第三話 正体

 新曲を公開した余韻よいんを引きずっているのか、朝早くに自然と目が覚めた。

 枕元に置いていたスマートフォンを手に取り、早速RAMPANTリァンペントのマイページへログインする。


「……マジかよ」


 新曲の再生数は、たったの三回だった。

 RAMPANTリァンペントを始めたばかりの頃に投稿した曲は、一日一回しか再生されないなんてことは、ざらにあった。だけど、まだ丸一日経っていないとしても、半年も続けて毎回一桁の再生数は、さすがにショックだ。

 ため息が長くを引いたまま、トップページへ画面を切り替えた瞬間、<Linリン>の文字が目に飛び込んできた。


「<Linリン>も新曲……なるほど。だから、俺のとこに聴きに来るやつが少ないのか」


 数時間前に公開されたばかりの<Linリン>の新曲が、ピックアップ欄の一番上に掲載されていた。コメント欄や各掲示板では、ちょっとしたお祭り騒ぎになっている。客を取られたような気分だが、ともあれ<Linリン>の新曲が気になってしかたがないのもたしかだ。

 俺はスマートフォンの画面をいったん閉じ、急いでパソコンの電源を入れてRAMPANTリァンペントへアクセスする。まだ寝ている洋香ひろかを見てボリュームを少し下げると、<Linリン>のページから、新曲の再生ボタンをクリックした。


「……マジかぁ」


 衝撃だった。新しいものに出会えた素直な喜びと、驚きと悔しさで心がざわざわする。約三分と、それほど長くない曲の始めから終わりまで、ただただ圧倒された。

 もう一度再生する。へヴィなエレキギターの音から始まり、規則正しいドラムとベースの音が鳴り出し、曲が引き締まっていく。次第に荘厳そうごんなストリングスの音がリズミカルに加わり、耳の内側がぞくっとした。新曲のタイトル『openingオープニング』とあるように、このままドラマや映画が始まってもおかしくないくらいだ。

 <Linリン>は歌わない。歌わないのか、歌えないのかは分からない。過去に公開されたボーカル入りの曲は全て、他のミュージシャン、それも、そこそこ有名な歌い手たちとコラボレーションしたものだ。

 だがこの『openingオープニング』は、ボーカルの入っていない、楽器のみで演奏されたインストゥルメンタル。音楽イコール歌という俺の定義をくつがえすほど、<Linリン>だけの世界は凄まじかった。これまでの<Linリン>の曲とは、比較にならないクオリティの高さだ。金も相当かかっているだろう。

 部屋の壁に立て掛けてある電子ピアノと、その横にある、マイクを取り付けたスタンドを見る。どちらも安物で、なんだか自分がひどく惨めに思えた。

 そばに置いてあったイヤホンをパソコンに繋げて、耳につける。なんとなく、洋香ひろかには聞かせたくなかった。

 俺は洋香ひろかが起きてくるまでの間、何度も何度も『openingオープニング』を聴いた。




 大きな壁にぶち当たったような気がした。よっぽどひどい顔をしていたんだろう。そんな俺を見かねてか、洋香ひろかに無理矢理外へ引っ張り出されてしまった。今日は夜勤の時間までゆっくり過ごす予定だったし、とても外出する気分にはなれなかったのだが。

 香水が欲しいと言う洋香ひろかに付き合って買い物を済ませたあと、遅い昼飯にこじゃれた店でパスタを食べた。

 その間もずっとスマートフォンが手放せず、自分のページと<Linリン>のページの再生数を交互に見ていた。公開して半日経った<Linリン>の新曲『openingオープニング』が五千回に迫ろうとしている一方で、一日経った俺の新曲は三回のままだ。

 <Linリン>は自身による大量の宣伝と有名な歌い手を通して、たまたま人気が出たはずなのだ。一度ランキング上位に入ってしまえば、あとはそこまで努力を必要としない。ファンはもちろん、新規のミュージシャンやリスナーだって、手始めに聴くのはランキング上位だろう。一位だったらなおさらだ。

 だが、『openingオープニング』でイメージがガラリと変わってしまった。あれはおそらく、誰もが一位にふさわしいと言う曲ではないだろうか。

 それに比べて、俺はどうだ。一番誇らしく思うものを世界に見せているのに、誰からも注目されない。プライドを捨てて、<Linリン>と同じことをするべきか。俺と<Linリン>の違いはそれだけなのだろうか。俺の歌声は、もしかしたら俺が思っているほど大したことないんじゃないか。


「――百太おた八百太やおたってば!」

「ん? お、おぉ」


 洋香ひろかの声にはっとして、すんでのところで身をひねる。遊歩道の柵に、危うくぶつかりそうになった。


「ぼーっとして歩いてると、危ないよ」

「あぁ……」


 先を歩いている洋香ひろかの背中が視界にあるが、頭の中はずっと<Linリン>に占拠されている。どこからか『openingオープニング』がえず流れているし、それに合わせた歌のメロディが、しきりに思い浮かぶのだ。

