シー
***
夜の無人駅に降り立った。
小雨がアスファルトを打つのが見える。
改札から出ると、灰色のバンとその横で一服をする男の姿が目に付いた。
あの金髪とチャラチャラした感じ……。
「高砂か」
「おう、来たな」
高砂がスライドドアの中の暗闇に手を突っ込み、見慣れた登山鞄と靴を取り出す。
予め俺が頼んでおいたものだ。
その中身をあらためながら話を続ける。
「赤沢さんから定時連絡が無かったんだって?」
「あぁ、昼頃に一度状況の報告をする予定だったのが無かったって話だ。夕方こちらから試してみたら圏外だったとか」
それで山田経由で俺の方に連絡が来たわけか。
その判断の早さはありがたい。とは言え、既にそれから半日が経過しており今は夜。時間的に早くもなんともない。
トラブルがあったのだとしたら、直ぐに捜索に向かわなくてはいけないと気が急く。
秘密主義のこの職場は、例によって一般の機関には頼ることが出来ない為、少数で捜索も救助もなんとかしなくてはいけない。
「まだ慌てる時間じゃないかなって思ったけどさ」
「でもこの時間でも行方知れずだろう? まだ公共機関が動いているうちに連絡くれて助かったよ」
靴紐をくるり、と結える。途中で普段より一回多く輪を潜らせるのが緩まないコツだ。
この間使ってからきちんとメンテナンスをしておいて良かった。
登山鞄ザックを背負い、ヘッドライトを点灯させて手元を照らす。サイドポケットから地図を取り出し、ルートの確認をした。
「本来ならこの時間には山小屋、地図だとここに居るはずだ。最良の可能性として、何らかのトラブルで通信機材が使えなくなってここにいるっていうのが考えられる」
「最悪なのは、どこかで道を逸れた可能性。どんなコースで歩いたのか、目印か痕跡が残っていないと追跡は不可能だ」
「その場合はどうするんだ?」
「どうも出来ない。しらみ潰しに探すだけさ」
「パンくずでもあればましな方ってことね」
そんなヘンゼルとグレーテル的行動にも、少し期待が持てるところがあったが、まだ口には出さないでおいた。
とりあえずはそこまでの道のりを真っ直ぐに進もう。山小屋がもぬけの殻なら、日が昇るのを見計らって捜索を始めればいい。
「俺はどうすればいい?」
高砂が手持ち無沙汰にしながら聞くので、少し思案して答える。
「とりあえずここで待機かな……明日になって本部の連中が来たら時の連絡係をお願いしたい。こっちが圏外の可能性大だから」
そうは言っても望みは薄いと思っていた。本部は動きが鈍い。「おおごと」にならなければ、重い腰を上げることはないだろう。
おそらく、「夏のあの日」のレベルにならなければ。
……。
「それに、もしかしたら子供たちが下山して来るかもしれない。その時にここに誰か居たほうが良いと思うんだ」
一緒に探しに行っても良かったのだが、正直なところ、高砂の体力は未知数だった。早々に山小屋の確認をしたい手前、道中置いて行かざるを得ない可能性があり、また、最終的に俺と高砂で別々に捜索にあたるとしたら、二次遭難の危険性も高い。
留守番をして貰った方が幾分か負担が減る。
文字通りのかばん持ちだけをさせた事に気が咎めたが、やりたいとか、やりたくないとか、そういう気分でどうにかして良い状況ではないのだ。
「じゃあ、この場所の事は頼んだぞ」
「あぁ、任せてくれ。必ず死守するから」
死守するって、何から?
