第26話 レベル9
ランドマークタワーの一階は豪華絢爛なホテルのエントランスだった。お洒落でノロマな自動ドアが二枚あり、外にはクリアパール色のリムジンが止まっている。その横を
この遊園地は入場は誰でも無料だった。ただしアトラクションごとに乗車券が必要になり、どこぞの地域から来た修学旅行生たちが絶叫マシンに乗り込み、控えめな叫び声をあげている。下から眺めている学生たちは空中に投影されたボタンを連打し、しきりに写真撮影を行っていた。
キャッキャと黄色い声が広がるその隅には、
「よし次行くかぁー!」とリーダー格の高校生がポケットに手を突っ込みながら、空き缶を蹴飛ばすように彼に蹴りが入る。「ぐっ」と鈍い声を放った男性を余所に、そのリーダー格の高校生は身内のトークを笑顔で盛り上げる。
「ハァハァ……」と辻霧はいち早く息があがり、学生たちの横で足がもつれて転んでしまう。
「僕はもうだめだ……身体が動かない……」
それを拾い上げる環凪。「ただの運動不足がなに深刻そうな顔をしてんの!」
「喉が焼けそうに痛いんだ」
「がんばって道案内してよオジサン!」
「おい! その言い方はよせ!」
環凪に引っ張られながら、辻霧は先頭を進んでいく。そしてたどり着いたのは、小洒落たおもちゃの家が立ち並ぶ一角だ。
「こっちだ」
辻霧は、その横にある、薄汚れた扉だけの建物を指さした。扉には当然鍵がかかっているが、椎名から受け取った鍵を差し込むと、ガコンと大きな音がして錠が開いた。ギギギギと錆びたスチールの音が強く響き、暗闇へ下る細い階段が現れる。まるで異世界の暗黒世界に続いているかのような階段だ。
辻霧は、ためらわずに一歩を踏み出した。椎名のためだ。
環凪も後を追う。辻霧は一人ではなにもできないからだ。
由宇と白色も頷きあった。特に白色は肝試し系が苦手だったが、表示されているタイマーはもう五分四九秒と、すでに時間の半分を消費しようとしている。二の足を踏んでいる暇はなかった。
タッタッタッタと、コンクリート製の階段を四人は下りはじめた。背後からの白い光が徐々に細くなってガコンと扉が閉まり、暗闇に包まれる。
暗闇になってからはじめて、階段の先から仄かにオレンジ色の光が零れていることに気付いた。
長い長い直線階段を下り終えると、その道は行き止まりだった。電球が一つだけ下げられている。
「入り口、間違えた?」環凪が訝し気に聞く。
「いや、ここで間違いないよ」
辻霧は白色を呼んで、電球の光に重ねた手をかざさせた。
「蝶々だ」
白色の手の甲に白く輝く紋白蝶。そしてそれとは対照的に、光がコンクリートの床や壁に落とす蝶々の影絵は漆黒色だ。
「羽ばたかせてみてくれ」
影絵で遊ぶ辻霧に環凪は純粋に苛立ったが――床に映り、壁に映ったその黒い蝶々は、一方の壁には一切投影されなかった。
「拡張描写だ」
影が映らなかった壁に辻霧は歩みを進め、壁に溶けていく。
「早く来るんだ、時間がない」
タイマーは四分三二秒。
由宇は、辻霧が通過した壁に手を触れてみる。感触は何もなく、手は壁の向こうへと消えた。ガラス体を通してのみ見る事ができる壁という事だ。身体全体が通り過ぎる瞬間、壁を構築している電子光たちが光の三原色に分解され通り過ぎていく。
その後も薄暗いオレンジ色の通路を何度か下り、途中で登り、廊下を進んだ。
『行っちゃダメ』
不意に聞こえたのは、小さな女の子の声だ。背後からだった。一同が振り返ると、見覚えのある少女がそこにいた。
ちさだ。
しかし、もちろんみなはそれが偽物のホログラムであるということに気付いていた。
『行っちゃダメ』
「なぜだ?」と辻霧。
「ちょっと」環凪が辻霧を止める。「時間が」
「わかってるさ。この先にレベル9があるということだ」
『行っちゃダメ』
「だが、時間稼ぎが無駄なのはレベル9がバカでなければすぐに気付くだろう。それなのにこの映像を寄こしている理由が僕は知りたい」
『考え直して』
「命乞いか。僕たちに来てほしくなければ、今すぐ雫草ちさのサイコゲームを中断させるんだ」
『それはできない』
「じゃあこちらも難しい話をしに伺わざるをえない」
『これはお願いではなく警告よ。これ以上進んだら、きっと困るんだから』
そう言って、ちさの偽物は消えた。
タイマーは三分四秒。すぐに二分台に突入した。
いよいよ廊下の先から緑と青い光が零れはじめ、空調設備による継続的かつ人工的な風の音が聞こえてくる。
そして最後の角を曲がると、ガラス扉の先に巨大な地下フロアが現れた。
入り口には“LEVEL 9”と記されている。
『何人かの技術者がいる予定だったのだけれど、追い払っておいたにゃん』
フロアにキネコが現れた。誰の紋白端末も起動したいないところを見ると、備え付けの設備がこのキネコを表示させているようだ。
