その3 Playing With Power

 数日後。二人のレースが行われる当日です。

 街の大通りや建物の屋上には大勢のヒトやフレンズが集まっています。なぜなら、この大通りこそがレースの行われるコースだからです。

「ええー……何この騒ぎは」

「去年までは見物なんてほとんどいなかったわよね」

「屋台まで出てますよ」

 スズメ、ムクドリ、メジロの三人は戸惑うばかりです。

 誰が言いふらしたのやら、すっかりおおごとになっています。園内放送までレースのために使われてしまっているのです。

「さあ、ついにこの日がやってまいりました。三度目ともなればゴールデンウィーク恒例といって良いでしょう、キョウシュウこーがいちほーエアレース!実況はわたくしニワトリと、」

「解説のハシブトガラスです」

 放送席が通りに面したホテルの上にしつらえられ、白と黒の二人が並んでいました。

「改めてルールの確認をしておきましょう。このレースはツバメ選手とオオシオカラトンボ選手の純粋な一騎打ちでしたねハシブトガラスさん?」

「そうですね。かつてホートクで行われていたのはチームでゴンドラを運ぶ長距離レースでしたが、このレースは皆さんの前にある大通りと、それに交差する横丁を辿る8の字コースを三周する一対一のレースです」

 ハシブトガラスが手を二回叩くと、どう手配したのか、あたりのラッキービーストが皆コースを投影し始めました。

「大通りの真ん中にある交差点から出発して、通りを出たら右にターンして公園を周り、横丁に入ります。そして最初の交差点を横切って横丁を抜け、また左にターンしてジャパリチャペルの尖塔を周り、大通りに戻って交差点に着いたら一周です。野生解放は最後の一周にしか使ってはいけません」

「さて交差点に審査員が揃ったもようです!」

 三人のフレンズが、交差点で大通りに対してぴったり直角に並んでいます。

「公平を期すために審査員は三人用意いたしました。まずは鳥の代表、チョウゲンボウさん!」

「しかと見届けさせていただきます」

 灰色の僧衣に明るい赤褐色の袈裟を重ね、袈裟と同じ色の羽を生やした鳥のフレンズが深々とお辞儀をしました。


@チョウゲンボウ

 Falco tinnunculus

 Common kestrel

 脊索動物門 鳥綱 ハヤブサ目 ハヤブサ科 ハヤブサ属

 保全状況 LC


「虫の代表、アダンソンハエトリさん!」

「ひひ……、このアダンソンの目はごまかせないよ……!」

 アダンソンハエトリは黒いTシャツに黒いハーフパンツで、ところどころに白い帯を締め、何やら入っていそうなバックパックや作業ベルトを身に着けています。何より丸いゴーグルが目立ちます。


@アダンソンハエトリ

 Hasarius adansoni

 Adanson's house jumper

 節足動物門 蛛形綱 クモ目 ハエトリグモ科 オビジロハエトリ属

 保全状況 LC


「そして中立の、ニホンアマガエルさんです!」

「動くものがちゃんと見えるからって呼ばれたけどさー、むしろ動いてるもののほうがちゃんと見えるよねーっ!」

 ニホンアマガエルは自転車レースの選手のようにぴったりとしたスポーツウェア姿ですが、手袋とスニーカーには大きなすべり止めがあり、ヘルメットには二つのヘッドライトが並んでいます。