そんないつもの掛け合いもそこそこに、俺は闇深くなった登山道へと足を踏み入れた。
————
ヘッドライトの明かりが足元を照らす。小さいが密度の高い光に頼りなさは無い。必要充分である。
気温は黙っていれば肌寒いくらいで、歩むペースを削ぐほどでは無く、時折笛を鳴らしながら、ただ黙々と歩く。
こんな登山口に近い場所では望み薄とは思うが、この音とライトの明かりに気がついたなら、きっと何らかの反応があるはずだ。
……さて、この強行軍が何故行われたのか、それを考えなくてはならない。
恐らくは、俺の行動が関係しているから。
子供たちに負荷ストレスを掛けること。
それは以前から議題には上っていたことだ。
ミメーシス能力は、人の感情が大きく関係している。
どの子も、初めてその力を使った時には、大きな感情の起伏があった……のでは無いかと言われている。
問題は、それが確定された情報では無いこと。
子供たち自身は、初めて能力を使った時のことを「覚えていない」のだ。判を押したように皆覚えていない。
その為状況証拠や、第三者の証言などから推察せざるを得ない。
その結果行われる事になった負荷ストレステスト。
ずっと反対をしていた。
表向きは何が起きるか分からないからと。
だが、実際には「かわいそうだ」というひどく幼稚な理由によるものだった。
その為、強く主張する事が出来ない。
説得力が弱いからだ。
世界はもっとえげつないもので満ちているにもかかわらず、こんな甘ったれた思考が俺の中にあると、知られてはいけない。それは、自分の首を絞めることになる。
また、俺はしずくが先日のピクニック以降調子が良かったのは負荷を与えたことによるものだとは思っていない。
だが上のほうはそうは思っていないようだ。
これも俺のミス。しずくとのやりとりは隠しておくべきだった。
実力を隠して云々、なんて冗談みたいな話だが、良くも悪くも目立たない事が平穏な日々を送るのには不可欠なのだ。
そのためにはどうすればいい?
隠れ蓑の存在は有効だと思われた。より強力で目立つ能力者の存在。そして、その心当たりはある。
義足の少女のことを思い浮かべながら、俺は自分がわるい大人になってしまっていることを自嘲した。
空が明るみ始めた頃、稜線に出た。ペースはかなり早い。
残念ながらライトが照らす明かりに反応はなかった。
これから捜索にあたるとを考えると体力の消耗は出来るだけ避けたいが……。
前日まではかなり激しい雨が降っていたようだが、今は雲の無い澄んだ空気が山の斜面を流れている。足取りは次第に早く、早足から駆け足になり、俺はカモシカのように稜線を駆ける。
ベジェ曲線みたいな稜線を上がり下りしていくと、遠くに山小屋が見えてきた。もう一息だ。
————
山小屋に到着した俺は、周囲の探索を始めた。
出入口にはちゃちな南京錠が掛かっているが解錠された様子はない。また、小屋の周りで土がむき出しになった所も確認したが、新しい足跡は確認できなかった。
小石も、パンくずもない。
つまり子どもたちは、この場所までは到着していない。
これは、いくつか考えていたケースの中でも悪い方の半分に含まれる。
少なくとも、俺一人の手には負えないものだ。
懐から端末を取り出して上司に連絡を取った。
「山小屋に到着しましたが誰もいないようです。到着した形跡も無い。どこかで道を違えて遭難したと推測されます」
「……そう。じゃあ、何が必要になるの?」
みゆり主任は普段とは別人のような落ち着いたトーンで返事をする。
「とにかく子どもたちを見つけないと話になりません。人手が必要です」
「行きに子どもたちを乗せてきたバスはすぐ動かせる状態に。既に低体温になっている子がいる可能性を考えると医療機関への移送も必要かもしれません」
「人はこれから向かわせる。バスはともかく医療機関はちょっと難しいわね……」
「ではそれに準じるスタッフを……」
「善処するわ」
対応は予想通り後手後手で、こんな悠長なペースでは救出にいつまで掛かるか分からない。やはり自分がなんとかしなくては。
電話を切り、そのまま高砂にも繋げる。
「どうだった?」
「山小屋には着いた形跡なし。結局ローラー作戦になる」
「アドラステア級か。おのれザンスカール帝国め」
「そのネタわからない人が殆どだからね!?」
「ともかく俺はこのまま下山しながら探してみる」
「こっちも待機ってわけにはいかないだろ? 下から探すか?」
「地図の見方と方位磁針の見方は?」
沈黙。
「二次遭難の可能性もあるし、結局二人じゃ……。普通ならヘリとかで上空から探すんだが」
「あるよ、ドローン」
「まじか! でかした!」
高砂のファインプレーに思わず言いなれない言葉を使ってしまうが、そのくらい心強いアイテムなのだ。
だが、むやみに飛ばしてバッテリーを浪費するのは致命的だ。全てを網羅できるほど飛行できる範囲は広くはない。
なにかアタリを付けることができないだろうか。
一度待機をしてもらうよう伝えて電話を切る。
ここにくるまでに、しずくは何か目印を残していなかったか?
