第13話 乱数調整

「ありえねぇ」

 瀧也タツヤが放ったこの言葉には二つの返事が込められていた。

 まず一つ。

「私……。瀧也さんに、恋をしてしまったかもしれないです」

 夕暮れ時、二人でラーメンを食っている時だった。唐突にちさのその言葉が耳に届いた。ブホッと食べかけていた物を吹き出して、鼻からもやしが飛び出した。

(……おれはレオンか、それともエヴァの加持さんか)

 ちさのセリフ的には前者かもしれない。完全にパクっているのだ。しかし瀧也としてイメージしやすいのは後者だった。確かに自分が中学生の頃に見たエヴァンゲリオンのアニメでは、なぜ加持はアスカのアピールに無関心なのだろうと思っていた。しかし彼と同じような年齢になってみるとそれもよくわかる。はっきり言って子守りでしかないのだ。やってられん。

 そしてもう一つの“ありえねぇ”。

 むしろ気がかりなのはこちらの方だった。

 突然、ちさの端末からキネコが生じ、先の中華街へ導いたのだという。ちさはキネコに拡張視界を操作させる役割を与えていなかったから、通常ではそんなことは起こりえない。さらには、突如受信したちさの居場所情報。ちさに確認すると、特にそういう操作はしていないのだという。その情報のおかげでなんとかちさを救う事はできたが――

 やはり、ちさには何かが起こっている。本来であれば起こりえない、特別な何かが。

 しかし、それはなぜか。

 クオリア社から送り込まれてきたスーリは“その話はそこまでにしておいた方がいい”と言っていた。つまり、それを考え付くと自分もクオリア社から狙われかねないという事だ。――もっとも、それはスーリを追い払ったのだから同じことなのかもしれない。いやしかし、逃がしてやったという恩がある。あのお嬢様がちゃんと人並みの恩を感じるマトモな人間であれば、自分の身についてはまだ大丈夫なハズだ。そう思いたい。

 ラーメン屋を出て、往くあてをどうしようかちさに聞いてみる。ちさはカチンコチンに身体を緊張させながら答えた。

「だだだ大丈夫です」

「いやなにがだよ」

「じじ自分で帰れます」

「……由宇ユウの自宅はすぐそこだ。世間はちょうど退勤の時間で、それは由宇も同じだ」

 ちさは顔をあげた。

 不機嫌そうに手をポケットに突っ込み、遠くを見ている瀧也だ。やっぱり瀧也は優しい人だ。そしてたぶん、この恋は本物なのだろう。瀧也は曖昧にしてしまったが、そうは言っても自分も正面切ってしっかり告白をしたわけではない。いつかそのチャンスがあった時――いや、いつかそのチャンスを作って、必ずや、ちゃんとした告白をしようと思った。



 最寄りの地下鉄から地上にあがる。

「あのね! 友達から教えてもらったんだけど!」と、元気な白色シロイロが紋白端末の画面を由宇に同期シンクロさせながら言う。「ネットにね、サイコゲームの裏技が載ってるんだって!」

「裏技?」

「そう! この前さ、判定履歴表示機能が追加されたじゃん? その機能を解析した人がいて、自分のサイコゲームのタイミングとかマッチング相手とかを微妙にずらせることを発見したんだって!」

「ネットの情報かぁ……」

「そう! 信じるかは自由!」

 白色が表示したサイトは“病気がちミラクル”という名前だった。なぜか親しみ深い名だ。少し考えて、由宇はあの辻霧の暗い顔を思い出した。果たしてこれは偶然だろうか。

「なんか……このアプリをダウンロードして、そこにサイコゲームのマイIDを入れると、IDごとに違った秒数が表示されるから、今度はサイコゲームの判定履歴を表示して、そのアプリに表示された秒数だけ待ってから最新の判定履歴詳細画面に進めば、もうそれでマッチング選定の可能性がほんの少しだけ後回しにされるんだって」