 すると洋香ひろかは立ち止まり、振り向いて俺をじっと見た。


洋香ひろか、今まで聞いた音楽の中で、八百太やおたの歌が一番好きだよ」


 その言葉でようやく我に返った時、ずっと考えていたことを、思いきって聞いてみることにした。


「なぁ。俺の歌声ってさ、どう思う?」

「どう、って?」

「なんつーか、イメージとか」


 洋香ひろかは「うーん、うーん」とうなりながらしばらく考え込むと、不意にひらめいたような顔をする。


「もともと高い声の上から、お酒をガーッと飲んで、フォークでブスブスッと刺したみたいな声?」

「なんだそれ。おっかねぇ」

「だってぇ、うまく言えないんだもん。初めて聞いたフシギな声だし」


 洋香ひろかはそう言うと、軽やかな足取りで再び先を歩き始めた。たまにこちらを振り向いては、俺が追いつくのを待ってを繰り返す。

 気づけば、思いつめていたもう一人の自分は、どこか遠くへ運ばれていったようだ。突然おだてられたからなのか、空腹感が満たされたからなのか、いつの間にか心に余裕が生まれていた。


「パスタ、おいしかったね?」

「はは。悪いな、色々気ぃ使わせちまって」

「んーん、全部ホントのことだもん。ほら、食後の運動だよ。歩いて歩いて」


 そういえば、朝から何も食っていなかった。もう少し味わって食えば良かったな。


「今日はもうネット禁止だよ、八百太やおたくん」


 風で乱れる長い茶髪を気にしながら、洋香ひろかはにっこりと微笑む。ふとうつむいた時に見えたまぶたの上は、赤く彩られてきらきらしていた。

 洋香ひろかは二度見するほど美人でもないし、そこらへんを歩いていそうな人並みの容姿だ。出会いだって、バンド時代の仲間に無理矢理連れて行かれたキャバクラだった。今でこそ俺好みの少し抑えた派手さだが、あの頃の洋香ひろかは、化粧もドレスもけばけばしかった。店の落ち着いた内装もあいまって、派手さだけが悪い意味できわ立っている女だった。

 正直俺は高い金を払って女と飲む価値が見出せないし、キャバ嬢だって、金にがめつくて裏表の激しいイメージしかない。だから洋香ひろかにつき合おうと言われた時は、店で高い金を払うのは勘弁だが、プライベートで遊ぶ分にはまあいいかな、という程度の気持ちだった。

 洋香ひろかは決して俺から離れない自信がある反面、不安でたまらなくなる時がある。今の俺を肯定してくれる唯一の存在だ。色んな男を接客する職業であることは正直どうでもいいが、もし<Linリン>のような才能を持ったやつが現れたら――


「いや、ねぇか。<Linリン>はどうせ、ブサイクな中年さ」


 仮にアイドルのような美男子だったとしても、洋香ひろかなんて相手にはしないだろう。




 なんとなく洋香ひろかのあとを着いて歩いていると、駅前の繁華街に出ていた。いくつかの巨大なスクリーンには、まだ小中学生くらいに見えるアイドルグループのライブ映像が映し出されている。ほとんどの人が気にめる様子もなく足早に歩き去り、駅前は待ち合わせの若い男女やサラリーマンでごった返している。

 スマートフォンの時計を確認すると、十九時を回ろうとしていた。


「ねぇ、八百太やおた。これからさ、洋香ひろかのお店……一緒に行ってもらっていい?」


 洋香ひろかからの、突然の提案だった。


「は? 俺この後夜勤だぞ。金もねぇし」

「お金はだいじょぶ、ほら!」


 洋香ひろかは慌しく鞄をあさって財布を取り出すと、一万円札をさっと二枚抜き出し、こっそり俺の手に握らせてくる。

 ずっと気を使わせてしまった手前、断って帰るのも少し気が引けた。


「一時間だけでいいから。ね?」

「いや、いいけどお前――」

「やったぁ! なら急ご、やばーいチコクしちゃう」

「遅刻って、お前今日出勤だったのかよ……」


 なかば呆れている俺の腕を掴み、強引に引きずるようにして洋香ひろかは歩き始める。

 こういうことは、付き合っている間に何度かあった。ノルマが無いとうたっていても、実際はあるようなものだと、そういえば前に言っていたな。自腹を切ってまで客を呼ばなければならないほど、洋香ひろかの売り上げは少ないのだろうか。