……なかったと思う。それは俺が彼女を助けに行くという事を想像していなかったから?
もしくは、かなり始めの段階から正規のルートを辿っていなかった可能性や、問題が発覚したのがどうしようもない段階だった可能性など、いくつも考えられる。
どのケースの場合も、しずくが俺の助けを期待しているというのはいささか自意識過剰だろうが、それでも何かをせずにはいられないし、彼女を助けるのはいつも俺でありたかったのだ。
……けど、誰も彼もがヒーローになれるわけではないこともよく分かっていた。
「気持ちわるいなぁ」
そう自嘲して明るみ始めた稜線へと視線を向ける。
登って来る時に見落としがなかったか再び確認するためだ。
と、その視界の端が不自然なものを捉えた。
やや標高の低い岩肌の出た斜面、豆粒くらいの大きさにしか見えない距離があったが、大人の背丈くらいの女性が佇んでいた気がした。
なぜ女性だと判ったのか。それは女性の服装にある。
こんな山奥の険しい道の中で、女性は絢爛なドレスを纏っているように見えたのだ。
あわてて注視するがその姿は陽炎のようにかき消えてもう影も形もない。
「気持ちわるいなぁ」
今度は違う意味で呟くが確認をしないわけにもいかず、俺はその場所へと足を向ける。
朝露で僅かに濡れた岩肌に滑らないよう気を付けて、それでもペースは極力落とさずに駆け下りた。
あれが虫の知らせとか、そのような類のものであるかもしれないと思い至るが、虫の知らせは悪い報せを伝えるものだ。あまり考えないようにしなければ。
——いや、と思い直す。
もしかするとあの人影はミメーシス能力なのかも知れない。
頭に浮かんだのはまきなの“カレード”。
アレは人型と言うにはやや異形だが、今回の危機的状況がきっかけとなって他の子にも人型の能力が生まれる可能性はあり、それが俺の目に触れたと言う事も考えられる。
まきな以外の子供たちの中で、いったい誰がその能力を発現させたのか?
期待値が高いのは他でもない、しずくだ。
彼女の残した形跡がアレなのでは?
