第十一話 仲間
よっぽど疲れていたのか、目が覚めたのはお昼の十二時だった。
ベッドに入った瞬間には、もう寝てしまったんだと思う。そういえば昨日から何も食べていないことを思い出したとたん、急に胃が締めつけられたように痛んだ。
起き上がってリビングへ向かい、キッチンの冷凍庫の中からカルボナーラを見つけて、電子レンジに入れる。テーブルに着いて、何もせずにただ、電子レンジの中で温められているパスタのトレイを見つめた。ブーンという音だけがリビングに響いている。土曜日のこの時間は母さんもスーパーの仕事に出ていて、家には誰もいない。逆に言うと、この時間帯しか一人でゆっくりできなかった。
しばらくしてチンと大きな音が鳴り、電子レンジの中のライトが消える。取り出してビニール蓋をめくると、湯気に乗っておいしそうな匂いがした。
さっそくフォークでざっくりと混ぜて、麺を巻きつけながら食べていく。濃厚なクリームに絡むもっちりとした麺がお腹にどんどんいき渡って、あっという間になくなってしまった。満たされたのか、ぼーっとしていた頭の中がだんだんはっきりしてくる。
パンパンに膨れたお腹を抱えて部屋へ戻ると、スマートフォンの通知ランプが点滅していた。画面を見ると、柳沢社長からのメールと、
とりあえず、まずはメールを確認しようと受信ボックスを開く。他の所属アーティストの紹介もしたいので、できれば今日事務所に顔を出すように、という内容だった。
「レーベルメイト、か……」
バンドを抜けてしばらく一人で活動していた僕にとって、リアルの仲間ができるということは、少しくすぐったい嬉しさがある。それと同時に、昨日のことは夢じゃなくて現実なんだとも思った。
これから僕は
だけど同じ志を持った人たちと一緒にいれば、きっとなんとかやれるんじゃないかという気もしてきた。リアルで嫌なことがあったときも、
だから今は、レーベルメイトに会える楽しみのことだけを考えよう。そんな心持ちで
『もしもーし! <
「遅くなってすみません。僕、昨日すぐに寝てしまって」
『あはっ、そんなことだろうと思った。連絡するの忘れて寝落ち、
その名前を聞いて、僕はまた昨日のことを思い出して気持ちがざわざわした。
『それで昨日、どうだったの?』
一瞬話すことをためらったけど、
「あの。僕、昨日、
『……んんん?』
僕は一から話しながら、昨日のことをだんだん鮮明に思い出して、途中で僕も自分が何を話しているのかわからなくなってきた。
『――はー。昨日
『でもまさか、口パクでライブもするだなんて、びっくりしちゃった。ほら、いまって顔出ししないでネットだけとかCDだけとか、色々あるじゃん?』
「そうですね」
『そのヤナギサワってエライやつ、<
「はぁ」
『しかも芸名も<下川
大事な恋人だった人がまだ生きているように見せかけて、さらに恋人の名前まで別の誰かに使われるんだ。
『……ねぇ。
「ケイレヴ?」
『うん。<
ヴィジュアル系はあまりすすんで聴かない僕にも見覚えがあった。たしか
『
「はぁ」
『ほんとに? やったぁ!』
さっきまで怒っていたはずの
真剣な顔になったかと思うと、次の瞬間には穏やかに笑っていたり。おとといの喫茶店でも、
また連絡することを約束して電話を切ると、僕はすぐに事務所へ向かう準備を始めた。
最寄り駅から電車に乗って十分、途中で乗り換えて四駅目で降りた。
改札を出て、スマートフォンの地図を頼りにしばらく歩いて行くと、十階建てくらいのガラス張りのビルが見えてくる。
ビルの正面玄関からロビーに入ると、外とはガラッと変わって静かで、シックな雰囲気の空間だ。
緊張をほぐすようになんとなくその場をうろうろしていると、背の小さいスーツ姿の女の人がこちらに向かって歩いてきた。
「<下川
「……はい?」
