下川 鈴男

第八話 孤独

「――え? 八百やお……下川さんが?」

「うん。今日、親御さんから連絡があってね」


 おかしいと思ったんだ。八百太やおたさんはバイトを急に休むような人じゃないだろうし、少なくとも僕は一度も見たことがない。それに今日は八百太やおたさんと一緒のシフトだったはずなのに、僕の苦手な戸田さんに変わっていたから。

 だから気になって店長に聞いてみると、意外な答えが返ってきた。


「なんでも、バイクでここに向かう途中だったみたいでねぇ」


 おとといの夜、八百太やおたさんが亡くなったらしい。ついこないだ一緒のシフトで会ったばかりだった。なのに、あんなに普通に動いていた人がもうどこにもいないなんて。どこか信じられないような、変な気持ちだ。


「それでね、急なんだけど。明日とあさって、下川くん夜勤で出れる?」


 着替えていると、店長がバインダーに挟んであるシフト表を僕に見せてきた。明日とあさっての欄には八百太やおたさんの名前が書かれている。


「あ、はい。大丈夫です」

「ほんとはここ、もう一人の下川・・・・・・・くんに頼んでたんだけどね。まさかこんなことになっちゃうなんてねぇ」


 店長はシフト表の「下川」の横に僕の名前を書いた。僕と八百太やおたさんは同じ名字だから、わざわざ消しゴムで消す必要がない。僕の名前をつけ足すだけでいいのだ。

 本当にいなくなってしまったんだと、急に実感がわいてくる。


「頼んでおいてなんだけど、本当に大丈夫? 下川くんまだ二十歳だっけ? 若いんだし、色々予定があるんじゃない?」

「いえ、下川さんにはお世話になったので……」

「そっかそっか、助かるよ。シフトの組み直しが大変でね」


 困ったように頭をかいて考え込んでいる店長の横で、僕は少し気まずかったけど、ネームプレートを読み込んで出勤を済ませた。


もう一人の下川・・・・・・・くん、結構出てくれてたからね。埋めようにもウチはほら、人手不足じゃない?」

「そうですね……」

「バイトの募集も出してるんだけどね。あれ、実は載せるだけで結構高くてねぇ」

「あ、の……すみません僕、時間なのでレジに……」

「あぁ、もうそんな時間か。引き止めて悪かったね、頼んだよ」




『店長は喋り出すと止まらないから、レジにでも行くとか言って、無理矢理にでも中断させて逃げな』




 八百太やおたさんにそう言われたのを、僕は思い出していた。実践したのは初めてだったけど、うまくできていただろうか。

 レジカウンターに入ると、待ち構えていたように戸田さんがやって来た。


「おはようござ――」

「なぁなぁ、聞いた? もう一人の下川・・・・・・・くんの話」

「え、はい……まぁ」

「おかげでオレ、アイツの代わりに急遽三連勤。って、下川くんもそーか」


 戸田さんは「お互い大変だな」と大きなため息をつくが、僕はあまり同意できなかった。みんな大変だなんて言うけど、どう考えても一番大変なのは八百太やおたさん、その家族だ。


「店長にチラッと聞いたんだけどさ、相当飲んでたっぽいぜ」


 戸田さんは、くいっとお酒を飲む仕草をした。

 こないだ会ったときの八百太やおたさんは、なにか悩んでいるようには見えなかったし、特にいつもと変わらなかったと思う。僕はお酒を飲まないから、嫌なことを忘れるために飲むもの、というイメージしかない。


「いまだからぶっちゃけるとさぁ。オレ、もう一人の下川・・・・・・・くん、結構嫌いだったんだよね」

「……はい?」


 突然話が変わって、僕はつい聞き返してしまった。


「なんつーの? ちょっと偉そうっていうか、俺、仕事できます的な? こっちのこと見下してるのが、ビンビン伝わってきてたんだよなぁ」

「はぁ」

「そーそー、アイツってレジ嫌いだったから、基本補充ばっかしてんの。自分のほうがレジから近い場所にいるのに、戸田さんお願いします、とか言ってさ。いつもだぜ、ありえないよな?」

「……はぁ」

「あとさー、バックヤードのドアについてるマジックミラーあんじゃん? アイツ、アレで仕事中しょっちゅう髪型直してんの知ってた? バックヤードの中にいる俺と目が合ったこともあってさ。ウケるよな、あの顔でナルシストはやべーって」


