第二話 自尊

 昨日の夜更かしのせいか、目覚めたのは昼過ぎだった。

 ぼんやりした眠気がまぶたに乗ったまま洗面所へ向かい、蛇口を勢いよくひねる。水からお湯に変わるまでの間、ほんの一瞬意識が飛び、慌てて顔を洗った。

 部屋に戻って、パソコンの電源を入れる。横では洋香ひろかが、まだぐっすりと眠っていた。


「俺もRAMPANTリァンペントユーザーになって半年か」


 音楽投稿サイト、RAMPANTリァンペント。自作の曲をネットに公開するサイトはいくつもあるが、RAMPANTリァンペントはプロを目指す若者を中心に、絶大な支持を得ている人気サイトだ。コミュニケーションツールはもちろん、再生回数やファンが増えると、積極的にトップページでピックアップをしてもらえる。オーディションやコンテストの企画も豊富で、実際にプロデビューを果たしたミュージシャンが何人もいるのだ。老舗しにせサイトではないRAMPANTリァンペントが、ここ数年で記録的なユーザー数を獲得しているのは、これが大きな理由だ。

 サイトからマイページへログインを済ますと、先日作った曲のファイルをアップロードする。完了という文字が画面に表示されると、達成感で胸がいっぱいになった。今この瞬間、俺の歌が世界に配信されたのだ。たまらない高揚こうよう感を覚えながら、公開したばかりの曲の再生ボタンをクリックする。

 パソコンのスピーカーから流れてくるのは、つっかえながらいた、ぎこちないピアノの音。しかし、それが気にならないほどの存在感のある歌声が、狭い部屋に満ちていった。


「そう、ここ。ここのサビ、我ながら最高だわ」


 洋香ひろかが寝ているのもお構いなしに、ボリュームを上げた。

 苦しいのをこらえているような、喉が泣いているようなにごった声。それでいてよく通り、色気のある、ややかん高い声が荒々しく歌い上げている。俺の歌声は独特だ。自分で言うのも何だが、似たような歌声を今まで聞いたことがない。


「これでギターにベース、ドラムが入れば超最高なんだけどな」


 自分の歌声にうっとりしながら、俺は数年前に組んでいたバンドメンバーを、なんとなく思い出した。

 メンバーとはネットの掲示板を通じて知り合い、特に何の問題もなくすんなりと組んだ。みんな俺より年上のバンド経験者で、リハーサルスタジオでは演奏についてしょっちゅう揉めたし、移動の車内では何度も険悪になった。俺は小学生の頃にピアノをかじった程度で歌うことしかできなかったので、専門用語の飛びう会話についていけないことがたくさんあったし、いま思えば、メンバーからは下に見られていたふしがあった。こうやって当時を振り返ると、どうしても嫌な思い出ばかり浮かんでくる。

 ひとつ良かったことといえば、みんな動員に積極的だった。そのおかげもあって、無観客の中ライブをするなどといったことはなかった。

 ただ、動員のためとはいえ、客と必要以上に仲良くしていたことは気に入らなかった。友達から客になったのか、客から友達になったのか。どちらが先かはわからないが、付き合いやお情けで来てもらっている気がして。だいたい、そういう客にはメンバーとの恋愛目的だったりと、ろくなやつがいない。俺たちはもっともっと、手の届かないような存在であるべきだったと思う。

 それなりに時間を費やし打ち込んでいたバンドだったが、本気だったかと聞かれると、正直よくわからない。プロデビューできずに恥をかきたくなかったし、心のどこかで見限っていたのかもしれない。

