第十三話 寿命
その翌日、朝早くに柳沢社長から電話があった。
なんでも<りんちょこ>さんが、僕に無理矢理ホテルに連れて行かれそうになった、と柳沢社長に泣きついたらしい。そして、僕を解雇してくれ、とも。
柳沢社長はだいたいなにがあったのか察していたみたいで、『だったらキミを解雇する』と言ったら、<りんちょこ>さんはそれ以上なにも言わずに黙ったそうだ。
こうして僕と<りんちょこ>さんは、たった一度しか会っていない同期にもかかわらず、共演NGとなる。言葉の響きが、まるで芸能人同士のやり取りみたいだ。
それから話は変わって、僕のデビュー曲についての細かい打ち合わせに入る。打ち込みだったベースとドラムは生音に差し替えることになり、ケイレヴの<
その話の流れで、僕は自分のギターとキーボードも
するとどうやら柳沢社長も、もう少しブラッシュアップさせてもいいと思っていたらしく、逆に頼まれてしまった。
歌詞は
困ったのはタイトルだ。曲のファイルはどれも番号が振られてあるだけで、タイトルがつけられていなかった。遺品のノートにも、それらしきものは書かれていないらしい。そもそも、あれがデビュー曲になると知ったのは昨日だったけど、それを言うと島田さんがまた怒られてしまいそうなのでやめた。
もう、この電話中に考えて、決めるしかない。
「それで<
「はい。デビュー曲のタイトルは――」
それから、一年が経った。
僕のデビュー曲『
すごく緊張したのが、僕のCDが置いてあるCDショップにサインやコメントを書きに行くという、リリースの挨拶まわりだ。島田さんのスケジュールの都合もあって、僕一人で行かなくてはならなかった。こんな時バンドメンバーがいたらと、ソロデビューを後悔する瞬間だ。
一番最初に行った店舗で、僕はいきなり失敗してしまう。事前にアポを取るのも忘れてショップに入り、店員さんに『このCD僕なんで、写真を撮ってもいいですか』なんて質問をしてしまい、結局写真だけ撮ってショップを出たことだ。店員さんにすごく不審な目で見られたことを覚えている。
驚いたのが、ほとんどの店舗が試聴コーナーで目立つように置いてくれていたことだ。自分のCDが試聴機に入っているというのは、いまでも不思議な気分になる。
デビュー曲のリリースから一ヶ月後、ついにライブが決まる。最後にライブをやって以来、約三年ぶりの出演だった。
このあたりから、僕の想像以上に忙しくなる。ストック曲の一つ一つに演奏をつけて覚え、それとほぼ同時進行で『
ライブでも<
一日一日がものすごいスピードで過ぎていくほど、僕は本気で取り組んだ。もう、
そして、あっという間に初ライブ本番を迎える。
当日のライブハウスでのリハーサルは、他の出演者が来る前の午前中に済ませた。
ライブの演奏中、マイクはオフになっていて声を拾わないので、普通に声を出して歌ってもいいとのことだ。てっきり僕は、声は出さずに口だけ動かすものだと思っていた。もちろん最初はその練習もしていたけど、すごくやりづらかったのを覚えている。
キャパは約二百人と小さなライブハウスだったけど、オープン前からお客さんのちょっとした行列ができていたらしい。ステージに立った瞬間、もう頭の中は真っ白で。どう始まってどう終わったのか、記憶が曖昧だった。覚えているのは、
ライブをやるようになって、事務所から少しずつお金をもらうようになった。そんなに頻繁にやるわけでもないのに、なんでも、僕の〝チェキ〟を販売するようになってから、急に物販の売り上げが上がったそうだ。インスタントカメラからフィルムが出てくる仕様で、その写真撮影のために何十回、何百回とポーズを取らされた。
自分の顔がワンコインで売られていくことに、初めは違和感があったし、気持ち悪いとすら思ったけど、柳沢社長は「使えるものは何でも使いなさい」「顔は才能よ」と言う。そんなチェキも、いまではもう僕の給料の主力だ。
契約当初の予定通り、CDをリリースするペースは早かった。デビュー曲の『