 それからも戸田さんの悪口は止まらなかった。この人は、どうしても八百太やおたさんを悪者にしたいらしい。

 僕はなんて返したらいいかわからなくて、早くお客さんが来てくれないか、心の中でそればかり願っていた。


「まーさ、飲酒運転で自業自得だけどさ。死んじゃうってのはさすがにやりすぎっつーか、かわいそうだと思うよ?」


 すると入口の自動ドアが開いて、お客さんがやって来た。

 戸田さんは明らかにイラッとした様子で舌打ちをすると、やる気がなさそうに「いらっしゃいませ」の挨拶をした。


「でも、悲しいか嬉しいか究極の二択だったら……なぁ?」


 戸田さんは猫みたいな目をさらに細めて、ニヤニヤしながら小声で言った。

 僕はこの人が本当に苦手だ。




 二十二時になったので、戸田さんに挨拶をして退勤する。

 帰りがけ戸田さんに今度飲みに行かないかと誘われたけど、ちょうどお客さんがやって来て、うやむやにしたまま僕は店を出た。戸田さんはまた舌打ちをしていた。

 十二月に入ってから、一気に季節が進んだみたいに冬になった。歩いても歩いても寒い。

 下川八百太やおたさん。自分の名字に〝さん〟づけするのも変な感じがして、僕は心の中で八百太やおたさんと呼んでいた。さすがに声に出して呼べるほどの仲じゃなかったけど。

 それより、戸田さんが八百太やおたさんを嫌っていたのは少し意外だった。二人とも派手な金髪で服装も似ていたし、てっきり気が合うものだと思っていた。

 なんでも、戸田さんの中で八百太やおたさんは「世界を斜めから見ている風だけど、それがばれちゃっていてカッコ悪い人」らしい。よくわからないけど、ひねくれた人と言いたかったのだろうか。僕にはそういう風には見えなかったけど。

 八百太やおたさんは親切な人だった。バイトが初めてだった僕に仕事のことをたくさん教えてくれたし、人と話すのが得意じゃない僕に気さくに話しかけてくれた。戸田さんが苦手だからというのもあるけど、シフトを提出するときは八百太やおたさんのシフトにこっそり合わせていた。それに戸田さんと違って、八百太やおたさんは人をあんなに悪く言ったりしない。

 友達もたくさんいそうだし、きっとお葬式は悲しむ人たちでいっぱいになるんだろう。もうこの世にいない人なのに、僕は少し羨ましく思ってしまった。同じ名字でも、僕とはこんなに違う。

 そういえば、八百太やおたさんに会いに来ていた『snowスノウ』のあの人は大丈夫かな。恋人のように見えたけど。

 誰かの死を知ると、どうしても父親を亡くして泣きわめいている有麻ありまのことを思い出して、胸が苦しくなる。亡くなった人よりも、残された人たちのこと考えると悲しくなる僕は、やっぱり少し変なのかな。




 ようやく身体が暖まってきたところで、自宅のマンションに着いた。この時間あたりはもう真っ暗で、頼りなさそうな照明だけが細々と通路を照らしている。静かで、人気もない。そんな中ごうんごうんと鳴るエレベーターの音は、いつも少しだけ不気味に思う。


「ただいま」

「おかえりなさーい」


 家のドアを開けると、リビングの向こうから母さんの声が返ってくる。玄関に並べてある靴を見て、どうやらあの人・・・はまだ帰っていないようでほっとした。


鈴男すずお有麻ありまちゃん来てるわよ」

「……また僕の部屋にあげたの?」

「そりゃあ、だってリビングで待たせるわけにもいかないでしょう。いま紅茶入れてるから、持っていってちょうだい」


 そう言ってティーポットにお湯を注いでいる母さんを無視して、僕は急いで部屋へ向かう。

 部屋のドアを開けると、有麻ありまは僕のベッドに寝転がって漫画なんか読んでいる。


すず、おかえり」

「おかえりじゃないよ。そこ、どいて」


 僕は着ていたコートを脱ぐと、有麻ありまに向かって投げた。


「! ちょっと、投げることないじゃない。冷たいなぁ、もう」


 有麻ありまはコートの下敷きになると、仕方なさそうに起き上がった。

 僕は気にせず机の上のノートパソコンを立ち上げ、画面を覗き込もうとする有麻ありまさえぎるように椅子に座る。

 RAMPANTリァンペントのマイページへログインすると、メッセージボックスには今日もたくさんのメールが届いていた。どれも僕を心配する内容ばかりだ。

 おととい『snowスノウ』のコメント欄に、僕のバイト先を特定するような内容を誰かが書いていたらしい。もうその人は退会してしまったみたいだけど、いったいどうやって知ったんだろう。僕はプロフィール欄の年齢も誕生日も、個人を特定できそうな情報は全て非公開にしているし、もちろん顔写真だって載せていない。ネットの怖さは充分理解して対策をしているつもりだった。