 バンドが解散した後は、それぞれ別のバンドを組んで活動していたようだ。一度ライブを見に行ったが、それっきりで、もう連絡も取っていない。


「ま、取ってたとしても、楽器を頼もうとは思わねぇけど」


 バンドは麻薬みたいなものだ。ライブ中の歓声と、客の圧倒的な好意は、俺を無条件に肯定してくれる。いまだにそれを完全につことができない。

 誰にも言わずにこっそり始めたき語りのソロ活動だが、俺はこの、俺だけの持つ歌声に自信があった。

 投稿したばかりの曲がランキングページに載るとは思えないが、淡い期待をせずにはいられなかった俺は、サイトのランキング画面を下へスクロールしていく。


「やっぱり今日も<Linリン>か……」


 不動の一位、<Linリン>。少なくとも、俺がRAMPANTリァンペントに登録した半年前から、その座を保持し続けている。アクセス数に、いわゆるブックマーク機能のファン数が反映されている、ユーザーランキング。日間、週間、月間どこを見ても、一番上には<Linリン>の名前があった。

 <Linリン>は、ボーカル以外の様々な楽器が演奏できるマルチプレイヤーとされているが、それ以外は謎に包まれている。

 ページをさかのぼってみたが、やはり俺の名前はなかった。だが俺は、いつまでもランクがいに埋もれている人間なんかじゃない。


「こら、まーたそんな怖い顔でネット見てる」

「おわっ」


 いつの間にか起きていた洋香ひろかが、後ろから覆い被さるように抱きついてきた。


「おはよ。ネットで浮気はダメだぞ、八百太やおたくん」

「バーカ、んなもんしねぇよ。そもそも俺、このサイトに友達なんて一人もいねぇし」


 身体をずらして洋香ひろかの腕をどかすと、洋香ひろかはまだ眠たげな声で「ふーん、意外」と呟き、目をこすりながら洗面所へ歩いて行った。

 RAMPANTリァンペントでは、ミュージシャンとファンだけでなく、ミュージシャン同士の交流も盛んに行われている。互いに聴き合って評価をするのは、どこの投稿サイトにもある傾向だとは思う。


「でも、そういう投稿サイトって最初はさー! 友達作って、みんなに広めてもらって、っていうのがキホンじゃないのー?」


 洗面所の向こうから顔を洗う水音と、洋香ひろかが呼びかけるかのように話しかけてきた。


「だってさ! それで貰う評価だぜ。それってちょっと、違うだろ?」


 俺もその調子に合わせて、声のボリュームを少し上げて返す。

 たしかに、聴いてもらわないことには何も始まらない。だがそれは、過去に組んでいたバンドの動員と同じで、付き合いやお情けみたいなものだ。俺はそういうものを取っ払った純粋な評価が欲しいし、いつかそんな誰かが現れてくれると、根拠のない自信があった。


「この一位の<Linリン>なんて、他のミュージシャンやファンのコメントに、わざわざ全部返信してさ。見てみろよ、ほら」


 タオルで顔をきながら戻ってきた洋香ひろかに、<Linリン>のページをゆっくりスクロールさせて見せる。大量に書かれているコメントの一つ一つに、<Linリン>は丁寧に返信していた。


「わ、ほんとだ。っていうか、コメント数やば!」

「このコメントしてるやつはミュージシャン。こいつも、こいつもだ」


 ドラムの手数がどうの、ギターのコードがどうのなど、専門用語をまじえながらのコメントがずらりと並んでいる。そのどれもが称賛に満ちていた。


「こいつらはみんな、<Linリン>からコンタクトを取ってたやつらでさ。簡単に言うと、俺は先にお前たちの曲を褒めたから、俺の曲も褒めにきてくれって、宣伝したんだよ」


 厳密に言うと、実は少し違うのだが。

 俺はここ数ヶ月<Linリン>の動向を追っているが、過去に数多くのミュージシャンのページにコメントを残していたことが分かっている。そのミュージシャンの曲に対する称賛のコメント、ただそれだけだ。つまりそれは裏を返せば、評価を貰うための評価といっていい。もちろんそんな勝手な押し付けは通らないことが多いが、<Linリン>は俺が見た限りでも、相当な数を書き込んでいる。撃っていれば、いつかは当たるということだ。


