第四章 ジェノサイド
第14話 二人の逃避行
行ってきます――
目が覚めると、
“キネコに呼ばれました”
短い一文に、由宇は青ざめた。
白色――!
急いで服を着替え、外に飛び出した。なにか悪い予感がしたからだ。
外に出ると、全体的に街が騒がしいことに気付いた。一か所ではない。どこか道の先のあちらこちらで声が乱れ飛んでいる。
“今どこ?”とメッセージを送る。すぐに返事が来るとは期待していないが、とりあえずその画面は空中に表示させたままにして、一番近い賑やかな場所へと急いでみる。しかしその途中、新たな騒ぎが発生した。
「
騒ぎ出したのはスーツ姿の太ったおじさんだ。出社途中だったのだろう彼が指さす先には、……特に誰もいなかった。しかしもう一度由宇が彼の方を向くと、確かにこちらを指さしている。
おれか――
由宇が自分の頭上を見上げると、一本の線図が拡張空間に伸びており、その先に判定履歴が強制表示されていた。その履歴には加判定のⅢA部分をご丁寧に赤文字で表示してくれてある。ちさとの一回を除いて真っ赤な由宇の履歴は、誰もが確認可能な
サラリーマンの声を聞きつけた人々が、遠巻きにそれを見て、由宇に視線を向けた。
もっとも――騒ぐなら好きなだけ騒げばいい。由宇が知っている日本人は臆病だ。遠巻きにそれを眺める事はあっても、直接何かをしてくるような人種ではない。しかし、由宇の正面に、野球バッドを持った青年が現れた。確かにこの近くには横浜スタジアムがある。熱心なベイスターズファンだろうか。また、その青年を囲むように一人、また一人と男たちが由宇の進路を塞ぐ。
明らかな殺気が、間違いなく由宇に向けられていた。
「あの。なにか……」
「お前らがおれの父さんを殺したんだ!」
まぁ待てと言いたかったが、違うとも言い切れない。もしかしたら過去のⅢAの中に、彼の父親が本当にいたかもしれない。由宇は言葉を失ってしまった。
「お前らがいるからいつまで経っても日本はよくならないんだ!」
「早く死ね殺人鬼!」
「家族を返せ!」
「自分だけ殻に閉じこもってのうのうと生きるな!」
心に突き刺さる言葉の数々。どうやら彼らは由宇の知っている日本人ではなかった。まるで今までのうっ憤を溜めに溜めて、いよいよそれをここで子供みたいに吐き散らかしているかのようだ。街の騒がしさはこれだったのか。あちこちで生きるレインたちが、そうでない者たちに因縁をつけられているのだ。だとしたら白色も――
由宇はメッセージ窓を確認してみた。既読はついていない。通話ボタンを押してコールする。その様子に苛立った男たちが由宇に詰め寄った。
「聞いてんのかコラー!」
バッドを構えて詰め寄ってくる青年。高校生くらいだろうか、髪の毛は丸坊主で見るからに野球をやっていそうなスポーツ体型だ。真正面からの殴り合いなどでは勝てる気がしない――増してや多対一だ。心の中で逃げる準備を始める由宇だったが、念のため言葉が通じるか試してみる。
「聞いてます……! 危ないし怖いんでやめてください……!」
「怖いだァ!? お前におれたちの気持ちがわかるか!」
「僕の成績はここまでオールⅠです! みなさんの気持ちはよくわかります!」
「だったら死ねよ! これ以上犠牲者を増やすな!」
その言葉を受けて、由宇は途端に目が覚めたような気がした。
そうだ。
日本は元々、そういう国だった。サイコゲームで世の中がよくなったかのように見えていたが、それは自分も含めお得意の空気を読むという行為の研鑽に他ならない。
「……みなさんは、僕の気持ちはわからないんですか」
サラリーマンが即答した。「レインの気持ちなんてわかる必要ない!」
――そういう事なのだ。今まで日本人は、主張ができない弱い人間を虐げてきた。それがサイコゲームによって下克上が起こり、一転して主張ばかりして人の気持ちを軽んじる人間が死ぬことになった。そしてそれが落ち着くと、今度は心を閉ざした人間がターゲットというわけだ。
