第2話 紀伊国行脚祓業使

バイクに乗った戦士。必要最低限未満の言葉で説明すればそうなるだろう。だがこの異形の対決をどう表現するべきか。

燃え盛るクレーターの中央で、そこだけ出島のように無傷の路面を踏みしめて立つ馬身蟲脚の機械獣。腹から内臓のようにはみ出した円盤は、蜂の飛翔のようにぶんと唸る。

バイクに詳しいわけではないが、どういった方式で駆動しているのかまるで理解できない。さっきから聞こえるのは互いに歯をたてる歯車のラブソングだけだ。


その獣とも絡繰からくりともつかない存在と綱引きを演じるこれまた怪異。こちらはまあまだ、死体が動くというある意味分かりやすい異常だ。先ほど火を噴いたけど。今も地面に折れた足先を付けているだけの分際で、いかにも重量級の機械獣と拮抗しているけれど。

正直どちらが敵か味方か、てんで判断がつかない。むしろ異星人対捕食者よろしくカロリー源(以下甲、つまり僕)を取り合っている可能性が高い気がする。

太刀が繋がる黒い紐が強く張っていることから、鍔競り合いのように膠着しているのは推測できるが、どちらが優位にあるのかもわからない。


しかしどちらも動かないのなら、哀れな一般人としては避難するしかない。できるだけ無関心な風を装い、四つ足で退避する。

ここでの僕の勘違いは、自分が哀れな一般人Aではなく哀れな獲物Aということで。つまり確保が勝利条件である景品が動けば状況もまた動かざるを得ないというわけで。

表皮から剥がれた炭の欠片を落としつつ、焼死体の顔がこちらに向く。同時に機械馬が地を蹴った。

実存なるものの常として、外から力を加えない限り加速する事は出来ない。機械馬も通常なら飛び出した時点から放物線を描き、速度を漸減させるはず。

だが輪郭がかすむほどに回っていた腹の円盤が地に着くと、貯められていた運動量は火花と共に解放され、更に加速。黒い紐を巻き取りながら、一跳びで100m近い距離を詰める。馬の重量と蟲の剛性を合わせ持つ金属の脚が蹴倒さんと骸に迫る。


しかし風のように迅くとも音を超えるには遅い。既に形を持った言葉が炭の口から流れ出ていた。

                

    



             


                倶  

              切  ぎょう

            一       悔

          ぎょう           過

         於     おん        洗   

        及              ぎょう 瑕

       普                   疵

     徳    びょう          ぎょう      尽 

    功  此  以  願  土  浄  生  廻  輪  出

                      
















圧縮された大気は水の性質を帯び、踊り出た馬身を受け止める。爆発。僕の視点が鳥に近づき、すぐに蟻の視点に変わった。


「うぐえ」


けったいな断末魔が漏れ、田んぼを転がってあぜ道にぶつかる。水の引いていない柔らかい地面で助かった。細かい土の粒子がクッションになったので骨は折れていない。

そうはいっても身長の倍はある高さから落ちて無事なはずもないが、内出血で紫に染まっているだろう体は跳ね起きて二体の異形を探す。

 もう恐怖を感じる心は振り切れていた。心臓の鼓動が頭蓋骨の中で反響している。血が上って顔は皮膚がはちきれそうだ。怯えが消えた後に残ったのは純粋な興奮。見たこともない者たちが想像を超えた戦闘をくりひろげているという事実に否応なく引き寄せられる。

 耳鳴りでぼけた鼓膜とくらんだ眼でも、その怪物たちはすぐに認識できた。


 あの爆発でどうやってか、機械馬は唄う躯を抑え込んでいた。バイクのライトに似た一つ目で敵を赤く照らし出し、腹の円盤をチェーンソーのように使い炭の身体を切断しようとしている。上に乗る武者は、あの武骨な刀を手にして、敵を破壊する様子を冷静に観察していた。


ギィィィィイキキィィィィギョオォォォオオオ


火花が散る。電車のブレーキのような高い不協和音。波飛沫のごとく飛ぶ火の粉さえ切り裂き、押さえ付けた受刑者を休みなく攻めたてる。

 ダイヤ製なのか知らないが、とにかく謎の力で車裂きを逃れている死体だが、力負けしている感は否めない。口から墨文字のような、生物に近いなにかが流れ出して武者に取り付こうとするが、注連縄しめなわに巻かれた紙垂かみしでに吸い込まれるようにして黒くにじむ。紙全体が真っ黒になると、その部分だけ薄く剥がれ落ち、焼失した。


強い。単純な出力、耐久力もそうだが、完全にあの謎生命体の生態を理解して対策している。言わば天敵というやつなのだろう。奇襲からずっと主導権を握り続けている。


直接攻略するのは不可能とみてか、文字状の蟲たちの流れが変わる。地面に張り付き幾重にも渦を巻くと、数十mは離れた僕にも分かる程に大地が波打った。

粒子を撹乱かくらんされて液状化した土は、外見に相応しい重量の機械獣を支えられずにその脚を飲み込む。

それで怯む武者ではないが、足場の崩壊は躯にかかる重圧を減じさせる。

その隙を突いて黒い塊が宙を舞い、山の方へ脱出する。すぐさま追撃しようとした馬が、突如機首を返した。

赤い単眼がこちらを見つめる。


「え?わわっ!?」


金属の馬身が飛ぶ。真っ直ぐ僕の方に駆けてきた。轟音と迫力に逃げ出しそうになるが、体が動かない。いつの間にか田んぼに半身が浸かっていた。


「え、これやばくない?う、動かん」


その時の僕の顔はさぞ間抜けだったろう。考えたら当たり前だ。硬い路面が液状化する衝撃を受けて、もともと柔い田の泥濘がそのままでいられるわけがない。

底無し沼にはまった時の対処法は、ひたすら動かずに助けを待つのみだという。もがけばもがくほど沈むというのは比喩ではない。

逆に言えば、助けが来ないなら静かに死ぬしかないという事でもある。あるいはあの歯車の怪物に一撃で蹴り砕かれる方がマシかもしれない。


腕が動くなら耳を塞がずにはいられなかっただろう、歯車が擦れ合う音。見る間に大きくなるくすんだ銀の鎧。顔を覆う面頬は、人の顔を模してはいるが、口は固く塞がれ、右目には耳、左目には口を歪めた意匠が彫りつけてある。