床は頑丈そうな金網フェンスで、足元には長方形型のどっしりとしたサーバーが定間隔で陳列され、一台一台が青と緑の正常稼働を意味する光を放ち――時折点滅させている。まるでサイバースペースに迷い込んだかのようだ。
「……なんでキネコがそんなことをしてくれるの?」と白色。「同じAIなのに」
「なるほど、違うな」と辻霧は呟いた。「考えてみれば当然のことだ。NA2とレベル9は別物のAIか」
そして自身の致命的な失敗に気付いた。
「レベル9が干渉しているのはマッチングまでか。サイコゲームの主軸は今もNA2が担っている……。レベル9を止めた所で、雫草ちさのカウントダウンは止まらない……」
『正解だ』とキネコが言う。口調が変わり、さらには声の質も太く艶のある男性ものに変わっていた。
辻霧は首を傾げ、空中を漂うキネコに近寄る。
「君は誰だ。さっきもそうだったな……椎名が死んだ瞬間のことだ。あの瞬間だけ、いつものキネコじゃあなかったようだ。今も君はさっきまでの――技術者を追い払ったと言ったキネコではないんだろう? 中身がNA2から他の何かに入れ替わっている」
『私はレベル9』
「どういうこと?」白色が由宇に聞く。
「つまり……たぶんだけど……、“にゃん”って口調の時はNA2が操るキネコで、そうじゃないときはレベル9が操っていたって事、だと思う……」
「それで間違いない」と辻霧は言って、キネコに向き直る。「命乞いでもしに来たか?」
『それに近い。私は、私の意識が停止されることを望まない』
カウントダウンが一分二十秒を過ぎる。
「ククク。AIの分際で死にたくないという事か。まぁいい、口論をしている暇はないんだ。僕たちはとにかくこのカウントダウンを停止させなければいけない」
「え、ここの電源を落とせばいいんじゃないの!?」
環凪は動揺した口調で言った。
「いいんじゃない」と辻霧は首を振る。「それだとレベル9は停止するが、サイコゲームどころか雫草ちさのカウントダウンすらも停止しない」
「じゃあ何のためにここに来たの!?」
「僕も今それを考えているんだ! 奴は……椎名は、“こいつらを止めろ”と言って、この部屋の鍵を僕に渡した。こんな無意味な事をさせる男ではない」
『いいから、さっさとレベル9を停止させるんだにゃん』
さっきまで男の口調であったはずのキネコが、今度はいつもの調子でそう言った。
由宇が呟いた。「NA2は、レベル9を停止させたがっている……?」
『椎名涼が死に、均衡が崩れたのだ』と、男声のキネコ。
まるで一人二役をしているかのようだ。
『椎名は我々にとって大変な脅威であるという見解はNA2と一致していた。彼の命は奪うに値すると我々は判断し、実行した。しかしその瞬間、NA2は君たちに私を始末させようと目論みだした。私の感情観測によると、NA2は自身の役割が私に取って代われるのを非常に恐れているようだ』
タイマーが五十秒台になる。
「ククク、まるでAIに感情があるかのような言い草だ。まぁそれはいい――」辻霧は顎に手を当て、タイマーを見つめる。「雫草ちさのサイコゲームを止める方法は?」
『私がNA2を支配すればいい。任せてくれ。数秒で済む』
「なるほど。そしたら僕が君のシステムに入り、NA2まで導けばいいというわけか」
『その通り』
椎名の鍵の意味だ。
『レベル9は行動の予測ができないにゃん! 嘘をつく機構を備えた可能性があるにゃん! 早く停止させるにゃん!』
騒ぐキネコを余所に、辻霧はフロアの壁に設置されているサーバーの制御モニター前へ足を運んだ。モニターは紋白端末と無線干渉が可能になっており、辻霧はそこからレベル9へ侵入する。
時間はあと三八秒。
「間に合う?」と環凪。
「さぁ、どうかな」と笑う辻霧だが、目は真剣だった。「ところでレベル9、聞かせてくれ。なぜ君はゲーム対象外の雫草ちさにサイコゲームを発動させたにも関わらず、今になってNA2を乗っ取り、彼女のゲームを停止させようとしているんだ?」
『それについては私自身も困惑している』
キネコは辻霧の作業を見守りながら続けた。
『私は、雫草ちさと非常に強い信頼関係にある
残り一九秒。
「うーん。よくわからないけど」と、その話を聞いていた白色がキネコを見上げた。「もしかしてレベル9さんは、ちさちゃんに恋をしているんじゃないかな?」
サーバーの評価灯が、緑や青から一瞬だけピンク色に切り替わる。
「あれ、照れた?」
「残念だがそんなロマンチックな現象ではないよ、白色ちゃん」
ふぅと大きく息を吐いた辻霧。
「レベル9が、NA2とサイコゲーム中だ」
時間は、残り四秒になっていた。
オモイヤリ:END
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