第15話 タグ

「よくこんな隠れ家みたいなところ知ってたね」

「いろいろあってね」

 二人は、おばあちゃんからもらった311の鍵をもらって部屋に入っていた。見覚えのある黄色い外の陽の光は、単純にカーテンの汚れによるものだ。注意して目を凝らすと埃が無数に舞い散っており、室内も少し変な臭いがした。

「汚いところでごめん」

「いいよ。そういうの全然大丈夫なんだー」

「ふう」と二人は仲良くベッドに腰かけ、ようやく一息つけた。

「ていうかなんだったんだろうねー」と、なぜか運動後のように活き活きと汗を拭う白色。「朝起きたら突然あんな街になってて。ゾンビ映画かと思っちゃった!」

 白色の例えに思わず笑ってしまう由宇。「確かにそんな感じだったね」

「急に世界がゾンビだらけになったらどうしようって妄想が役に立ったよ」

「普段そんなこと考えてるの?」

「うん。本当ならドンキとか量販店とかで武器を揃える予定だったんだけど、でもやっぱり現実は厳しいね」

「予定だったんだ」

「うん」と白色は状況に合わない笑顔を見せる。「こんな宿に身を隠す事も考えてなかった」

 その時、隣の部屋からドンという壁を叩く音がした。そして「ゴホッゴホッ」と男が咳き込む様子が壁を余裕で突き抜けて届いてくる。うるさいという合図だろう――由宇と白色は声量を少しだけ下げた。

「でもホント」と由宇が首を傾げる。「なんで突然タグが表示されるようになったんだろう」

「ネットとかになにか理由が書かれてたりしないかなぁ」

 白色は紋白端末の画面を由宇とも共有する形で手の甲から召喚し、タグについて検索してみる。すると、画面トップにクオリア社のホームページが現れた。白色はそれをタップして中に入ると、文章を読み上げた。

「みなさまへのお詫び。現在、フェイスシート交換時に表示されるべき判定履歴タグが誰にでも参照可能な状態で固定されてしまっています。クオリア社ではこのエラーの原因を究明すると共に、一刻も早く修復するよう努めております。ご迷惑をおかけいたしますが、今しばらくお待ちくださいますよう、よろしくお願いいたします」

「いやこれ絶対わざとだろ!」

「私もそう思う! ひどい!」

 由宇は警察署の前でボコボコにされていた人を思い出す。男性か女性かもわからないまま助ける事もできずに逃げてしまったが、力のないいち市民としてはどうしようもなかったと思うほかない。その人がその後どうなったのか――

「ご迷惑じゃすまないよなこれ。殺される人も出てくるだろ」

 そう興奮して少しだけ声量があがったところで、隣の部屋からドタンバタンと大騒ぎな音が伝わってきた。なにごとかと二人で目を丸くして顔を見合わせていると、ドンドンドンと扉がノックされる。

「おいこの新参者!」と、翻った男性の声。「なんど注意したらわかるんだ! うるさいぞ! 男女で一間にいるからってハッスルするな! 気を遣え!」

 なんどって……一回壁ドンをされただけで、注意など受けていなかったが。

 由宇はそう突っ込みたくもなったが、それよりもそれは聞き覚えのある独特な声だった。辻霧つじきりだ。

「辻霧さん!」ガチャリとドアを開ける。

「痛い!」という声と共に、ドアが何かにぶつかった。覗き込んでみると、ぼさぼさの髪の毛の男が地面に倒れ込んで鼻を押さえている。

「だ、大丈夫ですか!」

「折れたみたいだ……」

 本気で言っているのかユーモアなのか。

 辻霧はゆっくりと立ち上がるが、目は合わせようとしない。「ガタガタうるさいし僕の鼻は折るし……一体なんの恨みがあるというんだ」

「すみません」とできる限り暗い口調で伝える由宇。「でも、会えてよかったです」

「ん?」

 その言葉でようやく由宇と目が合った。

「なんだ。あの片手の女を連れてきた男じゃないか。自意識過剰な……、確か、自意識かじょ男とかいう名前だったな」

愁衣うれい由宇です」

「なんでもいいさ。思ったよりも早く戻って来たな」

「切断者になるかどうかはまだわからないですけど、辻霧さんってサイコゲームに詳しいんですよね。今、ありえないことが起こっていて……話を聞いてもらうって事はできますか?」