「はー、なるほど。お返しブンカってことね」

「お、洋香ひろかにしては珍しくするどいな」


 洋香ひろかは「どういう意味よぉ」と、俺の肩に頭を乗せてもたれかかってきたが、ふと、毛色けいろの違うコメントに目をめたようだ。


「この絵文字のすごいコメントが、ファンの人たち?」

「だな」

「へー! ほんとにファンの人にもちゃんとコメント返してるんだ。芸能人とかでもあんまりやらないのに、<Linリン>って人はマメなんだねー」

「いいや、芸能人が正解だ。ミュージシャンとファンの間には、一定の距離がねぇとだめだ」

「一定のキョリって、ファンの人にコメントもらっても、返事しないってこと?」

「お前なぁ、考えてもみろよ。有名になって大量にコメントもらって、いちいち返してたらキリがねぇだろ」


 昔は返事をくれたのに、などと文句を言い出すファンは、常に一定数存在する。ファンへの対応や自分のキャラクター設定は、いずれ有名になることを前提で考えなければいけない。


「だったら、そんなの最初からやらないほうがいいだろ。友達同士じゃないんだ、あくまで客なんだよ」


 そう言って俺はパソコンの電源を落とし、手足を投げ出して仰向けに寝転んだ。

 洋香ひろかはきょとんとした表情で見下ろしていたが、次第に唇をすぼめ、鼻息を荒げていく。


「ぷっ、ふふっ」

「……なに笑ってんだよ」

「なぁんか思い出しちゃってさ。八百太やおたと初めてデートした時のコト」

「俺、何か変なこと言ったか?」

「言った言った。『俺は女にはおごらない。なぜなら、一度おごるとおごり続けなければいけないからだ』だったら――」


 そこまで聞くと、ようやく思い出して身体を起こした。俺たちは顔を見合わせ、同時に口を開く。


「そんなの最初からやらない方がいい」


 ほぼ同時に、指差し合いながら口にした。

 これは、俺が女と仲良くなる時の判断基準になる。こう言って最初に予防線を張っておけば、金目当ての女はたいてい去っていくだろう。一度おごって今後の立場を決定付けられるなんて、そんな関係は最初からごめんだ。だいたい女だって、男に金で買われているみたいで嫌だろう。


「ふふっ……あはは! あーおかしい!」


 互いにつられるように笑いが込み上げてくると、洋香ひろかはついにこらえきれなくなって、大声で笑い出す。

 屈託なく笑うその顔を見て俺は、なんだかんだでつき合う女はこいつで最後なんだろう、なんて適当なことを思っていた。




 深夜三時を過ぎた。今日も俺は懲りずに夜更かしをしている。

 昼に公開した新曲の再生数が、どうしても気になっていた。数十分ごとにスマートフォンからRAMPANTリァンペントへログインしているが、まだ再生数はゼロのままだ。仕方がない、まだ一日も経っていない。

 ふとRAMPANTリァンペントのトップページが変わっていたことに気づくと、そこには見覚えのあるバンドの特集が掲載されていた。


「こいつら、あの時の……」


 バンドを組んでいた頃に一緒にライブをしたことのある、さえない無名のバンドだった。俺たちより動員の少なかったバンドがプロデビューを果たし、いまあの頃とは比べ物にならない、大きな舞台でライブをしているのだ。こういう記事を見る度に、取り残されたような苛立ちと焦りを感じる。

 だめだ、こういう時は気分がどんどん落ち込んでしまう。無理矢理にでも寝よう。







 件名:12月2日

 本文:休み

 今日は新曲をあげた。サビが特にガツンとくる。改めて、俺の声ってマジですげぇ。そろそろ人気に火がついてもおかしくない。どっかのレコード会社さんよ、早く俺を見つけてくれないと、他に取られちゃうぜ?

 相変わらず<Linリン>はファンに媚びてた。承認欲求が強すぎる、気持ち悪いやつ。現実の<Linリン>はきっと、友達がいなくてブサイクなんだろうな。

 昔対バンしたことのあるバンドが、RAMPANTリァンペントでニュースになってた。ライブ中に一言も喋らない、無愛想なボーカルだった。ぱっと演奏して、とっとと帰ってたイメージしかない。だけど、デビューしてる。あいつらはもう、俺のことなんて覚えてないだろうな。

 大事なのは中身、曲のしつだ。

 俺は間違ってない。俺は負けない。



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