ふと、むしろ順調に進みすぎているのではないかと疑問に思う。口パクを疑っている人はいるかもしれないけど、僕の秘密、僕の歌声ではないと気づく人が一人くらい出てきてもおかしくない。
「前にも徹底的に調べたけど、その亡くなった彼の情報はどこにもあがってないわ。話題にすらならないド底辺のアマチュアだから、安心してちょうだい」
「でも、
「自分で聴いて、それがカウントされちゃったんでしょうね~。退会当日だけちょっと伸びてたみたいだけど、ま、問題ないわ。もしものときは、実は<
「自分で聴いて、カウント……」
「あら、知らなかった? アップした曲の再生数には、自分が聴いた回数も含まれちゃうの。まぁそこは
島田さんはもちろん、<
僕の日常生活の大部分を占めていた
ひとつ気になることといえば、ミニアルバムをリリースした頃から、僕は時々妙な夢を見るようになった。といっても、怖い夢でも嫌な夢でもない。誰かが僕に笑いながら『意地だ』と言う部分だけが、なんとなく頭の端に引っかかっていた。
柳沢社長から大事な話があると言われ、僕は事務所へ向かっていた。
昨日また妙な夢を見たせいか、頭が重くてすっきりしない。電車の中で一刻も早く座りたくて、座席を確保すると、あとからやって来たお年寄りに席を譲ることさえできないでいた。
気がつくと、かなり離れた駅まで乗り過ごしていて、慌てて引き返す。
ようやく事務所に着いて、扉をノックしようとしたちょうどそのとき、扉が開いた。中から出てきたのは、ケイレヴの<
「なんだ、重役出勤かよ」
<
近づいてはいけない――。
そんな雰囲気で、僕は押されるように後ずさりした。
バタン、と扉が閉まるのと同時に、突然<
「お前もずいぶんえらくなったもんだな、あぁ!?」
そのまま通路の壁に思いきり叩きつけられた。背中を痛がる間もなく、激しい怒りがこもったような目つきで睨まれ、僕の身体は固まってしまう。びっくりしてわけがわからなくて、ひどく動揺した。
「俺さ、どうしてもずっと腑に落ちなかったんだ。お前が口パクなのは、ライブを見てりゃわかるやつにはわかる。だけどどう考えても、あの声は絶対に
いつもの自信に満ちた表情で、きっぱりと言い切られた。
「<
いざこうして次々に暴かれていくと、僕はどう答えればいいかまったくわからなかった。心臓の音が、聞かれそうなほど大きくなっている。
疑われているとは薄々思っていたけど、<
「だけどよ、死んじまったやつの声だぜ。こんなこと、世間さまが知ったらどう思うんだろうな? 俺なら許せないかもなぁ」
<
だけど、とっくにばらされていてもおかしくはなかった。なぜいまになって急に、と頭の中を疑問が駆け巡っていたそのとき、再び事務所の扉が開く。
「言っとくけど、そいつちゃんと歌ってるよ」
中から現れた<
<
「なんだよ。なら、なんで口パクする必要があるんだよ」
「口パクは否定しないよ。マイクのボリューム絞ってるだけだけど。まだ新人だし、それくらい大目に見てやれば」
「……こいつの声だっていう、証拠は?」
「証拠もなにも、俺ら一緒にスタ練入ってるし。な、<
<
「……まぁ、お二人が言うなら本当ッスね」
「ふーん。さっそく媚び売る相手を、<
「い、いやいや。自分そんなつもりじゃないッスよぉ」
扉の隙間から話に加わってきた<
「話が見えないって顔してるね」
<
「解散することになったんだよ、ケイレヴ。あんたが今日社長から呼び出されたのも、この話をするためさ」
「おい<
「うるさいからちょっと黙って。それで俺と<
抗議しようとする<
なぜこのタイミングで<
「そういうわけだから、あんたはなにも気にする必要ないよ。俺らももう、ケイレヴは潮時だと思ってたし」
「や、やっぱり解散なんスか? 自分、<
「あのさぁ。この際だから言うけど。<
なだめようとする<
「三十過ぎてもたいして売れてなくて、しかも
「……<
「冗談でこんなこと言うやつがいたら、ぜひ見てみたいね」
息がつまりそうなほどの険悪な空気が、通路全体に行き渡る。
しばらく二人の睨み合いが続いていたけど、突然、パンパンと手を叩く大きな音が響いた。