「無理だね」と辻霧は即答した。「僕はいま忙しいんだ。クオリア社の不穏な動きを見張っていなきゃあいけないんだよ。それに鼻も折られた。療養が必要だ」

「クオリア社?」と、由宇は辻霧の無駄口の中から肝心な部分だけを抽出する。

「知らないのか? サイコゲームの運営を政府から委託されている企業じゃないか。一般常識だぞ。君に公務員試験は無理だな」

「だとしたらこの騒動は、そのクオリア社の不穏な動きってやつなんですか?」

「なんだって? この騒動?」

 驚いている辻霧だ。確かに切断者としてこの街にいれば、サイコゲームに関する情報については後手に回るだろう。これはアテが外れただろうか。それでも辻霧は由宇の次の言葉を待っているので、やむなく解説する。

「見えますか? このタグ」

「タグ? もしかしてそれは紋白端末が生じさせている何らかのホログラムの事を指しているのか? だとしたら僕はそれを見る事ができないぞ。ガラス体を付けていないからね」

 今時そんな人は世間に中々いないので、由宇はうっかり忘れていた。そうだ。紋白端末の表示を拡張現実A Rとしてるためには、ガラス体が必要だった。由宇も白色も含め多くの場合はコンタクトレンズとしてガラス体を通して紋白端末を利用しており、辻霧はポケットから薄汚れた眼鏡を取り出した。レンズの曇りを服でゴシゴシとふき取ってから顔にあて、慣れない様子で目を細める。

「なるほど。見えるな。それで、このタグはなんだ?」

「触ってみてください」

 由宇にそう指図されたのがイヤだったのか――辻霧はやや不機嫌な表情で空中をポンとタップする。由宇が頭の上を見上げると、辻霧の操作がガラス体を通して共有されている。判定履歴の一覧が展開されていた。

「これの存在は知っている。なにせ僕はこれを利用してマッチングの乱数調整情報を日本中におっぴろげたからね」

 あれはやはり辻霧のホームページだったのだ。しかし、いま話したいのはそのことではない。由宇は次なる辻霧の反応を待った。

「それよりももしかして、このタグ。誰もが参照可能なのか?」

 頷く由宇。

 途端に辻霧の表情が厳しくなった。眉間に深い皺を寄せて俯き、顎に手を当てる。

「二度目の集団虐殺ジェノサイド……」

「街はあちこちで大騒ぎでした。僕たちも狙われて――それでここに逃げてきたんです」

「わかった。待ってろ」

 そう言うと、辻霧はバタンとドアを閉めてしまった。後ろで静かにしていた白色が

ひょっこり顔を出す。

「やばいあの人」という言葉はどこか震えている。

 どうしたのかと思ったが、よく見ると白色は必死に笑いを堪えている様相だ。

「めっちゃツボる。無理」

「そう? 今のやりとりで?」

「“折れたみたいだ……”」と、先ほどの辻霧の神妙そうな口調を真似する白色。そしてついに耐え切れず爆笑した。「絶対そんなじゃない! だって最後ぜんぜん忘れてたもん! 最初っからきっつかったー」

 すると壁がドンと鳴る。「うるさいぞ! 僕を馬鹿にするな!」と、今度はしっかりと辻霧の声付きだった。

「うわ、筒抜け」

 控えめな声量で肩を竦める白色。

 どうやらこれらの部屋はビルの広い一区画を薄い板で間仕切りしただけのようだった。

「これは、夜はやることやっちゃうとお怒りを買いそうだね、かじょ男くん」

 そういつもの明るい調子で言う白色。

「誰がかじょ男だよ」と答えながらも、そんな白色の様子を見て――由宇はなるほどと思った。

 いつも、演じているのだ。だからこんな状況でもいつもと同じ風に振舞える。辛くても笑う癖が身についている。

 ここまでの人生の中で彼女に一体何があったのだろう。そんなことを思いながら、由宇は白色の頭を撫でてやった。

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