6 隣にいるのはいつも君

6-1 ほおずき市


 雨上がりの朝、空を仰いだら、ふぅっと風が吹きました。

 今週は浅草の夏の風物詩、浅草寺のほおずき市があります。


 本日の暦は七月十日です。

「この日にお参りすると、四万六千日分の参拝効果があるって、なんか無茶な話だよね。だったらみんなこの日に殺到しない?」

「人間って一足飛びに面白いこと考えるよな」


 今日は学校からの帰り道に、夏音と二人でほおずき市に寄る予定なのです。

 去年初めて行った時は、あまりの人の多さにびっくりして思わずたぬきに戻ってしまいそうだったけど、夏音にしっぽをぎゅってつかまれて、なんとか女の子に戻れました。あははは。


 夕方、まだ日が暮れかかる頃に浅草寺に向かうと、今年も溢れんばかりのほおずきが所狭しと並んでいました。

 鈴なりのほおずきのオレンジ色は遠くまで続く道の灯りのようで、揺れて揺られて、不思議と田舎の田んぼの畦道を思い出したのでした。それは蛍の光なのか、人々が持つ提灯の火なのか、おぼろげに浮かんでは消えていきました。


 ふとした記憶は、急にオレンジ色がさまよい歩く命に見えてしまって、小さく震えが来ました。

 私の怯えた感じで、夏音には私が何を考えていたか、言葉にしなくても伝わったような気がします。いつになく優しい目で私の顔を覗き込むのでした。

 いけない、いけない。夏が来るのは踊り子としては嬉しいことだけど、どうしても心の奥にあるものを見なくてはならなくて、それはいつまで経っても残っているのでした。


 思い直して、目の前の鉢を一つずつ見ていくと、引き寄せられる形と色のものがあります。「これ」と指さすと、夏音がうなずきました。

「風鈴も紗雪がすきなの選んでいいよ」

 夏音の声があたたかくて、思わずぎゅっと制服の袖をつかみました。


 たくさんの絵柄の風鈴の中から、私はうさぎが盆踊りをしているものを選びました。うさぎが並んでお手々を挙げているのです。揺らしてみると、まるでうさぎがまんまるお月さまに向かって踊っているみたいで、すごく可愛いのです。

「えらくファンシーだな。お前らしいというか」

 夏音が片頬でくすりと笑って、ひとさしゆびでコツンとうさぎの風鈴を鳴らしました。


 そして、夏音はほおずきの鉢を、私は風鈴を下げて家路に着いたのでした。

 今日はいつもより心細くて、家までがやけに長い道のりのようで、私は不安にかられて夏音の腕にしがみつきました。知っている道でも、迷子にならないようにくっついて行こう。

 夏音は時々私がちゃんといるか目で確かめながら、ゆっくり歩いてくれたのでした。


 ぽつぽつと小雨が降って来ました。夏音が持つほおずきから雨のしずくが一粒滴るごとに大きな音を立てているようです。

 私は風鈴を手首にぶらさげ、歩くたびに静かにリンと鳴く音に耳を澄ませました。それは小さな雨と呼応して、さびしげに泣いているようでした。

 コツン、リン、ポタン。そんな音と私たちの足音だけが道に響きます。


 帰ったら、縁側でトリコさんとミンゴ先生が晩酌をしながら「おかえり」と言ってくれたので、思わず駆け寄って戦利品を見せました。

 トリコさんはニコニコしながらほおずきの鉢を眺め、「あら、お目が高い」とほめてくれました。

 うさぎの江戸風鈴を見せると、指でつつきながら

「いい音だな。こういう音を聞いて涼しくなるのは、日本人ならではらしいぞ。情緒だな」と、おフランスのミンゴセンセが目を細めました。


 トリコさんが私たちの夏のお箸を新調してくれていました。

 夏音は青い朝顔の柄、私は赤紫の紫陽花の柄が入っているもの。嬉しくてお漬物を一回つまむごとに見つめてしまいます。



「あー、こら、紗雪。これ蓋しないと変な匂いになってるわよ」

 ほおずき市からしばらく経ったある朝、トリコさんが裏庭で叫んでいます。


 あ、しまった。

 幾つか「透かしほおずき」を作ろうと思って、瓶に水を張ってほおずきを漬けておいたのでした。

 周りのオレンジ色のガクを腐らせて葉脈だけを残すと、中のオレンジ色の実が透けて見えるのです。

 それを作るためには十日くらい水に漬けておく必要があって。

 でもね、当然腐らせるわけだから、途中で得も言われぬ匂いがしてきて、うぁーなのです。蓋しなきゃと思って忘れちゃってました。


「まったくもう。前は瓢箪ひょうたんでやらかしたのに」

 そうでした。ひょうたんのとっくり作るのにやっぱり水に漬けておいたんだけど、あれはご近所迷惑レベルの酷い匂いになったんだったよなぁ。


 団扇でパタパタ仰ぎながら、トリコさんがしかめっ面になっています。わぁ、急いでラップ取ってきまーす。


 風情あるすてきなものを作る道は険しい。一苦労なのです!






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