そう思うと、上流階級を思わせる純白の装いをしている所などいかにもそれっぽい。
少し足場の良い所に立ち止まって大声で呼び掛けるが返事は無い。
その場で目を閉じて、姿勢を正す。
じっとして心を落ち着けていると、先ほどまでは耳に届かなかった様々な音が聞こえてくる。
夜明けとともに目覚めた小鳥のさえずりや、水源から溢れるせせらぎの音。
視界に入るモノの中に、それらは無かった。
人間の感覚は、大部分が視覚に依るものであるが、依存しすぎると重要なものを見落としかねない。
いま必要な情報は、もっと微細なものなのだ。
五感をフルに発揮してそれを感じ取る必要がある。しかし人は犬のように鼻がきくわけでも、耳が良いわけでもない。猛禽のように眼が良いわけでもない。
ただ、この身に宿る何らかの感覚に賭けるしかない。
いつだったかの出来事を思い出す。
しずくが危機的状況にあった時、発光現象があったのを俺は見ていたはずだった。
扉の隙間から流れ出るように漏れ出す光。
閉じた瞼を透かしてなお視認できるバイオフォトン放射光。
“カレード”の素になっているのは、ミメーシスと呼ばれる超能力と、そこら中にありふれている目に見えない粒子。
それが一定の割合で混じり合うことによりダイラント流体となり目に見えるカタチをなすのだ。
…………。
俺が今いる場所は斜面の一部がちょうどヘソのように凹んだような形をしている。そこにちょうどきらきらとしたものが吹き溜まっている感覚があった。
目を開けるとわからないほどのほんの些細な光暈(ハロー)。
まぶたを透かしてぼんやりと見えるそれは、スノードームのラメの粉末みたいな、子供が喜びそうなヤツだ。
吹き溜まっているからには、どこかから流れ込んできているはず。細かい疑問はとりあえず脇に置いて発生源を探すと、斜面の少し上、ちょうど子供の背丈くらい覆い隠せそうな岩が密集した場所から湧き出すように流れ出ていた。
呼び掛けは聞こえていたはずの位置。
駆け足で岩の側面に回り込んで覗き込むと、そこに……いた。
風を遮るように固まって少女が二人。
包まっているピンク色の雨具に覚えがある。
すぐ側にしゃがみ込んで少しだけそれを剥ぐと、背中が小さく上下しているのが確認出来た。
眠っているだけのようだ。
それだけで自分の体から張りつめていた緊張が一気に解けていくのを感じる。
幸いなことにしずくは濡れ鼠では無い。
朝露を纏う頭髪は細くやわっこい髪の上で玉を作り、朝日を受けて宝石のようにきらめいている。
毛先はしっとりと湿り始め、鴇色ときいろの影を落としていた。
手ぬぐいを取り出してその雫を拭き取るときに不意に彼女の長い睫毛に触れ、それがきっかけとなって閉じられていた大きな瞳がゆっくりと開いた。
しずくはぱちぱちと瞬きをした後目を見開いたまま沈黙をしていた。俺も何も言わず少しの沈黙が流れるが、
「頑張ったね」
そう言って抱き締めると、ややあってぐしぐしと鼻を鳴らす音と、掠れた声で俺の名前を何度も呼ぶのが聴こえた。
背中をぽんぽんと叩きながら俺は黙って続きを促す。
「ちゃんと安全なところで待っている事ができたじゃないか。泣くことなんて無いんだ」
「ちがうんです……ほめられる事なんてわたしはひとつもしていなくて……」
「せんせいはきっと来てくれるってわかっていたのに、夜に何回も、もしかしたら来ないんじゃないかって……疑いました」
「それに、はつねさんのことだって、わたし一人じゃ何とかできないって……そうなったら……」
「だから……迎えに来てもらう資格なんて無いのです……」
涙声で口にするその言葉は続かなかったが、俺が助けに来るかどうかを疑った事と、途中ではつねを置き去りにしようかと思い悩んだ事に自責の念があるのだろう。
それは些か潔癖すぎやしないだろうか?
