第4話 嘆きの道

ギュィィィイイイキャオオオアアアア

ドガガッ ゴカッ バガッガカッ


うとうとしながら、眠りに入ると蹄の音に起こされるのを繰り返す。空気が藍色に色づき始め、影の中からモノクロの世界が現れる。いつの間にか道に出ていた。

かつてはコンクリートで舗装されていただろう道路は、植物の旺盛な生命力に屈してひび割れている。草の上、無造作に浮かぶコンクリートのかけらは、歳を経た亀の甲羅のようだ。


近代文明の産物の寿命は短い。それは材質のためでもあるし、大量の生産を前提にした社会構造において長持ちは害悪ですらあるためだ。

いまだ当時の姿を残すものは、素人が作ったような地蔵だけ。苔に呑まれ、風雨に摩耗してなお粗雑と分かるでこぼこの体。両目と鼻と口の4本の線を刻んだだけの顔は、しかし見る者の喉に食らいつくような痛切さを帯びて。

そんな手作りの仏がいくつもいくつも、道の続く限り置いてある。形も大きさも不揃い。大半は腐り落ちて見る影も無いが、木造りの地蔵もある。本来はこちらのほうが多かったのかもしれない。


病を自ら引き受けて民衆を救済する、ほうそう地蔵というものがあったと歴史で習ったが、これもその類いか。

石くれに託す願いの切実さ。力無く倒れふす今となっても、脳裏にかつての景色をよぎらせる。縋った者達の末路は、無言の武者が駆け抜ける道が語っていた。


言葉も無く道の脇を眺めていると、オレンジ色の枝が目に入る。


「あ、柿だ!すみません、ちょっと止まったりは、できないですか」


ちょっと噛みそうになったが、これを責められるのは心外だ。鎧に身を包む聖はかなり怖い。顔からして左右非対称で、単純化された耳と口の象形文字が、それぞれ右目と左目に付いているし。

馬が止まり、聖が振り向く。鎧は武骨な鈍い銀色。身体の線に合わせたパワードスーツの上に、動きを邪魔しない程度に装甲を上乗せして、さらに防御の薄い関節や脚部を守る楯状のパーツ。

かなりごつい。鎧の上からまた鎧を着ているようなものだから、遠目で見たらその線の細さには気づけないだろう。面と向かうと無意識に後ろのめりになる圧迫感がある。


「あー、えと、柿を取っても」


シートベルトよろしく文字で編まれた紐に繋がれて身動き出来ない。まあこれが無ければ乗馬の経験皆無の現代百姓たる僕は、あっさり落馬して死んでいただろうけど。


 少しの間顔を覗き込んでいたが、また無言で正面を向く。紐が薄くなると、いつの間にか消えていた。軽く頭を下げて感謝の意を示し、馬から飛び降りる。どうも気後れしてしまう。あちらからは何も話さないどころか、光文字での筆談さえ積極的には取らない。ほとんど身振りだけで済ませてしまう。


 柿の木の枝に取り付いてしならせる。ちょうどいい高さに実がなっていた。ナイフなんて持ってはいないので、出来るだけ熟した、手で剥けそうなものを取る。田んぼに突っ込んだ時についた泥が乾いて顔に降りかかる。うっとおしい。


 いつ襲われるか分からない状況でのんきなものだが、実際一晩なにもお腹に入れずに起きていたのは辛い。それも化け物から逃げたり馬上で観戦したりと大忙しだったのだ。どうしても甘いものが欲しくなる。

 とりあえず四つほど虫食いの無いものを選んで持っていく。独り占めも意地汚いので、とりあえず聖に渡そうとした。


「一つ、食べ、ますか?」


 無言、静かにこちらを見下ろしている。やはりいらなかっただろうか。そもそも食べる必要があるのかも分からない。顔はそこまでメカメカしくなかったから、食べられないことはないんじゃないかと思ったが。食事が不要ならむしろ失礼だったかもしれない。

 謝ろうとしたとき、兜が開いた。物理的に冷ややかな水晶の右目。青みがかったそれは、梅の花が開く季節の青空のようで、左の深い穴のような瞳孔と対称をなしている。


しばらく赤みの強い橙色の果実を眺めていたが、無表情で馬上から身を乗り出すと、大口を開けてかぶりつこうとする。


「ってうわ!違う違う!」


驚いて手を引くと、歯が噛み合わさってがちんと音を立てる。地面と水平な姿勢のまま、無言で目があった。

眉一つ動かさないが、不満そうな雰囲気だ。


「いや、皮ごと食べるんじゃなくて、こう、あっ」


手で皮を剥こうとして気づく。彼女の手は発光器官に覆われている。意思を疎通するための道具でもあるし、昨夜のバリアのようなものを張るための兵器でもある。

脆いものではなさそうだが、表面を無闇に汚したくないのだろう。これは僕が無作法だった。

皮を剥いて中身をさらす。今度は食べやすいように口の前に持っていった。

やはり無言で、大口を開けて半分ほどもかじる。少し頬を膨らませながら、何を考えているか分からない目のまま口を動かしていた。


吐き出したりしないかはらはらして見守る。不味そうな気配は出していないが、そもそも表情筋が稼働しないため気分が掴み辛い。

口だけがもごもごと咀嚼を続け。


ばりべきべきぼりん


「種は吐き出すの!ほらぺって!」


ぺっと粉々になった種を吐き出して、残りを飲み込む。凄い顎ぢからだ。

腰を曲げて頭を下ろすとまたかじる。全部口に消えた。気に入ったらしい。

僕も新しい柿を一口食べる。

果物は濃い薄いの違いはあれ、大抵癖のない味だが、この柿というやつの自己主張の強さときたら。

どろりとした流動食のような果肉が、強い甘みと独特の風味を連れて喉を通る。種の周辺部だけはこりこりとしていて食感が楽しい。空腹もあって、甘みが口内から直接脳に運ばれているようだ。

僕は大好きだが、人を選ぶ味と言われればそうとも思う。

日本の花と言えば桜だが、果物となれば蜜柑みかんか柿だろう。あらゆる果樹の中でも最高峰の糖度は、有史以来から日本人にとっての甘味そのものだった。


あるいはこの道を歩いた者達も、当てのない逃避行の慰めとしてつまんでいたかもしれない。

一つ、地蔵の前に柿を置く。不器用な小学生の粘土細工のような出来だが、疲れ果てた身でなお刻んだ石には相応の意思が感じられた。

きしり、と鎧がこすれる音。振り向くと聖が手を合わせていた。閉じた左目と、瞼自体が無い右目。結晶質の瞳はただ散乱する光を閉じ込めるだけ。

そこに心があると感じるのは、草むす石像に食料を供えるのと同じ、要は感傷なのだろう。


 拝礼を終えると、また腰を曲げて目線が合う。いたく気に入ったようだ。

 五つほどの実が聖の口に消え、結局もう一度取りに行ってから出発した。

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