「ねぇ、すずはそのサイトだと有名な人なの?」

「そんなのわからないよ」

「有名に、なるの?」

「さぁ」


 一瞬、もしかして有麻ありまがやったんじゃないかと思ったけど、たぶん違うだろう。有麻ありまのことは昔から知っているけど、そんなことをするような子じゃないし、だいたい何のメリットもない。

 だけど、他に心当たりのある人が誰もいなかった。


「ふぅん。あんなに私のあとを追っかけて、可愛いかったすずくんが、かぁ」

「そんなの、子供の頃の話でしょ」

「ふふ、懐かしいね。子供の頃、有麻ありまって男の子みたいな名前で嫌いだったけど、すずが褒めてくれたから好きになれたなぁ。あ! 職場でもね、結構褒めてくれる人いるんだよ、私の名前」


 そんな僕の気も知らずに、有麻ありまはうしろでぺちゃくちゃと喋り続けていた。

 考えてもわからないことはしかたないし、僕にできることは限られている。たまにメールで性別や年齢を聞かれたりするけど、いっさい答えない。そうやって、これからも気をつけていくしか方法はないんだ。

 気を取り直して、届いていたメール一件一件に返信を打ち込んでいく。


「名前って大事、だよね」


 有麻ありまが何を言いたいのかよくわからなくて、だんだんうっとうしくなってきた。


「……すずが有名になったら、ちょっとやだな。私」


 それを聞いてつい、キーボードを叩いていた指が止まってしまった。僕の背後から、女の人特有の、すごく嫌な感じがする。

 何も答えずにいた僕に、しばらくして有麻ありまは「なんてね」と冗談っぽい口調で言った。


「ねぇ。すずはさ、これからどうするの?」

「どうするって、なにが」

「ほら、就職とかさ。いつまでもそうやって、音楽やってるわけにもいかないじゃない?」

「……あの人・・・になにか言われたの」

「もう、自分のお父さんでしょ。あの人なんて言いかた、いいかげんやめなよ」


 僕は反射的にノートパソコンのカバーを乱暴に閉じていた。それからゆっくり息を吐いて、できるだけ落ち着いてから有麻ありまの方を向く。


「それを言いにわざわざ来たの?」

「違っ、そういうわけじゃ――」

「あのさ。もうこういう風に勝手に部屋に来るの、やめてくれる」


 僕がそう言うと、有麻ありまは顔を伏せて黙り込んでしまった。

 今日こそ言おう、言おうと何度も覚悟を決めて、ようやくはっきり言えたんだ。気まずい空気が流れているが、僕はめげずに有麻ありまから視線を外さない。

 長い沈黙が続いたあと、コンコンと少し遠慮がちにドアをノックする音が聞こえた。開けると、ティーセットを乗せたお盆を持った母さんが立っている。


「ちょっと鈴男すずお。紅茶、忘れてるわよ」


 母さんはこちらの様子をうかがうように半分だけ顔を覗かせた。

 すると有麻ありまは立ち上がって、慌てたようにコートを羽織り始める。


「おばさん、私もう帰るんで」

「あらそう? これだけでも飲んでいったら?」

「いえ、大丈夫です。夜分遅くまですみませんでした」

「ごめんなさいね、なんのお構いもせずに」


 両手がふさがったまま廊下をうろうろしている母さんにぺこっと頭を下げると、有麻ありまは逃げるように家を出て行った。

 ティーセットのお盆を受け取ってリビングまで運ぶと、母さんは出しそびれた紅茶をカップに注いで僕に渡してくれた。


「……なんだか有麻ありまちゃん、見るたびに大人っぽくなってくわね」

「そうかな」

「もともと綺麗な子だもの。男の子がほうっておかないんじゃないかしら。ほら、髪の毛なんかも、いまどき珍しいじゃない? 黒髪でさっぱりしてて」


 テーブルの向かいに座る母さんは、心なしか嬉しそうに見えた。

 母さんが何を言いたいのか、なんとなく想像はついている。こういう話は初めてじゃないし、ついさっきの有麻ありまとの出来事もあって、僕はそろそろうんざりしかけていた。


「あれくらい、どこにでもいるよ」


 まだ熱い紅茶をちびちびと飲みながら、僕はどうでもよさそうに答える。実際、興味がなかった。

 不意に、がちゃがちゃと玄関の鍵を開ける音が聞こえて、思わずびくっとした。ドアが開いて勢いよく閉まる音が、あの人・・・の帰宅を知らせてくる。


「ただいま」

「あら……おかえりなさーい」


