5-3 雪豹の襲来


 あの雪豹司が、我が高校にやってくるらしい。

 何故だ。何しに来るんだ。俺らの練習を偵察して、何かわかるのか。

 それとも、準優勝の俺たちを見下しにやってくるのか。


 うわぁ、だめだ、だめだ。

 斜め上から四十五度の角度で、翳りある視線の瞳が俺に鞭打つ。そんなの想像しただけで逃げ出したくなる。

 でも、そんなバカな妄想なんて置いておいて、目の前で踊ってくれないだろうかと思ってしまう俺がいる。重症だな。


 そしてとある放課後、本当にあの雪豹がやってきた。ヤバイ、俺、顔が引きつってる。

「こんにちは」

 雪豹は、やわらかく響く声で軽く会釈をして、微笑んだ。

 この時点でズキュン。と軽く撃たれる。女子たちはすでに失神寸前だ。


 奴は自由が丘高校の制服でやってきた。そうだよな、俺と同じ学年の高校生なんだものな。いたってフツーのブレザーに縞のネクタイ。うん、よくあるタイプだ。

 なのに、なぜなんだー。すっごくシックに見える。着る人が良ければ全て良しなのか。

 そしてこの妙な感想がどう考えても女子のものだ。俺、紗雪に乗り移られてる?

 当の紗雪はすごく落ち着いていて、イケメンを前にしている割にはいつも通りなので、もしかすると紗雪の偽者なのかもしれない。

 

 ああ、制服だけじゃない。部室でジャージに着替えて出てきた雪豹が、光輝いている。フツーの白シャツに紺のジャージなのに、なになに、王子様なの?

 普段フェネックで王族衣装は見慣れているのに、眩しくて目がくらむんですけどっ! (もう、俺、いったい誰なんだよ)


 そんな雪豹司が、つかつかと前に進んできた。俺の心臓の音がMAXになる。

 すると、雪豹がすっと手を差し出す。あ、握手っ? こ、こんな手汗かいてるのに、お、俺、無理!

 色々焦っていたが、雪豹が歩み寄ったのは、熊五郎先輩だった。

「熊五郎さん、会いたかったです。僕、あなたの大ファンなんです」

 なんだと、クマ先輩ですとーーー!


「熊五郎さんの踊りを見学に来ました。もしよかったら、僕に少し踊りの稽古をつけて頂けないでしょうか」

 はぁ、魂が抜けた。つまり、君は出稽古にやってきたのか。

 女踊りで人の心をここまで魅了する雪豹のあこがれの相手は、魚捕りザッブーンの荒々しいクマ先輩であった。

 なるほど、人は自分にないものに惹きつけられるものなのだな。まあ、確かにクマ先輩は名手だからなー。

 アゲハ蝶先輩がうなずいている。「お互い好みが同じー」という感じで雪豹とにこにこ笑い合ってる。ほんわかした空気が視聴覚室を包む。


「そっか。曲は何やりたい?」

などど、気さくに聞くクマ先輩。

「原釜をお願いします」 

 意外だった。あのか弱い感じの彼が選択しそうにない演目。

 俺たちがこの前の大会で踊った「原釜大漁祝唄」だ。

 彼が踊ってみると、確かに迫力というものはない。だが、これはこれで成り立つのではないかという艶やかさがあるんだな。


 確かに重さはない。ふわっと宙に浮いてしまいそうだ。彼に合っている演目とは言い難いな。

 クマ先輩が魚を捕れば、背中には魚を捕る網かごが見えてくるし、船を漕げば波が立ち、エア太鼓を叩けば、音が響いてくるような気がする。

 なんだろうな、重さがあって、体に伝わるからだろうか。


 クマ先輩が、静かにそこにいる全員に言った。

「目を閉じて片足で立ってごらん。しばらくそのままで踊ってみよう」

 それはとても不安定な心地だ。身体がゆらゆらするというだけじゃなく、何も見えない不安。

 そうすると、耳から聞き取る音の響きで距離感を測るしかない。気配を察するしかない。果たして自分が他からどう見えているのだろう。


「きつね、その尾を濡らすなよ」

 俺の耳元でクマ先輩がそんなことを言って肩を叩いていった。

 多分その意味は、物事のはじめは容易くても、終わりが困難であることのたとえだ。こぎつねが川を渡る時に、最初は尾を濡らさないように高く上げているが、やがて疲れて尾を下げ濡らしてしまうということから言われたこと。


 安定せずにグラグラする。

 人にはない尾っぽが俺たちにはある。変身して見えずともある。

 ここに力を入れて立たせるには、ちがう緊張感がいるんだ。そしていい踊りをしたければ、それが重要な気はしていた。いつだって。

 力の入れどころ。抜きどころ。いつも張りつめていても仕方ない。

 俺はそっと片目を開けてみた。あの雪豹司が揺らいで見えた。迷いのない人間などいないというように。


 踊りは、上手な人の後ろで見て習い、身体で倣う。これが基本。

 初心者は、真似ながら体の動かし方を体感する。

 中級者は、重心移動や空踏みが出来てくる。これがスムーズになってくると踊りに流れができる。

 上級者は、間が違う。懸命になるばかりに、いつもピンと張っているところに余裕が出てくると、その人の個性が見えてくる。


 曲が終わった後で、クマ先輩が雪豹にこう言った。

「君の踊りはとても目立つね。つい目で追ってしまう魅力がある。それは良きにつけ悪しきにつけ」

「自分がわからなくなることがあります」

「君は卒業したら、一人舞を追求していくんだろうな。君の家は日本舞踊の流派だったよね。でも、自由に踊る時間も作っていけばいい。いつだって民踊の輪踊りもしたらいい。こうじゃなくてはいけない、そう思わずに楽しめばいいよ」

 彼はほっとしたように、無邪気な笑顔を返した。


 最後に雪豹は、紗雪にあいさつをした。え、さゆきに。

「僕は、紗雪さんの原釜、すきです。すっごく楽しそうで思わず笑顔になってしまいました。それから、あなたの相棒の踊りも気になって仕方ありません」


「ありがとうございます。はいっ、私の相棒の踊りは最高なのです!」

 紗雪が俺の方を向いて、満面の笑みを送って来た。ばーか。






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