第25話 感情観測

瀧也タツヤさん、あの……」

 ちさは困惑した様子で手を胸に押し当て、瀧也に駆け寄ってくる。

「あぁ……」

 瀧也はそのちさの頭にポンと手を置いた。

 キネコの横にタイマーが表示される。マッチング相手と出会い、ゲームを開始するまでの制限時間だ。そこには十分と表示されていた。カウントダウンがはじまる。

「十分!?」瀧也は飛び上がりそうになる。

 通常、サイコゲームが開始される猶予は四八時間だ。瀧也は再びランドマークタワーを睨みつけた。

 一体なにが起こってやがる。事態は悪化する一方だぞ。

「とにかく……やるしかねぇよな……」

 サイコゲームから対象外となっているハズの自分たちなのだが、そんなことをキネコに主張しても仕方がない。サイコゲームを拒否すれば死。時間がゼロになっても死だ。都合のいい刃物もないので手首は切断できない。

「フェイスシート欲しいか? って、作ってる時間はないが……」

「でも、瀧也さん! 私、レインなんですよ?!」

 すがるようにさらに身を寄せるちさ。今にも泣きだしそうな顔だ。瀧也は、その両肩を捕まえた。

「おれの事は心配するな。大丈夫だ」

「でも、私がなにを考えてるか……」

「わかってる。大丈夫だ」

 ――でもそれなら、どうしてしっかり向き合ってくれないんだろう。ちさは、自分の心の中に黒いもやもやが生じてしまった事に気付いた。

 自分はあんなに好きだと言っているのに、その気持ちに応えてくれない瀧也。しっかりこちらを見てくれない瀧也。本当に自分の気持ちをわかってくれているなら、この辛さを理解してくれているなら、頷いてくれたって――

 瀧也の声。「今は自分がⅢAをもらわないことだけ考えろ」

「瀧也さん。私、自信がないです……」

「ちょっと前まで散々ゲームこなしてただろ。大丈夫だ。おれはそこまで複雑な思考回路の人間じゃねぇ」

「でも!」

「とにかく心を落ち着けろ。な」

 ポンポンと軽く頭を叩かれる。しかし瀧也の顔は変に力が入ってしまっていて、うまく笑顔を作れていない。

 瀧也自身、自分の笑顔が引きつっていることを自覚していた。

 相手は旧レイン。何度となく想定外の言動や行動を目の当たりにしている。

 こいつとのサイコゲームは本当にヤバい――

 こいつが何を考えているか全く予測がつかない。もはやはじめからⅠではなくⅡやⅢBの判定を狙っていくべきだろうか――

 瀧也が考えている間に、ついにちさは、目から涙をこぼしはじめた。自分自身がレインであるということを自覚しているからだろうか。そりゃそうだ、今まで由宇以外すべてのマッチング相手をⅢAに沈めてきているのだ。目の前でたくさんの死を見てきているのだ。そしてやっとそれから解放されたと思っていたところでの、これだ。そもそも市民の暴動を受けて動揺していたところだ、冷静でなどいられないに決まっている。

「ホント無理です!」と、ちさはぶんぶんと頭を振って涙をまき散らす。

「大丈夫だ。まだそんなに昔のことじゃないだろ。思い出せ」

「そうじゃないです!」

 ちさは頭を振る。

 参ったな――瀧也はそう思った。

 ここでも自分は何か読み違えをしているらしい。今ちさが考えている事は、自分とは違う事だ――

「私、瀧也さんの事が好きなんです。子供なのにバカかもしれないですけど、恋をしちゃってるんです! だから――」

 ちさはぐっと胸に言葉を溜めてから、瀧也を見上げた。

「瀧也さんが何を考えているのか、本当になにもわからないんです」



「椎名。今すぐすべてのゲームを中断させるんだ」

 辻霧は椎名に詰め寄って胸倉を掴んだ。

「できるわけないだろう」余裕の歯車の瞳がシュルルと動く。「離せ。またスーリたちを呼ぶぞ」

「呼ぶがいいさ! その前に僕たちはここを脱出してレベル9へ干渉してやる!」

「私たちの時みたいに――」と白色が由宇をみつめる。「緊急メンテナンスに入ることはできないんですか?」

 椎名は辻霧の身体の向こうから顔を覗かせる。

「できるわけない――という言葉は、技術的な意味ではないんだよ。僕がレベル9の目的を妨害する理由がないからそう言ったんだ。もちろん僕が知らない事実があって多少は驚いたが、それだけだ」

『それは少し違うにゃん』キネコの言葉は主人である椎名に向けられていた。『は、自身の成長を妨害しそうな存在を排除するつもりにゃん。妨害する理由はなくても、技術的に――また立場的にそれができるのは困るんだにゃん。そしてそれができるのは、椎名リョウ――君なんだにゃん』