強烈な印象を残す人馬が目の前で立ち止まる。思わず出来もしないのに身構えるが、馬上の武者は何も行動しない。

情けない下賤の者を嘲笑うでもなく、しかし警戒や威嚇もせずに、ただ静かにこちらを見つめている。


「あの」


沈黙に耐え切れずに声をかけた瞬間、武者の左腕が消え、脳がそれを確認した時には既に僕に武装を向けていた。

初め感じたのは、なぜ刀ではなく手斧を向けるのかという疑問。次に斧の柄だと思っていたものが、上下二連の銃身だと気づいて息が止まる。

漆黒の曲銃床に、ほとんど六角棍のような銃身。それと一体化した銃剣は、斧と勘違いするほど分厚い。引き金にかけた指を1cm動かせば僕を殺せる立場で、やはり一言も声を発しない。


「う、撃たないで。高校生なんです。ただの。なんでかこんな所に来ちゃって。下校してただけだったのに」


焦って取り留めのない事ばかりが口をつく。銃口は僕の胸を照準したまま微動だにしない。

体の底が凍りつく感覚がしばらく続く。ふと武者が右手を上げた。

手も隙間無く装甲に覆われているが、よく見ると透明なビーズのようなものが並んでいる。急に手を握ったり指を立てると、ビーズのようなものは炎の色に輝き、空中に光の文字を浮かべた。




誰何




片手を動かしているだけなので、ひどく崩れてはいたが、何とか読み取れた。合っているかわからないが、質問だろうか。

全く違う意味かもしれないが、とにかく意志疎通ができるならそれに越したことはない。


「件暁、件暁空也です。高校生で、帰り道で迷った?のですが」


武者が僅かに首を傾ける。考えているのだろうか。また首を元の位置に戻す。ぱしり、と兜に十字の線が走り、四つに割れた。無意識に息を飲む。


「女の、子?」


冷徹が結晶したような瞳が、ひたとこちらを見据える。左目は普通の黒目だが、右には虹彩が無い。義眼だ。蒼く透き通った水晶に、無数の機械端子が取り付けられて、右のこめかみのあたりを隠している。

切り揃えられた長い黒髪。横から取った幾房かの髪を注連縄のように結って、上から三段に張っている。ちらりと見えた白い髪飾りは、紙製の人型のようだった。


その双眸のはめこまれた涼しげな美貌は、石膏のように白く、表情に一切の変化はない。そのまま顎を自分の後ろに向ける。これはちょっと意味がわからない。

また顔を戻し、今度は首を傾げると、右手で後ろを指した。自分の後ろ、つまり機械馬の後ろ。乗れと言うことか。


「いや、ちょっと動けなくって」


また首を傾げる。何となく言いたい事が分かってきた。


「ほら、さっきの戦いで泥に埋まっちゃって。今も沈んでいるのですが」


というか前腕がほぼ消えている。このままだとほんとに窒息死だ。死に方の中でも下から五本の指で数えられるだろう。

女の子の表情は変わらないが、まずい状況にあるのは気づいてくれたようだ。

刀を抜いてこちらにぶん投げ。


「ええええぇぇぇえ!?」


顔の前、両手の中間に突き刺さる。小学校入学から3年生の運動会まで幻視した。女の子の方を見るが、当然冷ややかな目をこちらにくれるだけである。

まあいわゆる蜘蛛の糸というやつなのか。ちょっと物騒だが贅沢は言えない。どうにか片手を引き抜いて柄を握る。

機械馬の歯車が噛み合う音と共に、ぐんぐんと引き寄せられる。あっさりと地に足がついた。


とりあえず伸びをして深呼吸。危ないところだった。靴の中が泥沼になっているが、この不快感も生きていてこそ。ともあれ命の恩人に感謝する。


「いや、助かりました。本当に。ありがとうございます。あの、名前なんかは、聞いても?」


また首を傾げ、考え込む女の子。思慮深い、というか人と話した経験が少ないように感じる。

両手が素早く動き、同時に発光器官が文字を描く。




紀伊国行脚祓業使




それだけするとまた自分の後ろを指し示す。長話は嫌いなようだ。


「えっと、せい?でいいのかな」


首を振る。表情は全く変わらないが、どこか不機嫌そうな気配。読み間違えたか?だけど一文字だけで見間違えるというのも。いや、読み方が違うのか。


「せいじゃないなら、ひじり?ひじりでいいの、かな」


頷く。鎧に収納されていた兜が展開して噛み付くように閉ざされる。頭が隠れると、また後ろを指した。無口というか、本当に会話の必要性を感じないらしい。

といっても置き去りにされて困るのは僕だけだ。こんな状態では感染症だって怖い。素直に馬の背中によじ登り、鎧の腰に手を回す。

役得かな、と思わないでもないが、伝わってくるのはもちろん硬い鎧の感触だけだ。


機械の馬が走り出す。腹の円盤を勢いよく回し。暗い空の下、うっそうとした森の中に入っていった。

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