6-2 空気のような存在
放課後、部活がはじまる前、部室のドアを開けるとまだ誰もいなかった。
と思ったが、微かな声がした。
「夏音先輩、お願いがあるんです」
はっ? この声どっから聞こえてきてる?
きょろきょろ見渡すと、部屋のすみっこに後輩の小鹿角子がいた。
そうでなくてもちっちゃい小鹿が、床で膝を抱えながら喋るので、俺は一瞬コロボックルに話しかけられたかと思ったよ。または、こけしの妖精さん?
「なんだ? どした?」
「あの……。×××」
「あん? 聞こえない。もっと大きな声で……」
何をもじもじしているんだ、小鹿は。
俺が近づいて屈んだのと入れ替わりに彼女が急に立ち上がったので、あごに小鹿がささって、ゴーン!
「イッテー。おまえ、結構石頭だな」
あごがジーンとする。マジくらくらして、痛い。目から星ってほんとに出るんだな。
「きゃあー、ごめんなさい!」
小鹿があわててハンカチを濡らしてきて、はいと俺に差し出した。
お香のようないい香りがするな、このハンカチ。女子っぽい。
「あの、私と一緒に……。花火大会に行って下さい!」
思い切ったように俺の目をじっと見て、大きな声で小鹿はそう言った。
なんだよ、そんなことか。俺はぐるぐる回る視界を元に戻そうと、頭を両手で抑えた。
「ああ、いいよ。いつも紗雪と行ってるからおまえも来いよ」
そう言うと、小鹿がブンブン首を横に振っている。
え、何? 行きたいの? 行きたくないの?
「あの、みんなと、ということじゃなくて、できれば先輩と二人きりで……」
「あー、でもー、それはなー」
俺は一瞬迷ってから、変な言い訳を言った。
「紗雪をほっとくと迷子になっちゃうからな」
「夏音先輩は、紗雪先輩と恋仲なのですか」
「は? おいおい、なわけないだろー。あいつとはもう子どもの頃からの長いつきあいで」
「すきなんですか」
やけに小鹿が畳みかけてくる。
俺はそこでハタと止まった。
恋仲? いや、それはない。俺たちはそんなんではない。
でも、すきか? と聞かれると、そりゃあ、なっ。
ずっと一緒にいて、あいつが俺をどう思ってるかは知らないけど、いつも横にいるのがあたり前で。
でもまあ、すきっちゃ、すきだな。それは確かだ。
どう答えようか迷っているうちに、他の部員たちがわらわらとやって来たので、その話は途中で終わった。
帰りがけにクマ先輩に小鹿の話をしたら、苦笑いされて
「お前はニブイな。小鹿はお前とデートしたかったんだろーに。別に花火大会じゃなくとも」
え、そーゆーこと?
「クマ先輩はアゲハ先輩といつからつき合ってるんでしたっけ」
「蝶子か。入学してすぐ申し込んだんだが、半年くらいずっと断られてたな」
すっげー。さすが男踊りの熊五郎。踊りと一緒で押しの一手だったわけかー。
「いや、それがさ、夏休みバイトが忙しくなって部活にしばらく来れなかったんだよ。そしたら、向こうから家に訪ねてきた」
うぉー。押してだめなら引いてみろか。気になりかけた存在が急に目の前からいなくなると、やけに自分の中で大きくなってるってやつだろうか。
「怒ってるんだよ、目の前でぷんぷん。『なぜ連絡も寄こさないの!』って羽ブンブン振り回して」
きっとその時、すごく嬉しかっただろうな、クマ先輩。
そうか、はじまりの一歩はそんな風だったのか。今は蝶子先輩の方がすきでたまらないって感じだもんな。
小鹿もすごく可愛いんだよなー。
さっきだって、まっすぐな目で俺の目を見てた。ほんとはわかってる。
一瞬にして伝わって来た想い。だからこそ、話をはぐらかしてしまいたかった。
やっぱり俺の隣は、あいつなんだろうと思う。
いつだって、空気のようにそこにいるのが当たり前の存在。
なんて思っていたら、紗雪の方もどうやら誘われていたらしい。
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