サイコゲーム。
所詮は政府主導の社会的なイジメに過ぎなかったのだ。日本は、何も変わっていない――
しかしそれが分かったところで、彼らの怒りや正義感は収まりそうにない。
『もしもし?』白色と通話が繋がった。
「白色! 無事⁉」
『なんとか……』
「どこ?」
『由宇くんのマンションに戻ってきてる……。入り口、開けて……』
「おれもいま外なんだ! 待っててすぐ戻るから!」
「うおおおおお!」とバッドを振りかぶって走ってくる青年。とても興奮しているようで、もう何を言っても無理そうだった。しかし彼はあまりに周りが見えていなさすぎて、地面のコンクリートの僅かなでっぱりに足を取られてその場で躓いてくれた。
チャンスとばかりに、由宇は駆け出した。騒ぎながら追いかけてくる人々。
どうして突然こんなことになってしまったのだろう――後ろを振り返り、ある程度距離も離れたのでそんな事を思う余裕ができてきた。判定履歴はマッチング相手とのフェイスシート交換時に表示されるものであったはずだ。しかし今はそれが容赦なく誰でも参照可能となっている。いつの間にか仕様が変更になったのだろうか?
「由宇くん!」
由宇がマンションエントランスに入ろうとしたところで、ビルとビルの隙間から白色が顔を出した。白色の頭からは見慣れないタグが伸びており、そこをタップするとサイコゲームの判定履歴が見れるようになっていた。
「白色! 頭に変なタグが」
「由宇くんも街の人も、みんなそうなってるみたい」
「レインかどうか問わず?」
「たぶん」
本当に何が起こっているのか。
ただ今はその原因を調べるよりも身の安全を確保する事の方が優先だった。この辺りで身を隠せる安全な場所と言ったら一つしかない。あの危険地帯だ。由宇は大通りに出て走行している車に目を凝らすと、都合よくタクシーが走ってくる。伊勢佐木町は、JR関内駅、横浜市営地下鉄の伊勢佐木長者町駅、京急本線の日ノ出町駅の三つの駅が徒歩数分圏内で、比較的タクシーも多く蠢いてくれている。
タクシーが停止してドアを開け――
「寿町まで」と由宇。
「寿町の、どこ?」
「どこでもいいです、とにかく急いで――」
その時、タクシーの運転手は、由宇の頭上にあるタグをタップする仕草をした。途端に表情が険しくなる。明らかに目つきが変わった。
「お客さァん……」と声のトーンも低くなる。
恐怖を感じ、由宇はすぐに引いた。タクシーはドアを閉め、由宇と白色を置いて発進してしまう。
街ゆく人々のざわめきが由宇と白色に注目している。由宇は手を引いて路地へと逃げ込んだ。この先には伊勢佐木警察署がある。いくらなんでも警察署の前では手を出せまい――そう思って走っていたが、まさに警察の目の前ですでに人々に囲まれボコボコに蹴られ殴られしているレインが一人いた。署の入り口の前に立つ制服姿の署員は、長い棒のようなものを持ったまま目の前の暴力行為を見てみぬふりだ。それどころか、彼は由宇と白色に気付くと「あっちにもレインが居るぞ!」と大声をあげた。
「由宇くん、絶対ヤバい! 早く逃げよう!」
由宇は頷いて白色の靴を見た。
「大丈夫! スニーカーだから!」
再び由宇は頷いて、白色の手を引いて走り出した。
この逃避行は二回目だ。以前は左手を切断した
不法投棄禁止の看板を越え、不法投棄と悪臭漂うゴミ通りを過ぎ、格安
千円札を取り出してそれを渡すと、おばあちゃんはジロジロと由宇と白色の身なりを見てから、鍵を一つだけ置き、そのまま無言で奥へと戻ってしまった。
「おつり……」
「くれないって事じゃない……?」
白色のその言葉に仕方なく納得した由宇は、鍵を手に取って二階へと上がった。
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