つい聞き返してしまい、すぐにハッとして「そうです」と言い直した。
「ああ、やっぱり。
女の人はホッとしたような声を上げると、突然、ポニーテールが前に垂れてくるほど深いお辞儀をして、僕に名刺を差し出してくる。
その勢いにびっくりして引き下がりそうになりながら、受け取って見ると『アーティストマネージャー
島田さんはマネージャーというより就職活動中の大学生、もっと言うと高校生でもおかしくないくらい若く見える。
とはいえ、社長に続きマネージャーの登場で、いよいよこれから音楽事務所に行くんだという実感がわいてきた。
「すみません。僕、名刺が……」
「あ、大丈夫ですよ。これから作りましょうね」
島田さんはそう言うと、そのまま僕を事務所へ案内してくれた。
中に入ると、そこは僕が勝手に想像していたようなクリエイティブな空間ではなく、円形のテーブルといくつかの椅子、その奥に社長席のみのこじんまりとした一室だった。
「あ、そうそう。いまちょっと、社長出ちゃっていて。少しここで待っていてくださいね」
「わかりました」
座るように
そのときだった。僕たちの入ってきた扉がガチャリと開き、サングラスをかけた黒い服装の男の人が姿を現した。すると、似たような格好をした男の人たちが、ジャラジャラと派手なアクセサリーの音を立てて続々と入ってくる。
「あれ。島ちゃん、
「お、お疲れさまです<
入ってきた四人の、その中でも一番目を引く<
ツーブロックパーマでボリュームのある黒髪、ジャケットにデニムとシンプルな服装だけど、自信からくるオーラみたいなものをすごく感じる。
「なんだよ、わざわざ呼ばれて来てやったのに」
「どうせ島ちゃんが、また何かやらかしたんスよ」
「
「ははっ、言えてるッス」
<
島田さんも笑ってはいるけど、僕にはどこか嫌がっているように見えた。
「――あっ。お前、もしかして」
ふとこちらに顔を向けた<
挨拶をしなくてはと慌てて立ち上がったとき、いきなり両肩をがっちりと掴まれた。
「
「……はい?」
そのまま強い力で揺さぶられ、僕はびっくりしてわけがわからなかった。
「とぼけんなって。俺だよ、<
サングラスを外した<
するとそれまで黙っていた四人のうちの二人のほうから、長いため息が聞こえた。
「……あのさ。俺と<
「なんだよ<
「どっちでもいいよそんなの。俺ら関係ないし」
「あっそ。なら<
<
バタンと扉が閉まり、事務所内がしんと静まり返る。
「しょ、紹介しますね! お二人は<
「よ、よろしくお願いします」
気まずい沈黙が少し流れたあと、島田さんが切り出した。
残った二人を紹介されて、僕は頭を下げながら、この人たちが
「いま行ってしまった赤い髪の
「おいおい島ちゃん、いきなり何人も覚えられねぇって」
<
「そ、そうですね。えっとお二人は、お知り合いみたいで」
「知り合いもなにも俺、
島田さんと僕を交互に見ながら<
そこで初めて、もしかしたら<
「<
「だけどよ、あの声は間違いなく
「そうだとしても、さすがに身長まで整形は厳しいッス」
「同姓同名で歌声まで一緒、ねぇ」
<
どうしようと、急に心臓がドキドキし始める。レーベルメイトなら、本当のことを話してもいいかもしれない。仲が良さそうに思えたし、それなら
だけど僕のしていることは、考えてみればとんでもない秘密のような気もする。僕だけで判断するのは難しい。立場的に本当のことを知っていそうな島田さんをチラッと見ると、口元をヒクヒクさせながら笑ってみせてくる。僕はなんとなく察して、ひとまず黙っていようと決めた。
「そ、その人と僕、そんなに声が似ているんですね」
「似てるなんてもんじゃねぇ。同じだよ、同じ」
「そ、そうなんですね」
「……そうだな。これも何かの縁だと思うし、教えてやるよ。もう一人の
<
「
「け、<
