第24話 NA2 - ナツ
広いフロアの中に、一匹の猫が浮いていた。
歌舞伎調の装飾がされた、子供が描いたかのような歪んだイラストの猫――カブキネコだ。窓から差し込む光をバックに、ふわふわと漂ってくる。
「はずせ」と、椎名は呟く。
シュルルと視線をスーリたち調整員に投げる。
「はずせ!」
「しかし、こいつらは――」
スーリは不意打ちを食らったような表情で自分が捉えた獲物たちを見回す。
その困惑の女性を、赤い瞳が睨みつけている。
しばらく間があって、スーリと男性たちは一礼し――辻霧を開放して、エレベーターへと撤収していく。
「痛てて」と辻霧は肩を回した。「酷い事をする。体幹が曲がってしまったようだ」
「ッチ」と振り返ったスーリの舌打ちが聞こえた。チンと扉が閉まる。
辻霧はボフッとソファに腰を落としてくつろいでみせる。「これでようやく水入らずか」
「そうでもない。こいつから話を聞くまでは――」椎名はキネコを睨みつける。
「ちょっと待て椎名」
辻霧は、翻った声をさらに翻して、改めて確認する。
「君は本当に知らなかったのか?」
椎名は答えない。視線はキネコにある。
「この男が言っている事は真実なのか? 葉子の長女にマッチングを集中させたのか?」
『それはあのお方にとってとても重要なサンプルだったにゃん。あなたには関係ない事だにゃん』
そういう肯定の言葉だ。
「重要なサンプル?」
『そもそもID:ui84j7rr-hが――』キネコの横に葉子の顔写真が表示される。『――夫とのサイコゲームでⅢAになったのはあのお方も予測できなかった事象にゃん。あのお方が評価した夫婦関係は良好、そのため結果予測も当然Ⅰと出されていたにゃん。それなのに――関係は円満だというのに、ⅢAに該当して死んでしまったにゃん。あのお方は悲しんだにゃん』
「椎名。こいつが言うあのお方とは何者だ?」と辻霧。
由宇も頷いて聞いた。「NA2ですか?」
椎名はかぶりを振る。「NA2はこのキネコだ」
「椎名、この男の質問は無視して構わないよ。話が逸れる。それよりも僕の質問に答えろ。僕がいない間にクオリア社になにがあった」
「時間は動いているんだよ、辻霧。君がくだらない革命家気取りで引きこもってなんらかの工作をしている間に、NA2は新たなAIを生み出しているんだ」
「新しいAIなんて、常に世界中で生まれている」
「
「……なに?」
「お前の言うように、NA2と同格であるレベル
「不可能という結論が出ていたハズだ……」と、辻霧はその後の言葉を失う。
「ナイン? セブン?」由宇が聞く。
「君は黙っていてくれていい」という辻霧。
椎名が由宇の疑問に答えた。「物体認識、抽象概念把握、動作理解、行動理解、言語理解、常識獲得……より複雑な深層学習が可能となるAIほど上位とされているんだよ。NA2はレベル7のAIだ」
「答えなくていいと言っているのに」辻霧はシイナを睨みながら――「だが、なるほど。見えてきたぞ。NA2であればまだお前でもサイコゲームの制御が利いた。しかしレベル9がサイコゲームに関わりはじめたことで、お前の知らない場所でもゲームが動くようになった」
プライドを傷つけるかのような言葉だ。
「勝手にそう思っておけばいい」
椎名の言葉は苛立ちを隠そうと努力されたものだった。
辻霧は、それを肯定と受け取る。
「ククク。そうすると、もう一つ教えて欲しい事がある。ゲームの判定にも、レベル9が関わっているのか?」
「教えて欲しいとはなんだ、偉そうに。自分たちが侵入者で招かれざる立場だという事を理解しろ」
「誘い出しておいてか?」
「君がわが社のコンピューターに侵入したからだ。いつまでも野放しにしておくわけにはいかなかった」椎名は踵を返す。「まぁいい、教えてやる。レベル9はゲームのマッチングに関してその計算を任せていたが、判定には関わっていない。判定は――お前は知っているだろうが――NA2が紋白端末から送信される人間の身体のホルモン言語を解析して、感情を観測し評価していた」
窓際にある自身の木製のデスクにたどり着いた椎名は、その上に腰を下ろし足を組む。
「ただし一方でレベル9は人間の感情観測を直接行う事ができるとされている。言葉、仕草、バイタル、あらゆるアウトプット情報から人の感情を読み取る。そしてレベル9は現在、その感情観測と判定結果を照らし合わせて学習を続けているはずだ。その能力的にレベル9は人間の感情に強い関心を示している」
そして、その場に居合わせた全員がハッとした。椎名すらも自分の言葉で気付くことができた。視線がキネコに集まる。
『あの子はあのお方にとって、貴重なサンプルだったにゃん』
*
「今度はあっちです!