 聞き慣れた嫌な声と、廊下を歩く足音が聞こえてくる。

 母さんは僕の顔と玄関の方を交互に見て、焦ったように立ち上がった。それに続いて僕も立ち上がる。


「いま下で有麻ありまちゃんに会っ――」

「ごちそうさま」


 あの人・・・とすれ違いざまに、僕はリビングを飛び出した。まだ紅茶は飲みかけだったけど、一刻も早くあの場を離れたかった。

 急いで部屋へ駆け込んでドアを閉める。部屋の中は何も変わっていないのに、リビングの空気を引きずってきたみたいにどこか重い。


鈴男すずお


 突然ドア越しに嫌な声がして、とっさに背中でドアを押さえつけた。


「挨拶くらいしたらどうなんだ」

「……おかえりなさい」

「近々話があるから、夜はなるべくリビングに顔を出しなさい。いいな」


 そう言ってリビングへ戻っていく足音が完全に消えるのを待って、僕は背中を離した。

 あの人・・・のことだから、どうせまた就職がどうのとか、いつまで音楽をやっているんだとか、そういう話だろう。

 その言葉に逆らうようにノートパソコンのカバーを開けると、返信途中だったメール画面が出てきた。『心配しています』『きっと大丈夫です』と、いまの僕の胸にじんとしみるものばかりだ。

 音楽投稿サイト、RAMPANTリァンペント。まだ登録して一年ちょっとだけど、今ではかけがえのない僕の居場所になっている。コミュニケーションツールが豊富な投稿サイトを探していて、たまたま見つけたこのサイト。音楽を通して文字だけでできる交流は、思った以上に僕には合っていた。リアルでは考えられないくらい色んな人に声をかけたし、本当にたくさん友達ができたと思う。

 メッセージボックスの一覧をざっとスクロールしていくと、まだまだ返信しきれない量のメールがきていた。


「あ、<りんちょこ>さんからだ」


 メールを開くと、例の書き込みを心配していること、そして最後に、落ち着いたらまた楽曲提供をお願いしますと書かれていた。願ってもない内容に、僕はすぐに返信する。

 投稿し始めて間もない頃、僕の書き込みを見て聴きにきてくれたのか、初めて評価をしてくれたのが歌い手の<りんちょこ>さんだ。それからしばらくは<りんちょこ>さんのためだけに曲を作った。新しい曲をアップするたびに付けてくれる評価とコメント。楽しみに待っていてくれる人がいるというだけで、いつでも作曲のモチベーションを高く保てたし、たまらなく嬉しかった。

 数ヶ月経った頃、今度は自分のために曲を作って欲しいと<りんちょこ>さんから頼まれた。<りんちょこ>さんは有名な人だったみたいで、それをきっかけに色んな歌い手さんから楽曲提供の依頼がきて、僕の音楽活動はめまぐるしくなる。そして、気づけば一位になっていた。

 新曲をアップするとたくさんの通知がくるようになったけど、それくらいしか実感がない。少しは浮かれてもいいはずなのに、気分はまだ投稿し始めた頃と変わらなかった。僕の作った曲で<りんちょこ>さんが喜んでくれることが何よりも嬉しい。それくらい<りんちょこ>さんは僕にとって、いつまでも特別な人だ。

 ふと部屋の時計を見ると、もうすぐ今日が終わろうとしていた。

 急いでRAMPANTリァンペントを閉じてブログのマイページへログインし、新しい記事の作成画面を開く。音楽活動の記録目的で始めたブログだったけど、今では毎日の日課になっていた。

 近々話がある――。

 ドア越しにあの人・・・に言われたそれが、まだ頭から離れない。リアルはみんな勝手だ。戸田さんも店長も、有麻も母さんもあの人・・・も。

 僕は、僕が<Linリン>でいられる場所を守るためならなんだってする。







 タイトル:皆さんありがとう


 こんばんは、<Linリン>です。

 今日は色々あって気分が落ち込んでいましたが、皆さんからのメールやコメントにとても励まされました。応援してくれる皆さん、いつも本当にありがとう。

 夜遅くに更新してごめんなさい。今日中にどうしても伝えたかったんです。

 最近寒い毎日が続いていますが、皆さん風邪など引かないよう気をつけてください。

 それでは、おやすみなさい。


 12/07 23:55



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