@ニホンアマガエル

 Hyla japonica

 Japanese tree frog

 脊索動物門 両生綱 無尾目 アマガエル科 アマガエル属

 保全状況 LC 東京都で絶滅危惧IB類


「虫は虫でもアダンソンハエトリさんはクモですが、ハシブトガラスさん、この人選は?」

「より公正なものとするため、選手の二人から縁遠く、なおかつ動体視力に優れたかたを選出するようにとの、選手の二人からの依頼によるものですね」

「なるほど、スポーツマンシップにあふれた配慮というわけですね。さあ、選手の準備も出来たもようです!」

 大通りの向こうから、オオシオカラトンボが交差点に近付いてきました。

 ウグイスが選手紹介を行いますが、

「チャンピオン オオシオカラトン ボさんです」

「ウグイス嬢のウグイスさん、区切り変じゃないですか?」

「オオシオカラトンボ選手の名前はどうやっても五七五に収まりませんからね」

「さん付けしなければいいのでは」

 笑いと歓声の混じる中、オオシオカラトンボが位置につきます。

 そして、ツバメも大通りに現れました。

「ツバメさん 三度(みたび)の挑戦 今年こそ」

「あ、今度は綺麗に収まりましたね」

「最初からこういう感じでいけばいいのに」

 気の抜けた放送も周りの賑やかな声も、ツバメの耳には入っていません。

 ただ前の、オオシオカラトンボと、自分の飛ぶ先だけを見ています。

 当然、緊張しています。鼓動は高まっていますし、意識して呼吸を整えなくてはなりません。しかし、嫌でも恐ろしくもありませんでした。

 先日かばんと話し、先程もシジュウカラに言ったのです。

 飛ぶのは楽しいことだと。

 スタートラインの上に浮かんで、右隣のオオシオカラトンボをちらりと見たとき、その思いは確かなものになりました。

 オオシオカラトンボは、微笑んでいたのです。

「放送席にシグナル役のカワラバトさんがやってきました。いよいよレーススタートです!」

 カワラバトがマイクを持ち、スタートの合図を始めます。

「ぽっ……ぽっ……ぽっ……」

 オオシオカラトンボが一瞬浮き上がりました。

「ぽーーーーっ!」

 瞬間、二人は黒と青の矢になります。

 落ち葉が舞い、窓が揺れ、皆がのけぞります。

「えっ、あれ、本当に野生解放してないんですか!?」

「してないですね。特にオオシオカラトンボ選手は解放したらゴーグルが五個とも光るので分かりやすいです」

 誰もが圧倒されている間にもレースは動いていました。

 ツバメは加速してすぐに、右手の建物にぎりぎりまで近寄ったのです。

 ほんの少し前を行くオオシオカラトンボが体を揺らし、眼前に迫ります。

 ぶつからんばかりの勢いですが、怖じ気づいてはオオシオカラトンボの思う壺です。

 ツバメは浮かび上がり、これをかわしました。

 再びオオシオカラトンボが接近します。ツバメは沈み込んで避けました。

 オオシオカラトンボは何度もツバメの行く手を阻みますが、通りを抜けてカーブに入るまでは辛抱です。

「直線区間でも激しいデッドヒートですねハシブトガラスさん?」

「はい、カーブでの優位を決める大事な場面です。体を張った競り合いはオオシオカラトンボ選手のほうが得意ですが、建物のすぐそばはツバメ選手有利です」

「通りを抜けます!」

 視界が開け、眼下は緑一色に変わります。

 ツバメは内側を守り抜きましたが、オオシオカラトンボのほうが前に出ています。

 そしてカーブに出ても辛抱には変わりません。遠心力で目がかすみ、頭が働かなくなります。

 しかもこれに耐えた上で最高の旋回を保たねば、あっという間に引き離されてしまいます。

 目の前を行くオオシオカラトンボは同じ苦しみを味わっているでしょうか。涼しい顔をしているでしょうか。

 なんとか離されずに公園を周りきって、横丁に滑り込みます。

 再びオオシオカラトンボが襲いかかってきますが、カーブの遠心力に比べればまだ猶予を与えてくれます。

 フレンズだけでなくヒトもたくさん、自分に熱い視線を向けています。

 それをなにか嬉しく感じる心の余裕が、今年はありました。

 勝手に巣を作る迷惑な鳥だなどと思っているヒトは一人もいません。皆ツバメがどんな動物かきちんと見ようとしています。

 そして、建物の間を自分より速い動物が飛んでいるのは、とても落ち着かないことでした。

 決して離されたり優位を奪われたりしてはなりません。

 横丁を抜けてターン、ジャパリチャペルの長い菱形をしたシンボルを掠め通ります。

 ちらりとチャペルの前の噴水が目に入ったとき、ツバメの脳裏にはある手が浮かびました。

 が、すぐにそれをしまい込みました。吟味している暇は全くありません。

 その手を使うならあと一周は耐えきる必要があります。

 再び大通りに入って、次のターンに向けた位置の奪い合いが始まります。

 オオシオカラトンボがいくら目の前で激しく体を揺さぶっても、ツバメは惑うことはありません。

 決してこれ以上引き離されまいと、ツバメはオオシオカラトンボを睨みます。

 するとツバメの耳に、かすれた声が届きました。

「その目だ」

 オオシオカラトンボです。振り向いてはいません。

「お前がその目をしてくれるから、私はお前に挑むんだ」

 次の右ターンもこらえきり、横丁に入りました。

 ここからです。ここからツバメの企みが始まります。

 横丁の残りの距離を測りながら、オオシオカラトンボが上と下どちらから襲いかかってくるのか意識してかわします。

 あと十秒で横丁を抜けるときです。

 オオシオカラトンボは下から突き上げてきました。

 ツバメは、これを見据えて避けません。

 どんなにぶつかりそうでも、オオシオカラトンボが前にいる以上、今こそ最も耐えるべきときです。

