悪夢 Ⅲ
「この娘を犯して生き延びるか、その娘のみならず両親と共に処刑されるか。全てはお前次第だということだ」
薄く整った唇を噛みしめた少年は、固く拳を握りしめた。よく磨かれた爪が、絹の手袋越しに堅い掌に傷をつけるまで。
立場上この男を諌められるただ独りの人物は国王だが、王は世継ぎに恵まれず、己の後継者たる弟をほとんど放任している。つまり、ルベリクに逆らえる者など、この国には存在しないのだ。
しかし、だからといって、まだ十三のレティーユを穢すなど。兄は妹を守るものなのに。四年前のあの日、絶対に幸せにすると約束したのに。
――父上、母上。真に申し訳ないのですが、僕とレティーユと一緒に処刑場で死んでください。
これ以この男に跪いてなどいられない。少年は立ち上がり、美々しい装飾が施された柄を握り締める。しかし震える声とぬくもりは、今にも剣を鞘から引き抜かんとしていた手を止めた。
「待って、お兄さま!」
ジリアンにしかと抱き付いた妹は、肩を震わせながらも懸命に、ジリアンの
こんな状況だというのに、密着した乳房の柔らかさと弾力を、意識せずにはいられなかった。間近に迫った金緑の双眸は潤んでいて、長い睫毛には朝露と見紛う雫が絡んでいる。けれども赤い髪に縁取られた面は、静かに凪いでいた。。
「……わたし、いいの」
ふっくらとしていて愛らしい唇が紡いだ決意の意図は、俄かには解しがたかった。
「お兄さまになら、どんな酷いことされてもいいから、」
豪雨に打たれながらも誇り高く咲き誇る薔薇の笑みを浮かべた少女は、躊躇いながらも衣服を脱ぎ捨てた。
まず最初に上衣を。そして
終いには靴下さえ脱ぎ捨てた少女は、深紅の寝椅子にまろみを帯びた四肢を投げ出す。晒け出された陶磁器の肌の白さは輝かんばかりなのだが、こんな場所で見たくはなかった。
「おにいさま、」
妹の裸体を冷ややかな光を宿した緑の目から隠すべく、石と化していた脚を動かす。
足どころか身体そのものが一歩、一歩と動かすたびに重くなった。しかし少年は気力を振り絞り、ついに波打つ髪を広げた少女の元に近づく。
妹に被せるために、少年が上衣の釦を外していると、片方の腕をぐいと引かれ、寝椅子に引き込まれてしまった。
衝撃のあまり、ジリアンの思考はしばし停止した。役立たずの頭が再び我に返った際には、ジリアンの脚衣の前は緩められていて、飛び出した肉塊は温かな粘膜に包まれていた。
「流石、娼婦の娘といったところか。既にこのような小技を知悉しておったとは」
憤怒を呼び覚ます囁きに反応してか、懸命に動いていた舌はしばし静止する。
一瞬の後に再開した
堪えきれなかった快感は、白濁となって漏れ出る。その精を噎せ返りながらも嚥下した少女の微笑は、儚くも清冽だった。
「どうした、ジリアン。兄の務めは妹を導くことではなかったのか? しかしこれでは、」
――士官学校に放り込まれている間に、誰ぞの
その揶揄の意図を解しえないほど、ジリアンは世間知らずではない。普段のジリアンならば、迷うことなく目の前の怪物を斬りつけていただろう。けれども、今妹から与えられる快楽は、屈辱を覚える余裕を根こそぎ奪った。
再び鎌首を擡げた蛇に、少女にしては豊かな曲線を描いた肢体が跨る。淡い繁みに守られた亀裂に頭が潜り込むだけでも、細い眉は苦しげに顰められたのだ。
相部屋の悪友たちとの猥談で幾度となく取り上げられたそこは温かく、柔らかい。そして何より心地良かった。気を抜けばすぐに達してしまいそうだったが、
もういいだろう。もうあいつも満足しただろう。
少年は妹の肉体の中から己を抜き、大粒の涙を流し荒い息を吐く妹を抱きしめ、怪物をねめつける。
「――お前はそれで済んだとでも思っているのか?」
仕入れた家畜の肉付きを評する肉屋の目をした男は、嗤っていた。
「私は罰を与えよと申したのだぞ? しかしあれでは、お前がこの娘を犯したのではなく、お前が犯されたようなものではないか。情けない」
やり直しだ、ジリアン。今度こそ、私が満足するように努めよ。
冷笑と共に投げつけられた命を遂行するには、五回もやり直さなければならなかった。
押し入られる際の激痛を少しでも減らそうと、血を流すそこに舌を這わせ唾液で潤せば、それでは躾にならぬと詰られる。
友人たちを介して知った、女が悦ぶ部分を刺激してもまた同じだった。しかも、最中ではなく全て終わった後に
「――この余興にもそろそろ飽いてきたな。だいたい、おぞましい脂肪など、いつまでも眺めているものではない。やはり女は初潮前に限る」
だったらすぐに僕たちを解放しろ。ほとんど唇を割りかけていた罵声は、この上なく冷酷な微笑に押し留められた。
「ゆえに、機会はあと一回のみだ。次にその娘を犯せなかったら、お前たちは両親や使用人共々犬の餌だ、ジリアン」
乱れた銀の髪を鷲掴まれ、互いの吐息が頬を撫でるほど間近で垣間見たのは、悪魔の貌であった。
