第12話 中華街の路地
ちさは、スーリから受け取った名刺を眺めていた。
「調整員って書かれてる」
「お前を殺しに来たんだろうなぁ」と
「なんで?」
「そりゃ、お前らレインはサイコゲームを乱す厄介者だからだ」
「……
「紋白端末が無条件で人の命を奪う事はないはずだ。仮にも日本は法治国家だしな。死はあくまでサイコゲームの判定結果によってもたらされるものでないといけない。もっとも、だからこそ今きたお嬢様みたいな奴が暗躍するのかもしれないが」
「じゃあ、愁衣さんも」
「あいつもレインだもんな。狙われてるかもしれねーな」
「助けにいかないと」
「好きにしろ」と、瀧也は背を向ける。
「一緒に来てくれますよね? 私の後見人だし」
「残念だったな。後見人は事実行為は行わない」
「……どういう意味ですか?」
「後見人の役目は財産管理と身上監護だ。身上監護ってのはお前の代わりに法的手続きをやってやるよって話で、おれが直接なにかをして助けてやるわけじゃない。つまりだな、おれはお前の雑用やボディーガードじゃねぇんだよ。さっきのはおれの厚意によるボランティア行動だ」
そんな……。
ちさはガックリと落ち込んだ。さっきはあんなに格好良かった瀧也なのに、途端にわからずやな大人になっている。しかし、ちさは思い出した。一つは、マチルダはレオンにお金を渡して殺しを依頼していたこと。そしてもう一つ。自分には、依頼するだけのお金があるということ。両親の整理をして得た数千万円と、さらには生命保険金と遺族年金もろもろだ。
「じゃあお金はいくらでも払うから、私のボディーガードになってください」
「なるかバカ」
あまりにバッサリと切られてしまった。
「そもそもおれはお前がそういうバカな金の使い方をしないために後見人になってんだ。悪いが、お前は自由に金を使えない」
再びガックリと頭を垂らすちさ。そうだ。もう一つ思い出した。あの時、マチルダも断られていたんだっけ……。
整理途中の荷物が散らかっている。
「整理くらいは手伝ってやるよ」
ちさは無言で頷いて、荷物の整理を再開した。
ちさはみなとみらいの海岸に来ていた。
由宇に会うためだ。諦めてはいない。
しかし連絡先は分からず、瀧也の協力もなく、海を眺めているちさは途方に暮れている状態に等しかった。偶然こんな場所で出会えるはずもない。
「大丈夫? どうしたの? 学校は?」
観光客だろう日本人が声を掛けてくれた。いつでもどこでも誰にでも優しい他人からの気配りだ。
「ありがとございます。大丈夫です。私、もう行きます!」
にっこりとお行儀を良くして答えるちさは、足早にその場をあとにした。
風通りの気持ちのいい遊歩道を歩き山下公園へ向かう。大さん橋埠頭に巨大なフェリーが停泊していた。横濱の湾には、他にも大型タンカーや遊覧船なんかが横浜ベイブリッジの下を行き来しており、賑わっている。船たちの海上遊歩道みたいな交差だ。前を向いてみると、まだ保育園児ほどの子供を連れた若いお母さんやお父さん、おじいちゃんおばあちゃんのカップル、サラリーマンのペア、授業のない学生たち、観光者ががやがやと歩いている。
ふと、ちさは振り向いてみた。もしかしたら瀧也が追いかけてきてくれているかもしれないと思ったからだ。しかし、遊歩道の上に見知った人の姿はなく、歩いて近づいて通り過ぎていく一人一人がちさの瞳にポートレートとなって映り、彼らは移動と共にぼやけて風景に溶けていく。
唐突に涙がこみ上げそうになって、また前を向く。
“ちぃー。早く来て”
記憶が現実にクロスする。
“ほら。ちぃがいないと、私たち離れ離れ”
そうやって手を伸ばしてくれるお父さんとお母さんはもういないし、瀧也はいつでもどこでも誰にでも優しい人ではない。
しかしそんな瀧也ではあるのだが、今までちさが出会った中で誰よりも優しく、思いやりのある人だった。お母さんが言っていた事をまるで体現しているかのような人だ。
だからこそ甘えてはいけないのだ。一人で生きなくては。それが私なりの、瀧也さんへの思いやりだ――
涙をぬぐって、キッと遊歩道の先を見据えた時。
ちさの目の前に、キネコが浮遊していた。
「……え?」
歌舞伎の模様が描かれた猫の顔が、はにかみ笑いでちさをじっと見つめている。そしてゆっくり向きを変えて尻尾をみせ、それをゆらゆら揺らしながら遊歩道を進みだした。
