首都 Ⅱ

「ほら、あれがレイスの家。今日から数日、俺たちが世話になるところだよ」

 少女は骨ばった指の先の、そびえる鉄格子に囲まれた屋敷に目を瞠る。なぜならジュジェ家だと説明された建物は大層豪壮で――広い庭と小屋まで有する、屋敷と称するに相応しいものだったから。

 ベルナリヨンの家だって一般的な家庭よりは遙かに立派なのだが、ジュジェ家の面構えはそれをあからさまに上回っていた。整えられた庭木はところどころに武骨な腕を伸ばし、とりどりの色彩で彩られている。なかでもとりわけ鮮やかなのは、空の青に映える金雀枝エニシダの黄色で、格子から溢れだした花房は光の洪水のようだった。

 死刑執行人は、彼らを最たる賤業に就く人殺したちだと嘲る世間の目はどうあれ、公的には各都市の高等法院に勤める、下級ながられっきとした官吏である。けれどもフィネが指し示したのは下級役人の住まいには相応しからぬ豪勢な、中流の貴族の館だと公言しても通りそうな屋敷であって。

「……ずいぶん立派だけど、あれが本当にお前の従兄の家で、お義母さんの実家なのか?」

 少女は傍らの青年の服の袖を引き、濃紺の瞳を凝視せずにはいられなかった。慌てふためきつつも足を動かしている間に間近に迫った門は、セレーヌの疑心を呼び覚まして余りある手の込んだ造りをしている。これが、あの庶民的で親しみやすい義母の実家だと主張されても、俄かには信じがたい。

「十二の頃から四年も暮らした家を間違えるはずないだろ? ここは正真正銘母さんの実家だよ」

「そ、そうなのか?」

「まあ、君が疑うのも無理はないけれど、とにかくレイスに会えば納得できるだろう」

 だのにフィネはセレーヌの困惑など知らぬ顔で歩を進め、

「レイス! いるか?」

 躊躇せずに鉄製の扉を開き、声を張り上げて従兄を呼んだ。

「あー、うるせー。んな大声出さなくても聞こえてるっつうの」

 程なくして現れたのは、フィネほどには背が高くない若い男であった。明るい茶色の髪の彼の口調はぶっきらぼうで乱雑だが、出で立ちはどことなく爽やかで好感が持てる。

「お前、たまに奥の部屋に入り浸っていて中々出てこないことあるだろ。なのにその言い草はないぞ?」  

「ま、それもそうだな。――久しぶりだな、フィネ。元気にしてたか?」

「ああ。お前も元気そうで何よりだ」

「四日後にはまた官庁に行かなきゃならねえのに、風邪なんかひいてられるかよ」

 フィネと親しげに軽口を叩きあう青年は、説明など不要なまでにフィネの従兄でミリーの甥であった。少女は目前の青年たちのどことなく似通った横顔に心中で頷く。レイスはその容姿以上に、はっきりした物言いや雰囲気がミリーによく似ていた。もしかすると、フィネよりも似ているかもしれなかった。

「で、お前の嫁は? お前が一目ぼれして助けたっていう、愛しのセレーヌちゃんは?」

「……一目ぼれした、なんて誰も書いてないだろ。勝手に話を脚色するな」

「ちょっとぐらいいいじゃねえか。で、麗しのセレーヌちゃんはどこに――」

 レイスはまるでフィネの傍らに立つセレーヌの姿が見えていないように、きょろきょろと周囲を窺う。けれどもあちらこちらを彷徨っていた視線はやがて小さな白い顔に据えられた。もしかして、セレーヌの顔に何か付いているのだろうか。

 大きく見開かれた目は徐々に訝しげに――遠い昔に置き去りにした何かを探るかのごとく細められる。

「おい、フィネ。この子がお前の嫁なのか?」

「この状況でこの子が俺の妻じゃない方がおかしいだろ」

「……マジかよ。お前な、いくらなんでも幼女・・はヤバいだろ」

 レイスはたっぷり一分以上はセレーヌを見つめた末に、春の陽気を完膚なきまでに吹き飛ばす爆弾を落とした。一陣の生ぬるい風がフィネの引き攣った頬を撫で、細い髪を結えた桃色の飾紐をそよがせる。

 ――誰が幼女だ! わたしはもうすぐ十四歳になるんだぞ!