 そして残り三秒で、ツバメはふっと浮き上がりました。

 そのまま左ターンに入ります。ツバメが上、オオシオカラトンボが下のままです。

 周りきって大通りに戻ったとき、

「しまった」

 オオシオカラトンボはそう言いながらにやりと笑いました。

 ツバメは下降を始めます。

 すると限界かと思われたツバメの速さがさらに増していきます。

 交差点が近付くにつれオオシオカラトンボとの差はみるみる縮まります。

「ツバメ選手、ここにきて一気に追い上げていきます!」

「ダイブですね。昆虫の飛び方にはあまりない発想なので、オオシオカラトンボ選手もツバメ選手の位置取りを見過ごしていたようです」

「ツバメ選手速い!これは三周目までに追いつくか!?」

「もし差が付いたまま三周目に入ると先に野生解放できてますます差が開きますからね。非常に重要な局面です」

「ツバメ速い!ツバメ速い!これは同時に三周目に……入ったーーーー!!」

 ツバメの目とオオシオカラトンボのゴーグルが光を放ちます。ツバメの羽とオオシオカラトンボのマフラーから、けものプラズムが吹き上がって大気と混ざり合います。

 そこからはもう、光を帯びた嵐が過ぎていくばかりです。

 それが二つあるのかどうかさえヒトはおろかほとんどのフレンズにも見分けがつきません。ただ二人があまりにも速いということに打ちのめされることしかできません。

 コースを巡ってきた二人は大通りを光る風で埋め尽くします。

 その光は、交差点に達したところで、ふっ、と途切れました。

 オオシオカラトンボはゆるゆると地上に降り立ち、そのまま動かなくなりました。

 ツバメは、勢い余ってオオシオカラトンボより前に飛び出します。そして倒れ込むように着地して、地面に手をつきました。

 我に返ったニワトリが呼びかけます。

「審査員の皆さん、皆さんだけが頼りです……。判定を、お願いします!」

 一呼吸あり、チョウゲンボウは青の旗を、アダンソンハエトリは黒の旗をそっと上げました。

 ニホンアマガエルは……、両方の旗を高々と掲げています。

「引き分けー!引き分けだよー!二人もそう思わなーい?」

 そう言われて、チョウゲンボウとアダンソンハエトリも旗を半分下ろします。

「確かに、このように皆がちょうど半々の意見でしたら……」

「我々が全体として取るべき総意は、だね……」

「引き分けだよねー!」

 意見がまとまり、三人とも二つの旗を上げて声を揃えました。

「この勝負、引き分け!」

 すると、歓声と戸惑い、そして笑いの入り混じったざわめきがあふれかえりました。審査員に判断をまかせたはずのニワトリもうろたえています。

「ひ、引き分けって、いいんでしょうかハシブトガラスさん?こうならないように三人にしたのでは?」

「三人にした上での引き分けですからね。本当に引き分けだと納得するしかありませんよ。引き分けた二人を祝福しましょう」

 ハシブトガラスはさらりと言い放つと、立ち上がって大真面目に拍手し始めました。

「なるほど……。それでは皆さん、激闘の末全くの互角で駆け抜けた二人に拍手をお願いします!素晴らしいレースをありがとう!本当にありがとーっ!」

 大通りはニワトリの絶叫と万雷の拍手に包まれます。

 そして、突っ伏したままのツバメに近付くフレンズが四人いました。

 ムクドリとスズメは、「1」と書かれた大きな木箱を運び込んできました。

 メジロは、ジャパリまんの詰まった袋を抱きかかえています。サンドスターが不足しているに違いないと思ったのです。

 シジュウカラは、ツバメが立ち上がれるよう肩を貸しました。

「ごめんね」

 シジュウカラがツバメにささやきます。

「あんなに一緒にいたのに、ツバメが本当に楽しいと思うことは、教えてあげられなかったんだね」

 ツバメはシジュウカラの顔を見ようとしました。なぜそんな話をするのか聞こうとしたのです。シジュウカラはそれを読み取りました。

「今、すごくいい笑い方してたから」

 ツバメは言葉を返そうとしましたが、まだ息が苦しくて話すことができません。代わりに、シジュウカラの肩を掴む手になけなしの力を込めました。

「おめでとう。本当に」

 シジュウカラの声は、歌うように綺麗で優しい声です。

 ムクドリとスズメに担ぎ上げられて、ツバメはなんとか即席の表彰台に立つことができました。

 オオシオカラトンボもここに一緒に立つべきなのですが、隣に浮かんで揺れているばかりです。すでにツバメが立っている台に空中から降りるのはなかなか難しいでしょう。

 ツバメはまだぼんやりとしたまま、あることに気が付きました。

 そして、オオシオカラトンボのほうに手を差し伸べました。

 オオシオカラトンボもその手を掴み、引き寄せてもらいます。

 トンボがてくてくと足で歩くところなんて見たことがあるでしょうか。とても珍しいはずです。

 ツバメの上履きとオオシオカラトンボのブーツが、表彰台の上に並びました。

 無事表彰台に立ったオオシオカラトンボは、肩を組んで逆にツバメを支えてやりました。

「おい、来年はへたばらないように鍛えておけよ!」

 オオシオカラトンボは嬉しそうに大声を張ります。

「そっちこそ」

 ツバメはやっとそれだけ言えました。

「ああ!次は策略でも負けないからな!」

 紙吹雪が舞い、誰かがよく振ったジャパリサイダーの壜を吹き出させます。

 二人を祝うお祭りは夜まで続きました。

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こーがいちほー観察日記 五月編 M.A.F. @M_A_F_

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