 白色はすでにそのアプリをダウンロードしていたようで、いま口で説明したことを実際に途中までやって見せる。

「最後までやらないの?」

「え。なんか怖いじゃん。今度はレインとのマッチングを避ける方法も公開予定――とか書いてあって、なんか怪しいし」

 白色はそう言ってアプリを終了させた。

「確かにそれは怪しい。でももしそれが本物の情報でみんながそれをやってくれれば、おれたちはもうサイコゲームをしなくて済むかもね」

「だといいね!」

 ニコニコと笑う白色。

 川崎で出会ってから、二人はほぼ毎日会っていた。今日は横浜駅で落ち合って、これから一緒に由宇の自宅に戻る所だ。しかしその道の途中で、由宇は見知った横顔を見かけた。瀧也だ。みなとみらいでサイコゲームをやったちさと並んで歩いている。あちらはこちらに気付いていないようだったので、白色の手を引いて道を変える。彼らがなぜこの街に来ているのかはわからないが、瀧也とトラブルはセットであるようなイメージが由宇にはあった。

「どうしたの?」と白色。

 由宇はなんでもないと首を振って、裏口からマンションへと入った。


「たぶん私たちは、自分を持っていないんだね」

 暗い部屋の中。ベッドに二人でくるまって、外を流れる車の音と共に時間を流していく。そんな時に、唐突に白色が呟いていた。

「私は今まで、相手に嫌われない事ばかり考えてた。そしたらいつの間にか自分がいなかった。だから――昔の人が羨ましいってよく思うんだ。“意味がわからない!”って宣言して“自分はこう思ってるんだ”ってはっきりと言い切れる人たちが羨ましい」

 そして、後ろから抱きしめていた由宇の手をぎゅっと握る。

「……おかしいよね。社会に不要と言われて死んでいった人たちの性格に憧れるだなんて」

「白色は明るくて元気で、見ていて気持ちいい子だけど」

「ぜんぜん。陰湿でネガティブで、すごく悪い子だよ」

「そうは見えないね」

「ね。だからみんなⅢAになっちゃう」

「おれもあのサーバーメンテナンスがなければ死んでたね」

「私も」

 二人で笑い合って、キスをする。

 サイコゲーム。

 今では完全に社会に馴染んで溶け込んでいるデスゲーム。

 街にはたくさんのアイコンが生きていて、毎日たくさんのアイコンとすれ違っている。可愛いアイコン。サラリーマンのアイコン。どこにでもいそうなおばさんのアイコン。自分が世界の主人公だと信じて疑わない子供のアイコン。

 人は、自分が自分たるアイコンを常に探してるのかもしれない。世間一般的に認知されているアイコンに自分を落とし込み、それによって自分の存在を確立し、キャラクターを作っていく。それは相手から見ても自分という人間を理解してもらいやすく、サイコゲームでもマッチング相手として歓迎される。

 レインとは、もしかしたらそういう事がうまくできない人たちなのかもしれない。

 自分に適したアイコンを見つけられず、キャラクター不在になっている人たちなのかもしれない。

 そしてそうなってしまった原因の一つに、白色の考えが当てはまると由宇は思った。自分たちは人から嫌われたくないあまり、自分のアイコンを一つに絞ることができないのだ。ある時はこんな顔。ある時はあんな顔。それを繰り返しているうちに、表出する顔がその場面にそぐわなくなり、ツギハギの心が露出しはじめる。

 簡単に言えば、不器用な人間なのだろう。

 今まで世間はそれを許容してくれていたが――いよいよ、時代はそうではなくなってきた。

 しかし一方で、由宇はサイコゲームに面白みも感じていた。特にちさとマッチングした時の印象が強い。

 アイコンは、一言話してみると途端に他人ヒトになる。ヒトにはそれぞれ性格があり、その表情を作っている物語があり、すれ違った場に居た理由がある。つまり、生きているのだ。ヒトは自分が想像する以上に奥深く、気高く、尊敬できる人間で、決してアイコンなどではない。想像を絶する心の深さや培われた価値観、相手が自分以上の存在であることを瞬時に認め、相手がこの世界のどこかで確かに生きているのを実感する事。その世界を探り、冒険し、本当のその人を見つけるなりきりロールプレイ。

 しかし今の日本社会で生きる人々は、相手がアイコンであることを望んでいる。そうでないとⅢAになってしまうからだ。それはまるでサイコゲームが広げた世界を、サイコゲーム自身が閉ざしているかのようだった。

「由宇?」

「あ、ごめん。ボーっとしてた」

 白色は身体の向きを変え、由宇と向かい合う。

「こんなゲーム、早く終わって欲しいね」

 優しい口調でそう言う白色だったが――その身体を抱きしめながら、由宇は思っていた。

 本当に終わりなどあるのだろうか。もしあるとしたら、自分たちが――

 夜が更けていく。


セイギトギセイ:END

 → NEXT:ジェノサイド

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