それから自分が妹に何をしたかは、正直忘れてしまいたい。ただ、一つ言えるのは、結局ジリアンはあの男に抗えなかったということだけ。
レティーユは破かれた衣装の代わりに、王妃が成長した娘に着せようと仕立てさせていた――国王夫妻の娘たちは、いずれも五つを越える前に早逝してしまったが――目も眩まんばかりの一着を
ジリアンもまた身なりを整えられて屋敷に送り届けられたが、あの忌々しい夜の出来事を、いつまでも隠し通せるはずがない。
経緯を把握した父は、抗議すべく国王の執務室にまで乗り込んだ。けれども返されたのはあまりにも簡素な謝罪と、耳を疑う文句だったのだという。
『あれが申していた。お前の妻や息子に似た見目麗しい娘ならば、十三を越えても子を成すまで抱けるやもと思い立ち、目の前でお前の息子と養女を番わせてみたのだと。――恨むなら、美しさに惑わされ亡命貴族の女などを娶った己を恨め』
自分たちは家畜ではない。レティーユはまだあんなに幼いのに、子を産ませるなんて。
幸いにもあの十日後、レティーユには月のものが訪れたらしい。だがもしも本当に身籠っていたらなど、考えるのも恐ろしかった。
子を育むには、少女の身体は未熟にすぎる。万が一が起こっていた場合、レティーユの心身には多大な負担がかかるし、命を落としていたかもしれない。
つまり、これはやはり最初から最後まで、ルベリクの暇潰しの娯楽に過ぎなかったのだ。成功しても失敗しても構わない、ただの余興。あの男にとっては、自分や妹の命など、露ほどの価値もない。
これから、自分たちはどうなるのだろう。王命で結婚させられるのはともかく、いつか娘が生まれたら、化け物の贄にされてしまうかもしれないなんて。その時は、いやもういっそ今すぐにでも、心中するしかないではないか。
自死は遍く生命を創造した唯一神に対する最大の冒涜であり、ゆえに自殺者は地獄に堕ちるのだと教会は説く。けれども黒炎燃え盛る地の底とて、あの男が君臨する悪夢の国よりは幾分かましだろう。
渇いた嗤いを漏らした少年を、優しく温かなぬくもりがそっと包んだ。
「……まだ生まれてはいないとはいえ、大切な孫だ。あの男の玩具になど、黙ってさせるはずがないだろう?」
父の双眸は、今ではほとんど同じ高さにある。だのに自分と同じ青を湛えた瞳は、この上なく頼もしかった。
「お前も、今回のことで分かっただろう? あれが王になったら、この国は滅びると」
「……」
「だったら、そうなる前に滅ぼせば良いのだ。この国そのものではなくて、王という存在を」
父の兄も死した、二十年前の戦の契機となった愚案への怨嗟は未だ晴れていない。平民のみならず有力貴族の間でも、王への憎悪の炎は密かに燃え盛っている。
また、怨むとまでは行かずとも、この国の行く末を案じる者は大勢いるし、それは父も同じだった。
つまり父アランは、この国の行く末を案じていたからこそ、夜会のために王都へと参じる振りをして、密かに同士たちと議論を重ねていたのである。絶対王制から、北の隣国に倣った立憲君主制へと、平和裏に移行させるために。
「だが、もはやそのような
初めて明かされた真実であるが、受け入れるのは容易かった。どちらかと言えば奢侈を好まない気質の父母である。両親が毎年欠かさず王都に参じていたのも、全ては偽装だったのだ。
あの男の暴虐に食いつぶされる前に。けれども急いては仕損じると肝に刻んで、行動を起こさなくてはならない。国を、未来を、大切な者たちを守るために。
従順な羊の振りをする影で、拾い集めたルベリクの蛮行を城下に流し、王家の権威を失墜させるのは簡単だった。
そうして、父と志と同じくする者たちと共に王を倒したジリアンには、己に課せられた使命を全うする義務がある。
「たいちょー。どうしたんですか、メシの前だってのにそんな怖い顔しちゃって。まあ、隊長はどんな顔してても美人ですけ、」
八年前の己の世界には存在していなかった声の源に、反射的に拳をめり込ませる。するとティドは、しばらくは黙りこくって鳩尾に掌を当てていたが、ややして朗らかに破顔した。
「何に怒ってるのかは分からないですけど、取り敢えずメシ食いましょうよ。そしてしっかり休んで、しっかり仕事して王弟を捕まえたら、みんなでぱーっと飲みに行きましょうね!」
「……そうだな」
ジリアンは必ずルベリクをこの世から抹殺する。未だ王家に忠誠を誓っているのだと欺くために挙げた婚礼の日。妹の足元に跪いて、そう誓ったのだから。
その過程で自分が倒れることがあっても、どうか悲しまないでほしい。あの時何もできなかった僕のような不甲斐ない男ではなく、君を守ってくれる男と幸せになってくれと告げた時。私はあなたとしか幸せになりたくないのだと、嗚咽を漏らしながら縋りついてきた彼女のために。
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