8-3 天に見送る魂
暑い真夏の日に夏音が生まれた半年ほど後のこと。
紗雪はしんと冷えた雪の降る冬の晩に誕生したと聞いています。
私たちは溺れて死んだ二人のこどもの代わりにずっと生きてきました。
人間を慰めようとして人になり、自分たちは結局、本当の家族と離れて暮らすことになってしまいました。と言っても、隣に行けばいつでも会える、帰る家があると思って甘えていましたけれど。
時折さみしくなると裏庭から家に戻って、お母ちゃんの隣で眠るのです。人間の姿のままで寝入った私は、いつのまにかたぬきの姿に戻っていました。子供の頃はそんな日々を送っていました。
私は無邪気に、良いことをしたのだと思っていました。人を救った、くらいの傲慢な考えを持っていたのです。
もしかしたら間違ったことをしたのだろうか、そんな風に考え始めたのは、かなり経ってからでした。少しずつ気持ちというものの複雑さを知り、本当はただ悲しい心に付け入ってしまっただけではなかろうかと思いました。
ある日、自分たちが人間として暮らしはじめてから、成長がゆるやかなことに気づきました。だから私はお母ちゃんにも「人間になってみたら?」ってすすめたのです。ただのこどもの幼い考えでした。
そうしたら「あなたは長生きするために人間になったの?」って聞かれましたね。
「そうじゃないけど……。でも、そうしたらみんなもっとたくさん生きられるってわかったんだよ?」
「あなたは架空の人間に化けたわけではなくて、生きていた人の代わりに存在しているんだよ。きっとそのせいよ」って。それ以上何も言いませんでしたが、私がしたことは簡単なことではないことがわかりました。
どんな手段を使っても、大切な存在にはいつまでも生きてほしいはず。子を持つ親なら誰もが思うこと。幼くして死んでしまうことを、親はいつまでも認めたくないことだけは、どこかで感じ取っていたのです。
同じように親にも長生きしてほしかったのです。私だってお母ちゃんとお父ちゃんにそう願うことは罪でしょうか。
私は私なのに、ふと、この記憶は誰のものなのだろうかと感じる時があります。
あれから人間として生きて、私には人としての記憶があります。あの日からはじまったはずなのに、なぜかその前の記憶が時折フラッシュバックするのです。
たとえばお祭りの記憶。この視線は誰が見たものなのかしら? 私の隣には少年の夏音がいるのです。まるで心ごと移植されたかのように。
紗雪なのか、ぽんなのか、私は一体誰なのでしょう。
私がたぬきとして生きたのはたった1年。人間になってからもう11年。化けているけれど、もう人間としての暮らしもまやかしではないはずなのです。
*
真っ先にたぬきの家に帰ると、そこにはお父ちゃんがいました。
あまりにびっくりして声も出せないでいると、お父ちゃんは
「やったぁ、いつものぽんぽこまんじゅうゲットだぜ!」とはしゃぐのです。
あ、なんだ、わかった、こいつ弟じゃんか!
妙に体型までそっくりになって、貫禄が出たのでした。おどかしやがって、こいつ! ぽかり。(げんこつをふるう音)(ひどい姉ちゃん!)(泣く弟)
弟のせいでお父ちゃんとお母ちゃんのことをガーッと思い出してしまって、勝手に涙が出てきてしまいました。とばっちりを食らったのは弟の方ですが、私はいたたまれなくなって、そのまま人の住む隣の家の方に来ました。
「ただいま」
「おかえり、紗雪。あら、久しぶり過ぎて、泣いてるの?」
人間の母は、相変わらずの優しいほほえみで出迎えてくれました。
私は甘えて、わあわあ玄関先で泣きだしてしまいました。
民謡がだいすきで、踊りの名手の母。たおやかで、品がある、美しい舞をする人。
母の匂い、母の温もり。この人を悲しませたくなかったのです。ただそれだけだったのに。
「良かった! 二人とも無事だったのね!」
思いきり抱きしめられた時、私は自分のしたことに満足しました。死んだと思って愕然としていた母は、私を見て、本当に心から喜びました。
でも年々、あの日のことが私を苦しめているのです。こうして夏に帰ってくることも苦しくて仕方ありません。
なぜなら、あの二人が今でも沼に現れるのは、私のせい。成仏できないままに浮遊している魂にさせてしまったからです。
二人の両親を悲しませたくないあまりに瞬時に判断したことだけれど、結局誰も二人の供養をしていないのです。
紗雪のことを迎えるために用意される、胡瓜の馬も茄子の牛もいないこの家には、彼女が帰る場所がありません。本当の夏音と紗雪のために悲しむ人が何処にもいないのです。
いつか親たちが他界する時、やっと会えるのでしょうか。それも、驚きと共に。
お父ちゃん、お母ちゃんは、少年の夏音と少女の紗雪に会いましたか?
*
いつしか私は仏壇の前で居眠りをしてしまいました。
目覚めたら、廻り灯籠の灯りが揺れていました。先祖の霊を慰めるためにつけられた淡い光。
少女の紗雪が気に入って、「わぁ、きれい」って言って周りをまわっていたのを思い出します。もしかしたら今もあなたの魂が回っているのかもしれませんね。ごめんね、さゆき。
ほおずき市で鬼灯の実が並んでいた時、私はあの日の情景を思い出してしまいました。ぼんやりとした灯りが揺れて、あなたたちを探す松明のオレンジ色の光が、無数に照らし出した夜の道を。
隣の部屋から三味線の音がしています。
覗いてみると、父と母が踊っていました。曲は「かわさき」*17
月を見上げて、亡き者への供養の踊りを捧げる。
それはご先祖への想いであるはずなのに、私には亡き娘に届けるように見えてしまいました。
「紗雪、東京の踊りは楽しいかい?」
一足先に踊りを終えた父が、汗を拭きながら私の傍に来て訊ねました。
「うん。東京はすごいよ。ご当地の曲も大切にしながら、全国各地の踊りもあるんだよ」
「そうか、行ってよかったな。存分に楽しめよ」
私が答える前に、母が
「ほら、紗雪も一緒に踊りましょう。上手になったかしら」
と催促しに来たので、二人で踊りました。
紗雪、あなたにはこの光景が見えていますか。私はもう、あなた、なのです。
「踊ることは一種の弔いだ。祈りをこめないと自らも破綻してしまうよ」
これは最後にお父ちゃんに言われた言葉です。私にとってこんな難しいことを言われても、全てを理解できているわけではないのです。ただ、この先も自分にできることは、踊ること。わかっているのはそんなこと。
「ねえ、紗雪は、あの光景を夢に見ないの?」
ある日、夏音が私に訊ねました。
「見るよ。そんな時は」
私は続きを声に出さずに、心の中でこう言いました。
夏音を抱きしめないといられない、と。
ずっと隣にいて。しっぽを抱え込まないと死んでしまいそうなくらい不安と闘う時は。お願いだからずっと一緒にいてほしい。
迎え火で帰って来て、送り火で手を振る。そんな盆の夜に思うこと。
<民謡ひとこと講座>
*17「かわさき」岐阜県郡上八幡の「郡上おどり」のうちの1曲
郡上おどりの種類は全部で10種類。
おどりの最初にかかるのが「かわさき」です。
「郡上の八幡出てゆく時は、雨も降らぬに袖しぼる」の歌詞で知られています。
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