少のことは知り合いたい。今の今までで分かっていることときたら、女の子で、改造人間で、物凄い強くて、あとは何かと戦っていることぐらいだ。これさえ確度の高そうな推測に過ぎない。

 今はあの機械の馬らしきものは連れていない。どこかに停めたのだろうか。手に箱型の雑嚢ざつのうを下げている。それに目が行くと聖の腕が上がり、僕の目の前に突き付けられる。


「ええっと、つまり、配給?」


 頷く。今度はなんだろうか。衣と住は提供された訳だから、順当にいけばご飯だろうか。

 とりあえずベッドから降りて受領する。開けてみると銀紙に包まれた直方体の物体と、500mlくらいの白い紙パック、オブラートに包んだオレンジ色のキャラメルのようなものと陶磁器製のポットが付いている。

 紙パックと飴は理解できるが、直方体は何なのか。持ち上げてみるとずっしり重い。手触りは柔らかい感じだ。匂いをかぐと、ゴマのような香り。油?


「これは、どう食べれば」


 言い終わる前に取り上げられる。ベッドの下から片手で脚の長いちゃぶ台みたいなテーブルを出し、足で展開。スーツケースに入っていた太い水筒のようなものを置いて、中身を入れようとしたところで止まった。

 首を傾げてしばらく、爆弾を解体するような手つきで銀紙を摘んで持ち上げようとする。はた目から見てかなり不気味だ。顔を出していれば慣れない作業に奮闘する女の子だが、左右非対称の昆虫とも骸骨ともとれる兜を装着している状態ではそれこそ細菌兵器でも扱っているように見える。

 

「あ、あの、代わる?」


 恐る恐る提案すると、気分を害した様子もなくこちらに渡してくる。開けてみるとゴマの匂いと共に茶色っぽい固形物が出て来た。黄色い麺が練りこんである。なんとなく食べ方に想像がついた。

 水筒っぽい容器に油の塊を入れてポットからお湯を注ぐ。みるみる溶け出すと,

いちだんと強い獣脂の臭気が漂う。半生の麺は熱湯でほぐされてどろどろのスープの中を泳いでいる。具は無いが見るからに三大栄養素満点だ。というかスープが具に近い。

 ラーメン、いや次郎か。長期保存に向いているし、簡単に作れるのは魅力的だ。だけどまさか三食これとかはないよね?


「い、いただきます」


 恐る恐る麺を一本すすってみる。


「どす濃い!?」


 サラダ油より濃いんじゃないか。確実に一杯2000を超える猛カロリーが消化器官を襲う。香ばしい風味は悪くないがとにかく油だ。食事と言うより給油に近い。紙パックの飲料で油を流す。こちらは甘酸っぱい乳酸菌飲料のような味だが、どことなく青臭いというか、薬品っぽい。健康に配慮しているから飲め、飲み切れ、という意思を感じる。

 飴はまあ、素朴というか、駄菓子のような甘味と柑橘類の味でけっこう好きだ。

 胃もたれを起こしそうなメニューだが、大量のエネルギーを効率よく補給して、消化を助けるための補助飲料とし好品の組み合わせのあたり、それなりに考えてあるんだろう。でもこれを寝起きに食べるのはちょっと苦行だ。

 なんとか食べ終えて合掌。胃の中に粘度が残っている。そういえば炊事場はどこだろう。洗い物を片付けないと。


 そんなとぼけた心の内を知ってか知らずか、聖がこちらをじっと見てくる。兜に隠れてどこに目を付けているのかは分からないけれど、たぶん付いて来いとでも言いたいのだろう。無口だけど、いやそれゆえにか感情表現はストレートだ。


「洗い物は、持って行ったほうがいい?」


 頷く。その場で綺麗に回れ右をすると、部屋の中央まで歩いていく。なにか印でもあるのか、ぴたりと止まるとかかとで床を叩いた。

 ばきん、とベニヤ板が割れたような音がして、床の一部が跳ね上がる。ちょうどどんでん返しのような動きだったが、どこから動力を得ているのか。考えるだけ無駄と分かってはいても気になる。

 床下から現れた木製の階段を下りていく。鎧の重量を億劫そうに支える板の、ぎいというきしみが何処か不気味だ。奥は暗くて見通せない。小さな白熱球が足元を浮かび上がらせるだけだ。

 少しためらうが、どうせ改造人間たる聖が対応できないなら僕なんて隠れることもできやしない。遅れを取り戻すために足早に降りる。

 聖のごつり、と重い足音と、それに続いていく僕のとたとたと軽い靴音が地下に潜り、しばらくすると背後の明かりが静かに閉じていった。

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