 そんなことを考えていると、洋香ひろかの働いている『clubクラブ remixリミックス』の看板が見えた。

 特に躊躇ちゅうちょなく店内に足を踏み入れると、待機中のキャバ嬢とボーイが「いらっしゃいませ!」と口々に声を上げる。洋香ひろかは「着替えてくるね」と満足そうに言い、店の奥へと歩いていった。通路を歩きながら店内を見渡すが、座っている客の大半は、冴えない中年男ばかりだ。俺も洋香ひろかもきっと、気が大きくなっていた。

 案内されたソファーに座ると、ボーイがひざまづきながらおしぼりを渡してくる。ふと向かいの席を見た瞬間、大物になったような気分が急速にえていった。ロングドレスの似合う、華やかな美人が座っている。その隣の席も、清楚な雰囲気で好みじゃないが、目がぱっちりしていてすごく可愛い。

 おしぼりで顔をく仕草でごまかしながら、何度も見た。客はいかにも金持ちそうな社長風の中年で、テーブルの上には高そうな酒が何本も置いてある。


八百太やおた、お待たせっ」


 赤いドレスを着てやって来たいつもの・・・・洋香ひろかを見て、俺は少し残念に思った。


洋香ひろか、その服ちょっと胸開きすぎじゃ……」

「しーっ! ここでは『ヒロ』、『ヒロ』ね」


 洋香ひろかは人差し指を口に当てて、小声で源氏名を連呼する。

 再びボーイがやって来ると、洋香ひろかが俺のために頼んでいた、一杯のウーロン茶がテーブルに置かれた。

 今の俺には、洋香ひろかくらいの女がちょうどいいのかもしれない。


八百太やおた、『ヒロ』も何か頼んでいい?」

「好きにしろよ。その、お前の金だし」

「ありがと! あ、カラオケでもする? 初めて来てくれた時みたいに」

「あのなぁ、夜勤前は体力使いたくねぇんだよ。また今度な」


 初めて出会った場所というのは、洋香ひろかにとって特別のようだ。ここに来るといつも、出会った頃のことを嬉しそうに話す。

 どこか作り笑いだった俺に、逆に興味を持ったこと。それに俺は気づいていたこと。キャバ嬢ということもあり、初めてのデートで俺がしつこく予防線を張っていたこと。なんとなく流れで、こういう関係になる予感がしていたこと。

 そんな話をしていると、ボーイが延長交渉にやって来た。もう一時間経ったのかと、洋香ひろかから渡された二万円を払い、会計を済ます。そしてボーイや他の客の前で、お釣りをチップのように見せて洋香ひろかに返した。これくらいの見栄は許されるだろう。




 夜勤までだらだら過ごそうといったん家に帰り、また懲りずに<Linリン>の『openingオープニング』を聴いていると、冬の荒々しい風が家を出る時間を知らせるように窓を叩いた。

 今日はなんだか、あっという間に時間が過ぎていく。

 俺はいつものようにバイクを走らせて、バイト先のコンビニへと向かった。




 駐輪場にバイクを停めて、店の入口へと向かう。近づくにつれガラス越しに、レジカウンターで棒立ちしているもう一人の下川・・・・・・・くんの姿が見えてきた。

 あんな美男子がコンビニにいたら、確かにびっくりするだろうな。なんとなく客の気持ちになりながら店内に入ると、彼がこちらを見て会釈えしゃくをしてきたので、俺も軽く手を振って返した。

 バックヤードへ続く扉を開けたが、店長の姿が見えない。バインダーに挟まれたシフト表を確認すると、どうやら今日は下川くんと二人きりのようだ。もうレジカウンターにいるということは、じゅっ分前には出勤したのだろう。時給も変わらないのに、ずいぶんご苦労なことだ。

 上着を脱いでユニフォームに袖を通していると、テーブルの上に置いてあるスマートフォンが振動した。おそらく下川くんのものだろうと特に気にもめなかったが、するとまたブーッ、ブーッと、今度は二回、三回と少し間を置いて鳴り出す。


「ったく、うるせぇな」


 静かなバックヤード内に、がたがたと耳障りな振動音が響く。せめて柔らかいユニフォームの上にでも置いてやろうと、彼のスマートフォンを手に取った。


「……え……なん、で」


 俺は自分の目を疑った。たまたま明るくなった画面に、『神曲』『ランキングから来ましたが、すごくカッコいい!』『新曲最高すぎ』と、どんどん流れてくるメッセージの通知。

 何かを警告するように、心臓の音が強く鼓動する。このスマートフォンの持ち主であろう宛先には、見覚えのある英数字のアカウントが表示されていた。

 違う、俺は知っている。


「<Linリン>……?」


 彼のスマートフォンは、ひっきりなしに鳴っていた。







 件名:12月3日

 本文:夜勤(23~ )

 <Linリン>の正体、もう一人の下川・・・・・・・くん。



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