「は~いキミたち、事務所の前でぎゃあぎゃあ騒がな~い」
全員の視線が、ゆっくりと通路に出てくる柳沢社長に集まる。
「それで<
「ついたもなにも、もう決まったことなんで」
「そ。じゃあ用無しのキミたちは、もう帰っていいわよ~」
事務所の中にいた<
「
「あら、聞こえなかった? ボク、用無しは帰ってって言ったんだけど」
「なっ……!」
<
あんなに自信と魅力に溢れていた人だったのに、身にまとっていたものが急に全部なくなったみたいだ。遠ざかる二人の、小さな別の生き物のような後ろ姿を、僕は見えなくなるまで見ていた。
不思議な気持ちを抱えたまま事務所に入ると、入り口のすぐそばにいた<
「あの。かばってくれて、ありがとうございました」
「別に」
頭を下げてそう言うと、ぷいっと顔をそらされてしまう。
「……本当に、ケイレヴは解散なんですね」
「なに、あんたのバックバンドが俺らじゃ不満?」
「ち、違います。そういう意味じゃ」
思いもよらない質問に、僕は必死に否定した。すると<
「冗談だよ。俺らも<
<
そんな僕の気も知らずに、どこか嬉しそうにすら見える<
「それに、なんだかんだ<
「そうね。<
「そんなこと言って。<
「あら。<
「だって<
柳沢社長と喋る<
僕はてっきり、<
それにしても、さっきから<
「あの。<
会話が一瞬止まった隙をついて、僕は思いきって疑問をぶつけてみた。二人は僕を見てきょとんとしたあと、お互いに顔を見合わせている。
「残念だけど、<
「だからさっき言ったじゃん。あいつは、<
「やだ~。それ、ボクの責任でもあるじゃない」
「あれで五年も持ったことのほうが理解できないね、俺は」
持つ――。
いつかの柳沢社長に言われた言葉が、頭をよぎる。僕にとって、それは決して他人事ではない。そう痛感させられたような気がした。
「最後まで彼、ホストでいうお笑い担当みたいなポジションだったわね~」
「それで、社長が指名してるのはどんなホストなの?」
「んも~野暮なこと聞かないの。それよりキミたち、明日の取材忘れないでちょうだいね」
二人が再び楽しそうに喋り始めた中で、僕は<
家に帰ってさっそく、残りのストック曲に演奏をつけようとギターを
曲のファイルに振られている番号と、遺品の歌詞ノートに振られている番号を照らし合わせる。ノートをぱらぱらとめくっているとだんだんと残りのページが少なくなっていることに気づいた。
最後のページまでめくってみる。殴り書きのような文字で、びっしりと書き込まれている歌詞を、ふと、指でなぞってみた。
〝ドアに鍵はかかっていない〟
〝なのに〟
〝俺は、ここから一歩も動けない〟
「
結局、なにが言いたいのかよくわからない歌詞だった。
だけど、思いのありったけを言葉にしたような、他の歌詞とは伝わってくる感情の量が、圧倒的に違う。それはまるで、自分の全てを否定されてしまったような、遠い場所でひとりぼっちの生活を送るような。
このノートは、
感情の正体はきっと、言いようのない絶望なんだ。
タイトル:いよいよ
こんばんは。<
六枚目のシングル『
すでにライブでも何回か披露しているので、知っている方も多いと思います。
この曲はタイトルの通り、自分なりの爽やかな明るい春をイメージして作りました。八十年代のポップエッセンスを意識して取り入れて、軽快でのびやかに歌っています。これまでリリースしたどの曲よりも、実験的なリズム展開と内容だと思います。
だけど、キャッチーな路線に、完全にシフトチェンジするというのではありません。
もともと僕は、ロックをベースにした壮大なオーケストレーションや、エレクトロニックな曲がメインでしたが、これからはもっと色んなアプローチにも挑戦していきたいと思ったからです。
命を燃やし、魂を削って創りますので、これからも応援よろしくお願いします。
それでは、おやすみなさい。
03/07 22:28
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