「……なんの話だ?」

 椎名は辻霧を突き飛ばして立ち上がる。

『人間は気が変わる生き物らしいにゃん』

 そう言い残して、キネコは消えた。

 ――と、次の瞬間。

 椎名の鼻の付け根に埋め込まれた小型の紋白端末から飛び出してくる。その姿はどういうわけか由宇たちにも共有されていた。

『サイコゲーム、はじめるにゃん!』

「ふざけるな! 僕はクオリア社のCEOだぞ! なぜ僕がサイコゲームなど」

『サイコゲーム拒否者は、残念ながら命が奪われるにゃん』

「待て、おかしいぞ」と椎名。「その台詞は三度目の拒否時に使用されるハズだ。まだ僕は一度しか――」

 すがるようにキネコへ手を伸ばした椎名だが、一呼吸してから、ゆっくりとその手を引いた。歯車の眼をシュルルと動かして、辻霧を見る。困惑は消え、すべてを受け入れた表情だ。

「……今まですまなかったな、ジン。こいつらを止めてくれ」

 椎名は首元から鍵を取り出して、それを辻霧に渡そうとする。しかしそこで、椎名はピンと糸が切れ、その場に崩れ落ちた。

 突然のできごとに、辻霧でさえ状況把握に時間を要した。沈黙の間が広がる。その静寂を破ったのは、キネコだった。

『君たちは……そうか。偽装端末か』

 キネコが瞳孔を細く薄くして、一同を眺め微笑む。まるでチャシャネコのような三日月の瞳だ。『ここで殺しておきたかったのに、厄介だな』

 このキネコは椎名の紋白端末によって描写されていたため、彼の死に伴って光をゆっくり失い、やがて消えた。

 シンと静まり返るフロア。

「行こう」と辻霧が言った。「葉子の長女の件もある。レベル9に干渉するんだ」

 倒れた椎名が辻霧に渡そうとしていたもの――古く錆びついた鍵を、辻霧は椎名の手の中から受け取った。

「場所は知ってるの?」と環凪。

「この鍵の事は知っている」

 辻霧は地図をシャドーに展開させる。

「よこはまコスモ遊園地の非常口の鍵だ。そこにはクオリア社の極秘施設だ。奴のハードウェアは、どうやらそこにあるらしい」

「分かったところで辿り着けないんじゃない?」と、エレベーターが動き出したことに環凪が気付く。「たぶんさっきのスーリって人たちが来るけど」

「まずはクオリア社からの脱出だな」辻霧は笑った。「大丈夫だ。策はあると言っただろう」


 チンとエレベーターのドアが開く。

 中からは、予想通りスーリとその他の調整員男性数人が飛び出してきた。なんらかの異常に気付いて駆けつけたのだろう。

「誰か倒れていますね。あれは……」

 スーリはガラス体に、死体の何らかの情報を表示させる仕草を見せた。そしてすぐに叫び声をあげて死体へ駆けだす。

「涼様! 涼・椎名様!」

 走りながら膝を崩し、横たわる亡骸に飛びついた。

「いったい何が……! あいつらは!?」と周囲を見渡す。

 しかしそこは、椎名の死体と調整員を除きフロアだ。

「どこかに隠れているハズです! 隈なく探してください!」

 そう指示し、男たちを散開させるスーリ。

 エレベーターが閉まる。スーリが椎名を抱えている光景が、由宇たちの目から扉によって遮られる。

「ククク。うまくいったようだな。全員いるか?」

 由宇の目から見ても、このエレベーター内には誰もいない。それでも辻霧の声がして、環凪、白色の「いるよ」「います」の声が聞こえた。

「おれも大丈夫」由宇も答えた。

 誰かが七十のボタンを押し、エレベーターが動き始める。

 光学迷彩――

 これが辻霧の言っていた“策”だった。自分たちの身体の輪郭に合わせ、反対側の景色を表示させる特別なスキンを拡張現実上で纏ったのだ。もちろんガラス体がなければその拡張映像も表示されていないので、ガラス体のない状態で見られたらこの偽装は偽装ですらない状態であっただろう。

「ククク、技術進歩の弊害だ。その穴を突くというのは、いやはやどうして、とても気分がいいものだ」

 そうは言いながらも、辻霧の声はいつにも増して暗い。

 当たり前だ――いくら仲違いしていたとはいえ、共に会社を立ち上げた昔からの親友を目の前で亡くしたのだ。

 光学迷彩を纏ったまま、四人は会社のセキュリティゲートもやり過ごして屋外エレベーターへ乗車した。高速で地面が近づいてくる。

 白色はちさにコールした。すぐに繋がる。

「もしもし?! ちさちゃん!? 大丈夫!?」

『あの、えっと、サイコゲームが』

「はじまっちゃったんだよね! ごめんね! 今、止めるからね! もう少し待ってて!」

『あと、九分……』

「え?」

『あと九分以内にはじめないと……。止めるの、間に合いますか?』

 辻霧が光学迷彩を切る。由宇も続いた。

「間に合わせてやるさ。カウントダウンを白色ちゃんと同期させてくれ」

 辻霧の指示に、しばらくすると白色がタイマーをシャドーに投げた。

 残り、八分四十秒。

「絶対間に合わせるから。最後の一秒まで待っててね」

『はい!』

 元気のいいちさの声。四人は、なんだか力をもらったような気がした。

 チンとエレベーターが一階フロアへ到着したと同時に、四人は駆け出した。

 公園は――すぐ道路の向かい側だ。

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