ちさがその場でその様子を眺めていると、キネコは立ち止まって、振り返る。
――ついてくるにゃん。
そう言っているような気がした。ちさが歩き出すと、キネコは安心して前を向き、空中を泳ぐように進んでいく。
キネコはサイコゲームのために生み出されたマスコットキャラクターだ。女子高生のお姉さんたちはキネコの人形やぬいぐるみをバッグにぶら下げていたりもするけれど、通常、その他なんらかの設定をしていない限りは、サイコゲームの案内以外で姿を現すことはない。そしてちさは被後見人であるため、サイコゲームの案内が届くなんてことも起こらないハズだ。
キネコは遊歩道を下ってから山下公園を抜け、横浜中華街へと向かっていく。その後を追いかけるちさは、マチルダから一転してアリスの気分だった。
中華な街の入り口が見えてきて、家族でよく来ていた記憶が蘇る。ここで食べた青椒肉絲より、お父さんが作ったそれの方がおいしかった。夜の中華街は看板や吊るされた電球や龍の装飾が輝いていて綺麗だったが、昼の町並みは、夢から覚めた雑居ビル群といった風だ。荒々しい色彩。地面に散らかるゴミ。揺れる人々の多様な波。情報量が多すぎて汚く見える。
キネコはその汚れた街をふわふわと進み――段々と人が少ない通りへとちさを
狭い路地に定間隔で設置された灰色の室外機。湿ったアスファルト。小さなビニール袋が風に舞う。ドブネズミが一匹、汚い隅を走って消えた。
異世界のようだった。
映画で見た、香港の貧困高層ビル群に来ているかのようだ。深い深い横浜の異世界。危険なオーラが路地の先からゆらゆらと臭気を帯びて漂っている。ちさは思わず足を止めた。キネコが振り返る。
遠い静寂の中、ちさは確かに言葉を聞いた。
『ちぃー。早く来て。……ほら。ちぃがいないと、私たち離れ離れ』
ハッとする。
キネコは路地の先を曲がって消えていく。思わずちさは駆け出した。臆することなく異世界に通じる狭い道を抜け、突き当りをキネコと同じように曲がる。現れた通りは同じように狭く汚れていたが、加えてそこに数人の男たちと出くわした。日本人で言えば中年のような中肉中背の黒髪でファッションセンスも皆無だが、その表情のどこかに中国人の特徴を感じ取る。男たちはそれぞれ瓶ビールの空き箱に腰を下ろし、行く手を阻むように談笑している。
そんな彼らが、突然飛び出してきたちさに驚いて立ち上がる。
「
「
やはり中国人だ。なんて言っているかわからない。
「
早口のような口調で詰め寄ってくる中国人たちを余所に、その後ろではキネコがちさを待っている。あの子を追いかけたい――
しかし中国人の一人がちさをど突いて唾を飛ばした。
「
「
一瞬だけ、ちさを値踏みするかのように視線が集まった。相手は三人いた。彼らはすぐに仲間同士で笑い合ってから、ちさの手を荒々しく掴む。
「痛ッた!」
「
なにを笑い合って、自分にこんな乱暴な事をするのだろう。ちさが手を振りほどこうとするたびに男の力は強くなる。
すぐにちさは察した。これは悪い中国人だ。
男に掴まれている左手――その甲にある紋白端末を右手で撫で、緊急通報アプリを起動させる。しかしその右手も別の男に掴まれた。
やだ、離してください――
ちさはそう叫ぼうと思ったが、うまく声が前に出ない。気付けば汚い路地の奥底で複数の男たちに囲まれている現実。中国人らしい無機質な表情があらゆる恐怖の想像を掻き立てる。ブルブルと心臓など身体の奥底から震えが襲ってくる。こんな怖い状況で、どうしてマチルダはあんなに勇敢でいられたのか。誰か、助けて――
「離せお前らコラくそ野郎が!」
聞き慣れた声。黒いスキニーパンツの足が真っすぐ中国人の脇腹に刺さり、ぐぇとその場に倒れ込む。
「瀧也さん!」
「説教はあとだ。逃げるぞ、先行け!」
「
「やってみろコラ!」と男三人を回し蹴りで文字通り蹴散らす瀧也。
ウソでしょ。格好良すぎる。ちさは言われた通りその場から離れるが、瀧也の勇姿をもっと見ていたいと前方不注意で走っていたら電柱に頭をぶつけた。痛いと頭を押さえていると、瀧也が追い付いてくる。
「なにしてる、行くぞ」
瀧也はひょいとちさの身体を抱え、賑やかな中華街の大通りへと向かった。
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