 義理の母の実家に訪問するのだから、と念を入れて選んだ余所行きの衣服が自身の幼さを強調しているとは思いもよらず、少女はふっくらとした頬を膨らませた。

「いや、うん。確かに可愛い子だとは思うぜ。だけど、守るべき良識とか、越えてはいけない一線ってもんがあるだろ? 叔母さんはそういうことに煩いから、お前もガキの頃に叩きこまれてると思ってたんだけどな……」

「……お前は本当に母さんの甥だよな。言ってることがまるっきり同じだ」

 結局、フィネは従兄の誤解を解くために少なからぬ時間を費やし、セレーヌはその間、人生における無駄な時間の意義について熟考していた。セレーヌは修道院にいた頃、今の院長である女に怒鳴られるたびに、そうして説教の終わりを待っていたのである。

「まあ、ヤってないならそれでいいけどよ。でもぶっちゃけその子とお前が並んでたら“良くて兄妹、悪くて誘拐犯と被害者”だぜ」

 破顔する青年はそれでもフィネが押し付ける荷物を受け取ってくれた。フィネとセレーヌはこれから首都観光に赴くのである。

「夫婦水入らずの新婚旅行なんだから、ゆっくりしてこいよ!」

「……どうも」

「でも、日が暮れる前には帰って来いよ! 昼間ならともかく、夕暮れにお前とセレーヌちゃんが一緒にいるとこ見たら、冗談抜きで緊迫の誘拐事件の現場だからな! 憲兵にしょっ引かれないように気を付けとけよ!」

 豪快に大口を開ける青年の笑い声は、晴天の下で轟くに相応しく朗らかであった。


 パルヴィニーは他の追随を許さぬルオーゼ第一の都市であるが、その始まりは決して栄光あるものではなかった。

 最初にパルヴィニーが正史にその名を刻んだのは、ルオーゼ三代目の王と四代目の王の治世の狭間のこと。六百年前からの都は、元々は謀反を企てた逆賊が治める地であったのだ。悪しき欲望のために大勢の咎なき人々の命を露と散らした最初の・・・アルヴァス侯爵は、反乱を抑えた四代王の命によって処刑された。そして主の血統が絶えたアルヴァス侯の位を拝受したのは、国内を揺るがした騒乱の際にパルヴィニーを鎮圧し、その後の治安維持に努めた青年であった。

 二番目のアルヴァス侯家の祖先でもあり、四代目の王の側近にして少年時代からの友人でもあった彼は、元々はしがない伯爵家の次男であったらしい。兄が子を生さぬまま頓死でもしない限りは領主の座を得られるはずもなく、王に仕える官吏として一生を終えるはずだった青年は、突如実家を超える規模の領地を治める身となった。どころか、一年前まではルオーゼを支配していた第二王朝アルヴァス朝の開祖となったのである。

 現在の概ね三倍以上の版図を誇っていた第一王朝時代は、輝かしくはあるが驕奢と退廃の悪風甚だしく、唯一神からの罰は王統の断絶という形で下された。

 治めるべき血筋を失った国は、版図に治めていた現在の諸外国の離反と侵攻を抑えきれなかった。ルオーゼの領土が往時の三分の一にも満たないのは、第一王朝崩壊後、諸侯が玉座を賭けた内乱にかまけるばかりで、外敵の侵入を許してしまったためでもある。

 群雄割拠の暗黒時代に立ち込める闇を武勇で切り裂き、辛苦に喘ぐ民草に光明を齎したアルヴァス侯爵は、功績により王として戴冠された。王となった彼は、荒廃した聖堂の数々を再建し、唯一神への正しい信仰を人心に芽吹かせべく尽力する。一方で諸外国との国交にも力を入れ、国益となるならば崇拝する神が異なる国とも手を結んだ。