どんな人だって心の中でどう思ったかまで制御することはできないだろう。
少なくとも俺はそうだし、かのヘレン・ケラーの家庭教師を務め、彼女の人格形成に大きな影響をもたらしたアン・サリバンだって聖人君子ではなく、自らの手記の中でヘレンに対して随分と辛辣な物言いをしていたという。
それが慰めななるかどうかはわからないし、今は言葉は必要無い気がして俺はしずくを抱きしめる腕に少し力を込めた。
宙をさまよっていたしずくの腕が俺を抱き返してくる。二の腕の辺りに少し痛みを感じるくらいに細い指先が食い込んでくる。
ぎゅっと、しばしそうしていた。
ずっとそうしていたい気分だったが、はつねの目覚めの音とともにわたわたと重なった身体は離れた。
良くないことをしている。そういう共通認識の元に二人の関係はある。
————。
持ち込んだ器具クッカーでお湯を沸かし、温かいスープを飲ませる。
少し落ち着いたしずくとはつねから、事の顛末を聞くことができた。
目の前を流れる小川は、昨日の時点では渡渉としょうが必要なほどの流れだったのだという。ここを超えた下りの斜面沿いに一行が降りていったそうだ。
そうと分かればと、俺はすぐに高砂に連絡を取り、ドローンの飛行要請をする。
地図を広げて見てみると、一行が居る場所もある程度予測が付いた。数百メートル下った先、滝のそばの崖の辺りで立ち往生している可能性が高い。
現在地の経度と緯度をメールする。
「先生、直ぐにみんなを助けに行かないと」
冷静さを取り戻したしずくはもっともらしい事を言う。横ではつねが目を剥いた。こんな目に遭ったのだ。自分だけでも一刻も早く下山したいのは当たり前のことだろう。
……仮に今から赤沢教諭率いる一行を探しにいくとして、要救助者が何人いるかもわからない。俺一人先走っても意味のない事だ。それに、一番の目的は今ここにある。
俺は道具を登山鞄に仕舞うと少女二人を抱えた。
「わぅ」
「せ、せんせい!?」
「み、みんなは?」
「私は、ここで待っていても……」
「まずはお前たちを無事に下まで送る。俺がそうしたいからだ。いいな?」
「あ……」
ちょっとカッコつけてそう言うと、思いのほか深く刺さったのか少女二人は黙りこくる。
特別扱いをするんだ。と殊更に意識しているようだった。
とは言えそのまま下まで降りるには小脇に抱えた少女二人は重い。それとなく言い訳をつけてしずくを抱っこして、後ろにはつねを背負い直したら、彼女らにとって嫌な思い出の残るこの場を振り返らずに後にした。
視界の隅に一瞬だけ白いドレスが見えた気がして思わず立ち止まりそうになる俺の頭上を、一機のドローンが旋回していった。
…………。
「あ、焼きマシュマロ」
「すっかり忘れていましたね」
「食べる余裕なんてなかったもんね」
「マシュマロはな、ただ役だけじゃなくてビスケットみたいのに挟んで食べるとより美味しいぞ」
スモアはアウトドアでの伝統的なおやつとして知られており、楽しいキャンプの締めには欠かせないものだ。
だが、それを作る機会は今後果たして訪れるだろうか? こんな事があった手前、今後俺は反対の立場を取らざるを得ない。そうなると難しいように思えた。
降りてから何をしたいか、なんて話をぽつぽつとしていたが、疲労からかほどなくはつねはずり落ちるように脱力し始め、俺は落としてしまわないようにペースを落とした。
不思議なもので、こんなに上下に激しく揺れる状態でも人は眠る事ができるのだ。
しずくも揺かごに揺られる赤ん坊のようにうとうとし始めた。
寝ても構わないと言うと、すっと眠りに落ちていく。
人を抱きかかえる時、実際の体重に比べて妙に軽く感じる事がある。抱えられた人が抱えた人の負担にならないよう寄りかかり方を調整したり、体幹にしっかり固定されるよう腕を絡ませたりできるからだ。
ところが眠ってしまった人は、途端に重さなりの荷物となる。今、俺の体にもおおよそ60kgの荷重がかかっていることになる。つらい。
だが泣き言なんて言えるわけもないので黙々と数時間の道のりを下る。
つかず離れず何者かの気配が付き従っていた。おそらくは……。
——。
————。