「許してやってくれ。悪気はないんだ。誰にでもあるだろう、自分のことを特別だって思うこと」
「<
「うるせぇな、黙ってろよ豚」
たまらずといった様子で口を挟む<
「俺さ、ケイレヴを立ち上げる時に
<
「じゃあ、ここからは自分が話すッス。いくつか
その瞬間、「ぶはっ」と<
「高校時代の彼、スクールカーストでいえば最下位層にいたんスよ。まぁなんでか、上位層のヤンキーっぽい人たちに必死で絡んでたッスけど。それで、
最後に声のトーンを一気に落とした<
「自分の歌声を録音したカセットテープを一日一本ずつ、その女子のロッカーに入れていったんス! もちろん持って帰るわけないッスから、カセットテープは溜まりに溜まって、気づいたときにはロッカーを埋め尽くしていたんス!」
そしてめいっぱい目を見開くと、オーバーなリアクションを取りながら叫ぶような声で話す。<
感じていた違和感の原因がやっと、それが悪意であることに僕は気づいた。二人は始めから、
「あいつ思い込み激しいんだよ。客にたまたま話しかけられるじゃん。ライブ終わったあと、いっつもその客の近くでうろうろしたりな」
「客の好みとかめっちゃ調べて、ネットでわざと絡まれるような書き込みするんスよね」
「でも返事はしない。無駄に変なプライドあったからな、あの顔で」
「もう、色々ホラーッスわ」
話を聞きながら僕は、二人のほうがよっぽど怖かった。戸田さんに感じるそれとはまた違う。どちらかと言うと柳沢社長と同じで、何をするかわからない怖さがあった。
どうしたらいいかわからなくて島田さんを見ると、まるで自分は関係ないみたいに背を向けて書類を整理している。
「二人はその、
「いや。別に悪くなかったし、嫌いでもねぇよ」
必死に頭をフル回転させて出した僕の質問に、<
「なんていうか、ネタだよな?」
「そッスね。単純に楽しいんスよ。そういう意味で
「だからなんていうか俺らも、
二人の顔はみるみる崩れて同時に吹き出し、最後には身体をよじりながらゲラゲラと笑い転げた。
「あはっ……あはははははは」
つられて僕も笑った。どうして自分が笑っているのかわからなかった。そして、こんな自分にショックを受けていた。
でもきっと楽しいからじゃない。ここから逃げたくて、僕は笑っているんだ。
それから結局、夜まで待っても柳沢社長は来なかった。<
ようやく柳沢社長から電話がかかってくると、何か大きなトラブルが起きているらしく、島田さんは真っ青な顔で震えながら謝っている。
そして島田さん伝いに、急遽明日メディアのインタビューに出ることになったので、明日は丸一日あけておけ、とのことだ。詳しく聞きたかったけど、ひたすら謝り続けている島田さんを見るとそれどころじゃなさそうだったので、諦めて僕も事務所を出た。
明日はコンビニのバイトが入っている。これからのスケジュールに合わせて、そろそろシフト調整をしなくてはいけない。明日、店長に相談してみよう。
家に辿り着く頃にはもうへとへとだった。
あんなに毎日ログインしていた
それどころか、なにが目的で僕を心配しているのか、本当は影で悪口を言われているんじゃないかと疑うようにすらなっている。
とにかくこの数日だけで、僕の神経はかなりのスピードですり減っていた。それでも容赦なくやることは降ってくるし、まずは明日のインタビューの内容を考えなくてはいけない。
僕は目覚ましのアラームを朝の六時にセットして、早めに寝ることにした。
タイトル:ごめんなさい
こんばんは、<
なかなかメールやコメントの返事ができなくてごめんなさい。落ち着いたら必ず返すので、待っていてください。
明日も少し忙しいので、今日はもう寝ます。おやすみなさい。
03/03 21:30
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