そう指をさして叫ぶと、ちさが駆けて行く。
「もう無理だ! 疲れた! マジで! やめろ!」
汗だくの瀧也がハァハァ息を乱しながら、その中学生を追いかける。
「ホント、何考えてやがんだお前は! 全然わからねぇ!」
今の時代のある種の敗北宣言を喚きながら、瀧也はちさを追い越して一つの集団に飛び込んでいった。
レイン集団暴行には一つの法則があった。
それは、中心となって暴力を振るっている一~二名を叩きのめして拘束すれば、それに続いていた人々は正気を取り戻すという法則だ。
真に過激な人間は一握りなのだ。
問題は、現時点でそれを叱りつける人間がいない事だった。だから回りも流されて、彼らに追従する。叱りつければ、追従者は強い方の言う事を聞く。
履歴が赤い男性はイチョウの木の木漏れ日の中、石畳の地面に倒れ、もう動かなくなっていた。しかしそれをさらに蹴り飛ばす二人の男に、瀧也は不意打ちで下あごめがけ拳を振るう。一人目はおそらく自分が攻撃されたことにすら気付かず気を失い、もう一人は周囲の異変に気付き顔を上げた所で瀧也の迫る拳を認識し、白目をむいた。
気絶した男二人を、ちさが百均で買った結束バンドで後ろ手に親指同士を固定する。
「オーケーです! じゃあ次はあっちです!」
そう指をさして叫ぶと、ちさが駆けて行く。
よろっとふらつきながら片拳を垂らし――瀧也は、ビルとビルの間に見える遠くのランドマークタワーを見つめた。
「まだ終わらねぇのかよ……。なにやってんだあいつらは……」
そんな時――
瀧也の垂らした拳に刻まれていた紋白端末が、白く発光した。
*
辻霧はドッと疲れたように頭を垂らした。
「まさか……マッチングを調整していたのはレベル9の仕業だったのか」
「これで僕の疑いは晴れたよね。ジン」
デスクに腰かけながら、椎名の声は澄んだものだった。
由宇は、ここで少し整理をしてみた。
まず判定履歴タグの表示エラーについては、結局エラーの原因は椎名からは明らかにはされなかったが、彼はエラーを認識しつつもそれを直すつもりはなく――それどころか正式なサービスとして導入を検討しているとのことだ。
葉子がⅢAを受けた件については、つまりサイコゲームの正当な結果だったようだ。とはいえそのゲームはレベル9によって意図的にマッチングされたもので、さらにレベル9はその判定結果をⅠと予測していたが結果を見誤ったそうだ。ここに一つ目の疑問があると由宇は思った。
なぜ、レベル9はサイコゲームの結果を予測しようとしているのか?
そしてちさの大量のマッチング――これもレベル9が調整しているらしい。そこに二つ目の疑問がある。
白色が、ソファに座ったまま少しだけ身を乗り出した。
「ねぇキネコ、貴重なサンプルってどういう事?」
『あのお方が目指しているのは、判定結果の完璧な予測にゃん。多くの場合、的中率はほぼ百パーセントに達していたにゃん。だけどレインだけは一度も結果を当てられなかったにゃん。ⅢAになるマッチだと思ったらⅠが出て、Ⅰが出るマッチだと思ったらⅢAになる――その繰り返しだったにゃん。だからレインの判定結果は貴重なサンプルなんだにゃん』
どうやら由宇の一つ目の疑問に、キネコが答えてくれそうだ。
「どうしてそんな、レベル9は結果と予測の一致にこだわるの?」
「待って、由宇ちゃん」と、白色がそれを止める。「私たちが聞かなきゃいけないのはそこじゃない。もちろん知りたいけど、それよりも――どうしてレベル9さんは、数いるレインの中でもちさちゃんに固執したんですか?」
白色のそれは、由宇が持った二つ目の疑問と同じものだった。そう。サンプル集めというのであれば対象は誰でもいいはずだ。それなのになぜ、ちさだけだったのか――
『その答えは僕も持たないにゃん。でも、ことばとして過去形は正しくないにゃん。あのお方は今でも彼女に注目をしていて、未成年後見制度の利用で対象外になったことをとても切なく思っていたにゃん。だから、少しだけ工夫をしたにゃん』
「工夫?」と由宇。嫌な予感がした。
『あの子にはまたサイコゲームをさせるにゃん。感情観測と収集のため、あのお方はサンプルを集めるにゃん』
*
『サイコゲーム、始めるにゃん!』
ありえない――
飛び出してきたキネコに、瀧也は身体を震わせた。
「嘘だろ……」
自分は死体回収員。サイコゲームは免除されているハズだった。
少し離れた所で「キネコだ……」と、足を止めたちさの声。
瀧也には見えないが、ちさの元にもキネコが飛び出したらしい。ちさも同じくサイコゲームは免除されているハズだ。しかし――
瀧也は慌ててマッチング相手を確認した。
そして、世の中すべてを呪いたくなるような気持になった。
“マッチング相手:
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