「ここがノルバ人の区画なのか?」

「そう。ナスラキヤ人やイヴォルカ人のための街はまた別にあるけれど近くにはトラスティリア人の聖堂もあるし、小規模だけどアルラウト人用の界隈もある」

 少女はかつての英傑の優れた手腕の名残――整えられた外国人街や露店に並べられた品物に歓声を上げた。

 貿易や国交のために首都に滞在する外国人たちはいわば客人でもあるから、一部の例外を除いては政府の庇護下に置かれている。もっとも、政府がどの国を一番重要視するかによって、彼らの生活や自由の程度は左右されるのではあるが。

「ざっと見る限りでは、ノルバ人が一番幅を利かせてるな」

 北の隣国ノルバは、民が王制の廃止に踏み切るまでに愚昧な支配者が続いたルオーゼとは対照的に、英明な女王に恵まれた。ゆえに彼の国は、近年目覚ましい発展を遂げているのである。数世代前まではほとんど同等であったはずの北の隣国との格差もまた、革命の遠因であった。

 少女は行き交う人々の容姿に目を留め、西の隣国に多い黒髪や海峡を越えた帝国の特徴である赤毛を圧倒する金や栗色の髪の多さに目を瞠る。

 そしてふと足を止めた土産物屋の商品を一つ手に取り、

「フィネ。お義母さん、こういうの好きか?」

「母さんの好みは良く分からないけれど、春とはいえ早朝や夕方なんかは肌寒いから、一つ買っておいても損はないんじゃないか?」

 義母への土産物として買い求めた。感じの良い赤ら顔を緩めた商人は、手早く商品を包みながら口を動かす。

「お目が高いね、お嬢さんたち。それは今流行の意匠だから、お母さんも喜ぶこと間違いなしだよ!」

 白樺の豊かな森と青く深い海。何より神秘的な色彩の波――極光オーロラに彩られる国ノルバ。ルオーゼと同じ大陸中部北方の民族を祖とする北の隣国の民は、容貌ではルオーゼ人とほとんど見分けがつかない。事実ルオーゼが建国された当時は、ノルバはルオーゼの一部であり、同じ神話に属する神々に祈りを捧げる同胞であったのだ。現在の西の隣国トラスティリアを本拠地として栄えていた亡き大帝国に「東の蛮族」として、一まとめに統治されたこともある。けれどもノルバにはルオーゼとは相容れぬ存在が一つだけあった。

「なんたってうちの女王陛下が愛用するっていう肩掛け――に似せた意匠の品だからね。これを羽織れば、君たちのお母さんも女王様になれるってわけさ!」

 女王だ。ルオーゼの王位継承法では、女は嫡子であっても父の位を受け継ぐことを赦されない。せいぜいが、兄弟が産まれなかった場合に分家の男を婿に迎えて夫を国王とし、自らは王妃の座に収まるぐらいだ。王の庶出の息子は、父に嫡出の王子が生まれなかった場合や、王妃腹の兄弟たちが全滅してしまった――あるいは全滅させた・・・・・場合は即位できるのに。

 ルオーゼとノルバは同一の祖を共有しているが、二つの国の祖であるルース人は北方系と南方系の二つの集団に区別できる。ルオーゼ人の祖である南ルース人とノルバ人の母体である北ルース人では、風習も言語も随分と異なっていたらしい。だからルオーゼはとうとう独りの女王も立たぬまま王家が斃れたのに対して、ノルバは在位五十年を越える偉大な女王を戴くに至ったのである。

「ありがとうございます」

「また来てくれよ!」

 少女は冠絶の女王の偉大さを誇らしげにまくしたてる商人に別れを告げた。ここがルトで、商人がルオーゼ人ならば有り得ぬ態度を惜しみながら。

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