登山口に到着すると、そこには見慣れたバン数台が止まっていて、俺の姿を視認すると直ぐに数人が集まってきた。予想していたより人数がずっと多い。さすがみゆりさん。いざというときは頼りになる。
上で俺が送ったデータと、高砂のドローンにより赤沢教諭やまきなたちの居場所は判明しているとのこと。しずくのお手柄だ。
ただ、本格的な救助活動はこれからなのだそうで、つまりこれから俺は再び登らなくてはいけないと言う事だ。
しずくとはつねの2人と一緒にバンの後部シートで眠りこけたい気分だったが、再び救助隊の先陣を切って現れて、カッコいいポーズをする必要が出てきてしまった。
荷物を背負い直しかけるが、温かいスープも甘いお菓子も先ほど全て消費してしまったことを思い出し、そのままバンに放り込む。
その音でしずくがうっすらと目を覚まし、俺が再びどこかに行こうとするのに気が付いたのだろう、飛び起きて駆け寄ってくる。
「すぐ戻るから。寝てて」
「そんなわけには!」
寝起きにもかかわらず押しも押されもせぬ雰囲気を感じたが、だからといってしずくに何かできるわけでもない。少し強めに制すると、おずおずと引き下がる。
その際、股ぐらに差し込んだ手をもぞもぞとさせて貼るカイロを取り出した。持っていけと言うことらしい。
ふとももあたりに貼っていたものだろう。少女の体温よりなお温かい。一晩蒸されていただろうに、不思議と不快感はない甘酸っぱいしずくの体臭が香った。
おもむろに首もとに貼り付けると、燃料を満タンに注がれたレースカーのように力が湧いてきた……気がした。
「さて」
行こうか。
結局、また問題は先送りで、しずくにも可哀想な思いをさせてしまった。
このままここに居ては、今後も愉快でない目に遭い続けるのだろう。
目先のことしか頭にない俺にも、今後の展望が拓けていない事は分かっている。
それでも何かに縋すがりたい。
少女が生きる為俺と言う大人に縋ったように、俺はこの組織に縋り付いて生きるのが妥当だ。
幸い、超能力についての物事には前進がみられる。頃合いを見て組織を出し抜ける事ができるか、色々と工作を試みる時期に入ったのかもしれない。
山積みになった課題に埋もれてい僅かに覗く希望。
掘り起こすために、まだ俺は頑張らないといけない。萎えそうになる決意を後押しするように、首元にあるぬくもりは一層熱を持つのだった。
***
救助は、一日がかりの大仕事となったが、陽が落ちる前に全員が無事に下山した。低体温症となった数人が個別に病院へ運ばれていく。それでも命に別状はなく、ひとまずヤマは越えたことになる。山だけに。
引率の赤沢教諭も緊張の糸が完全に切れてしまっており、先ほどまで号泣していたのだが、ようやく落ち着いたようだ。手渡した手ぬぐいで顔を拭う動作は完全に取り繕う仮面が剥がれた状態だった。あ、今鼻汁が手ぬぐいとの間に橋を作った。
見なかったことにしよう。
まきなは終始不満そうだったが、なんとかなだめすかして連れ帰ってきた。こちらも、何かしらフォローが必要になるだろう。
結局三往復もさせられてしまい、膝もガクガクだし足の裏もベロベロに剥けてしまっている。体力はある方とは言えこれは辛い。もう何もせずに一週間くらい寝て過ごしたいが、帰ったら報告書を作らないといけない。
ため息の変わりに深呼吸をする。
空気は澄んでいてとても美味しい。自然はいつだって大きく、厳しい。
これからしなくてはいけない仕事から逆算すると、帰路で少しでも寝ておかないとひどいことになりそうだ。
踵を返して高砂が運転手を務めるバンに乗り込む。
目配せだけで「すまん」と伝えると、向こうも目配せだけで「ええんやで」と返してきた。なぜ関西風なのかはわからないが有難い。
ペラペラのシートにどっかりと腰掛けると、横では、しずくが静かに寝息を立てていた。
「おやすみ」
そう言って、自分も目を閉じた。
ティアドロップ 桂 海人 @katuraumihito
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ネクスト掲載小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます