その2 Self Portrait
こーがいちほーには街や公園だけでなく、ジャパリまんの原料やヒトの食べ物となる作物を育てるジャパリファームもあります。
主にヒトやラッキービーストが作物の世話をしますが、何人かのフレンズは動物だった頃の好物に興味を持って、自分から農作業を手伝っています。
スズメもそのうちの一人です。稲作と密接に関わりながら人里で暮らしてきた歴史が、フレンズとしての人格に染みついているのです。
そのせいなのでしょう。
「うう……、ツバメが歩けないの忘れてた……」
スズメは沈痛な面持ちで稲苗を植えています。
「お米を育てる喜びを味わってもらいたかった……」
「あんまり言うとツバメも気に病むわよ」
スズメの隣で手伝うムクドリの気遣いも空しく、ツバメはかなり深刻に気に病んでいます。
「あの、本当に、ごめんね」
ツバメはサクラの木の上から眺めていることしかできません。
ほとんど歩くことができないのも、スズメのお米好きと同様、ツバメが動物の体から受け継いだ性質なのです。
歌うことも、歩いて稲を植えることも満足にできず、ツバメは皆と同じ群れにいる自信をすっかりなくしてしまっていました。
「ねーっ、せめて出来たお米は一緒に食べようねー!絶対美味しいお米に育てるからねー!」
スズメは木の上のツバメに向かって叫びました。
「それって何月くらいー?」
「九月か十月くら……い……、あっ、あああーっ!」
スズメはまた大事なことを忘れていました。
身近な小鳥といえども、ツバメはあくまでも渡り鳥です。それはフレンズになっても変わっていません。
「その頃ツバメは……!」
「じゃんぐるちほーに……」
「行ってますね」
スズメは勢い余って飛び上がろうとしましたが、ムクドリとシジュウカラがとっさにしがみついて抑えました。
「もーっ!そんなに暑いのが好きなのかよー!」
「こら、スズメ!気にしないでねツバメちゃん!この子お米が好きすぎるだけだから!」
ムクドリはそう言いますが、ツバメは考え込んでしまいます。
皆と一緒にいても、ツバメは楽しいことを逃してばかりいます。確かに暑いのが好きではありますが、スズメにとってのお米とは違います。
自分は何をしていたら楽しいと感じられるだろう。ツバメにはそれが、分かりそうで分かりませんでした。
「あっ、みんな!あれを見て!」
急にシジュウカラが空を指差しました。
赤紫色をした丸い塊に、羽と尾が付いたようなものが、三つ飛んでいます。
目玉がそれぞれ一つ。間違いありません。
「セルリアンだ!」
「街に向かってますよ!」
メジロが気づいたとおり、三体のセルリアンが向かう先にはこーがいちほーの中心の街があります。
「ハンターに知らせなきゃ!」
シジュウカラが言うのに賛成して、ムクドリとスズメとメジロもハンターの住処のあるほうに飛び立ちました。
しかし、ツバメには見抜くことができました。
セルリアンはかなり速く飛んでいます。小鳥達の速さでは、知らせを受けたハンターがセルリアンに追い付く前にセルリアンが街に着いてしまいます。
しかしツバメにとっては、セルリアンより速く街に着き、街に常駐しているハンターや協力できそうなフレンズに知らせるほうが確実です。
そう考えながらツバメは飛び立ち、一気に加速しました。
同じくらいの高さまで昇ると、セルリアンがほんの小さなものだと分かりました。ヒトが来るようになってからはセルリアンに対する警戒網が上手く働き、大きく育つ前に退治できることが多いのです。
それでも他の小鳥達には攻撃する手段がなかったでしょう。小さな虫が相手だったとはいえ、空中で狩りをしていたツバメなら、話は別です。
後ろから見て一番左の一体に狙いを定めます。
三体の間は大きく開いていて、連携らしきものはありません。
狙った一体が右に倒れ込んで落ちました。
ツバメには手に取るように分かる動きです。
セルリアンの石めがけて、額から突っ込みます。
鳥だった頃のクチバシの鋭さが宿った頭突きです。
狙い通り、セルリアンの体は石もろとも粉々に砕け散りました。
ツバメは達成感を得ましたが、そのまま速度を緩めません。残りの二体も振り切って街に急ごうとしたのです。
しかし、後方に注意を向けても二体の姿がありません。
もしや不意を突かれたのでしょうか。ツバメは視野を得るために横転してひっくり返りました。
すると、そこにあったのは思ってもいなかった姿でした。
オオシオカラトンボが、右腕にしっかりとセルリアンを抱えているのです。
ツバメはブレーキをかけてオオシオカラトンボと向かい合いました。
セルリアンは身をよじって逃れようとしますが、オオシオカラトンボのグローブに並んだ鋲がしっかりと食い込み、逃すことはありません。
オオシオカラトンボは左手を振り下ろし、セルリアンの石に突き立てました。
お読みの皆さんは、トンボを捕まえてわざと指を噛ませてみたことがあるでしょうか。トンボの仲間の学名は「Odonata(オドナータ)」、「牙ある者」というのです。
その牙の力が宿った指をまともに受けて、セルリアンは粉に変わりました。
ツバメは確信していました。もう一体もオオシオカラトンボが仕留めたに違いありません。
オオシオカラトンボはツバメの顔を見やると、にっ、と口角を上げました。
そして例の、少し浮いてから体を倒す動きで、林の方へと飛び去っていったのです。
その後から、ハンターを呼びに行っていた四羽が飛び立つのが見えました。
「すっごーい!ツバメがセルリアンを倒しちゃったんだ!」
「ツバメちゃんのほうがずっと飛ぶのが上手だものね」
「無事でよかったです~」
皆ツバメの安全と活躍を心から喜んでいましたが、シジュウカラだけはオオシオカラトンボのことが気にかかっていました。
「あいつ、ツバメに見せつけるために二体も倒してみせたんじゃあ」
「えっ」
三羽もそうかもしれないと思っていましたが、
「違うと思う」
ツバメは否定せずにいられませんでした。
「だって……、」
「ツバメ?」
ツバメの目には、あの笑いは純粋な喜びに見えたのです。
たとえシジュウカラの言うとおりだったとしても、ツバメの心はもう決まっていました。
「私、オオシオカラトンボの勝負、受けるよ」
その日のお昼頃、街から離れた林の中です。
ここにはジャパリファームで使う水を溜めておく大きな四角い池があります。コンクリートで固めたりせず、土を掘り抜いて周りを金網で囲っただけのものです。
おかげで岸辺には植物が茂っていますし、水の中には魚やエビや昆虫がたくさん暮らしています。
そして、水面の上をとてもたくさんのトンボが飛び交っています。
オオシオカラトンボはコナラの太い枝に立って、トンボ達を見下ろしていました。
すると、オオシオカラトンボに覚えのある声が三つ聞こえてきました。
「ささ、こちらであります。危ないので近付くことはできないのでありますが」
「ほんとだ、トンボがいっぱいいるね!かばんちゃんの知ってる種類かな?」
「うん、よく見かける種類が多いみたいだね」
オオシオカラトンボはすぐに声のした方に降りました。
「ややっ、オオシオカラトンボ殿!お久しぶりであります」
「アキアカネ、去年の夏以来だな。それに副園長とサーバルも、久しぶり」
オオシオカラトンボと同じトンボの一種、アキアカネのフレンズが、ヒトのフレンズ、かばんと、その相棒のサーバルを案内しているのでした。
アキアカネはオオシオカラトンボとよく似た姿です。飛行服にロングブーツとロンググローブ、二本の長いマフラー。ベリーショートヘアを五つのゴーグルで覆っています。足を地面に着かず浮いたままです。
ただし、アキアカネ、つまり赤トンボという割に、あまり赤くありません。ほぼ全身が薄いオレンジ色をしています。赤トンボらしくなるには秋まで待たなくてはなりません。
@アキアカネ
Sympetrum frequens
Autumn Darter
節足動物門 昆虫綱 蜻蛉目 トンボ科 アカネ属
保全状況 LC 富山県で情報不足 大阪府で準絶滅危惧 兵庫県で要注目種 徳島県と長崎県で絶滅危惧II類 鹿児島県で絶滅危惧I類
「いや~、林はまだ寒いのでありますね~」
「ここだけ夜みたいだよ~」
アキアカネとサーバルは林の中があまりにひんやりとしているので腕をこすっています。
「アキアカネが出てくるにはまだ早かったんじゃないか?」
「そう言われますがオオシオカラトンボ殿、五月の初めになるともうパーク中それは賑やかで、田んぼの隅にうずくまってはいられないのでありますよ!」
「ふふっ、なるほど」
笑っているオオシオカラトンボ自身も、ツバメが四月にこーがいちほーに戻っていると知っていては早めに出てこずにいられないのです。
「それで、副園長達はどうしてこの池に?」
「この後近くで自然観察ツアーがあるので、ついでに生き物が見られるところを探していたんです」
「そしたらアキアカネが、ここがおすすめの場所だって教えてくれたんだ!」
こーがいちほーでは来園した子供達に向けて、小さな生き物を観察するイベントが開かれています。長期滞在中の箸休めにはちょうどいいとして好評なのです。
「副園長がガイドを?ずいぶん豪華だな」
「いえ、僕達も聞くほうなんです。もっとパークにいる生き物のこと、見ておきたいって思って」
「かばんちゃん、とっても偉いんだよ!いっつもパークのみんなのために色んなこと考えてるんだよ!」
サーバルが急に身を乗り出します。
「ふふっ、キョウシュウでそれを知らない奴はいないぞ、サーバル」
オオシオカラトンボがそう言うとサーバルは自分のことのように嬉しそうに笑いました。
「自分も子供達に自慢の曲技を披露してくるのであります!」
アキアカネは意気込んでいますが、
「お客がお菓子をくれるのが目当てなんだろう」
「へへ……、そのとおりであります。たくさんもらえたらオオシオカラトンボ殿にも分けてあげるのであります」
「独り占めしたらボスに怒られちゃうもんね」
アキアカネがフレンズの体での暮らしを堪能しているのは明らかでした。
そこでオオシオカラトンボは、アキアカネにこう尋ねてみました。
「アキアカネ、この池のトンボをどう思う」
ちょっと見ただけでも一度に三種類のトンボが目に入ります。
そのどれもが、ちょっと休んではすぐに飛び立ち、他のトンボと追いかけ合い、激しくからまり合い、ぶつかり合ってさえいます。
「皆せわしないのでありますな。なわばり争いは苦労の連続なのであります」
アキアカネならおそらくそう言うだろうとオオシオカラトンボも想像していました。
虫の体でこうした争いに明け暮れていた記憶を、オオシオカラトンボははっきりと持っているのです。
「かばんちゃん、真っ赤で綺麗なのがいるよ!」
「ほんとだ。ショウジョウトンボだね」
「水色のってオオシオカラトンボかな?」
「あれは……、シオカラトンボのほうみたい」
「あの白黒のも速いね!」
「コシアキトンボだね」
かばんがトンボに興味を持って種類を覚えていることをオオシオカラトンボはありがたく感じました。
どれも、虫だった頃にオオシオカラトンボが戦っていた相手でもあります。
これらのオオシオカラトンボと同じくらいか少し小さい程度の相手には、決して負けることはありませんでした。
しかし、オオシオカラトンボ自身も含め、誰もかなわない相手もいたのです。
「わあ、ギンヤンマだ」
「みんな逃げていくよ!」
これこそ、オオシオカラトンボの敗北の記憶そのものの光景でした。
あの大きな緑のものが現れると、それまでの争いが丸ごとなかったことになってしまうのです。
しかし今のオオシオカラトンボがその雪辱を晴らしたいと思ってもそれはできないことです。
それは単に、今ギンヤンマのフレンズがいないというだけではありません。
数年前の噴火で多くのサンドスターが降り注いだとき、オオシオカラトンボは見てしまったのです。
ギンヤンマはサンドスターをかわして飛んでいました。
これを思い出すと、ギンヤンマのフレンズが現れる望みを絶たれるとともに、自分がフレンズになったのはサンドスターが避けられないほど鈍い証拠なのではないかと恐ろしくなるのでした。
しかしそんなはずはありません。
「あれっ、ツバメも来たよ」
サーバルが見つけたのは、もちろん鳥のままのツバメです。
「トンボが食べてるのと同じ虫を食べに来たんだね」
「ツバメもすっごく速いね!」
そのツバメは素晴らしい速さと身軽さをもって、トンボの集団から餌の羽虫を掠め取ります。
この光景もまた、オオシオカラトンボの記憶に刻み込まれているのです。
「副園長、頼みたいことが」
「はい。なんですか?」
「もし時間があったらでいいんだが……、後でツバメに会ってやってくれないだろうか」
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