第11話 悲哀と笑顔
ベッドには何種類かの体液が飛び散っており、布団には部分的に不快な冷たさがあった。
まだ布団の中にいる
「私、なんとなくわかってたのかも。由宇くんが
「普通の人には見えなかった?」と、ベルトをカチャカチャ弄りながら由宇は聞く。
白色は静かに頷いて返事をした。
首を傾げる由宇。「自分では普通だと思ってるんだけどなぁ」
「普通ではないよ! だって、えって驚かされることが多かったから! 由宇くんの行動、全然予測できなかった! 何考えてるか全然わからなくて、内心すごく驚かされてたよ。……もしかしたら私達二人とも、このラブホで死ぬのかもね」などと嫌な冗談を言う白色。「ラーメン食べといてよかった」と続けた。
「確かに。あれはうまかった」
「でしょ。死んでも悔いがないでしょ」
「それはどうかな」と二人で笑う。
白色も服を着て立ち上がり、まるで恋人のようにキスをする。
「おれたち、死ぬのかな」
「由宇くんはわかんないけど。……私は死ぬと思うな! だって、さっきも言ったけど、由宇くんが何考えてるか全然わからないもん!」
「なんでそんなに明るい感じで言えるんだよ。おれも白色が何考えてるかわかんない」
「明るさが私の取り柄だから?」クスクス笑っていた白色だったが、それから少しだけ神妙そうな顔をする。「……でもさ。もうなんか、死んでもいいなって諦めちゃってる部分とかもあるんだ。だって生きてたって勝手に他人から変な名前付けられてさ、死んでほしいって思われてるわけでしょ」
そして二人は黙り込む。
由宇の視界の中で、キネコが待機している。サイコゲームがはじまろうとしている。白色の瞳を見つめてみる。白色の優しい眼は由宇を見つめているようでいながらその存在を貫き、遥か遠くの宇宙を眺めているかのような光の深さだ。その瞳の前では自分があまりにもちっぽけな存在に感じられ、思わず目を背けてしまう。
ああ――本当に死ぬのかもしれないな。と、由宇は思った。
まだ白色の事を何も知らないのに白色の事を知り過ぎたのかもしれない。サイコゲームをやるのであれば、赤の他人か親近者のどちらかでなければならなかったのだ。
ドッドッドと心臓が鳴る。
いよいよ、今度は自分の番か。こんな気持ちでサイコゲームに臨んだことはなかったので、なんだか新鮮だった。
覚悟を決めようとすると中々踏ん切りがつかなかったので、投げやりな感じでおもむろにキネコをタップしてやる。自分にできることとすれば、素直に白色の気持ちを考えながらゲームに臨むことだけだ。
空中で待機しているキネコを、由宇はもう一度タップした。
“テーマを決めて、はじめるにゃん!”と、いつもなら宙返りをするはずだ。しかしキネコは今もふわふわと空中を漂い、タップに反応を示さない。
由宇が首を傾げていると、白色も「あれ」と――由宇には見えないキネコをつついている。
二人は顔を見合わせた。
すると、紋白端末が発光して文字を浮かび上がらせる。
“サーバーメンテナンス中”
キネコが表示していたタイマーが消える。そして「おつかれさまにゃん! それじゃあまた会う日まで! ばいにゃーん!」と、キネコ自身も紋白端末へ飛び込んで消えた。
「……え」
「キネコ、帰っちゃった!」と白色が言う。「なにこれ、どうなるの!?」
由宇はサイコゲームの設定画面を引っ張り出して履歴を確認する。本日の
*
「気付かれたかな」と翻った声質の
カビの臭いが強く、埃が舞い、コンクリート壁がむき出しで、黄色く汚れたカーテンが陽をすかす、不衛生な
「なにしてるの?」
「その露出。もし僕に左手が残っていたら、間違いなく襲い掛かっているぞ」
「そんなことより――」と環凪は取り合わず、さっきまで辻霧が弄っていたパソコンを覗き込む。辻霧の隣で、大きな胸がキャミソールから零れそうだ。「このパソコンで何をしていたのって聞いてるんだけど」
答えてやることにした。「ここは世捨て人の街だからね。サイコゲームについての世の中の動きを知るためには積極的に情報を仕入れなければならない」
「このパソコンで? SNSかなにかでもみてたの?」
「クオリア社のコンピューターにお邪魔してたんだよ。過去に僕がエンジニアとして作った部分から入港しているんだがそれはそれとして、最近おもしろい機能が追加されていたよ。やっぱり、僕が想像していた通りだ」
「社会の感情が次の段階にってやつ?」
「ククク」
「そのオタク笑いやめた方がいいよ。気持ち悪い」
「ここの部分だ」と、辻霧は黒背景に白文字で描かれたソースコードを環凪に見せてやった。
もちろん環凪がそれを見て理解できるはずがない。これは意地悪なのだ。案の定、難しい顔をする環凪。いい気味だった。いつも人を馬鹿にしてくる女へのささやかな嫌がらせだ。
辻霧は得意気に言った。「フェイスシートを交換する際、それぞれの判定履歴が確認できるようになっている。つまり、これによってⅢAを与えている相手とのマッチングかどうかがわかるようになったわけだ」
「そんなの知っても意味なくない?」と環凪は自分の左手を見ながら言う。「相手がそうだって事を知ったところで、じゃあ何ができるのって思うんだけどなぁ。その人とのサイコゲームを回避できるわけでもないし、心構えを変えたら結果が変わるとも言い切れなさそう」
「騒げばいい。そしたら周りが殺してくれる」
環凪は笑った。「そうだね。私も少なからず恨みはあるし、そういう騒ぎがあったら少し乗っちゃうかも」
「とんだ“思いやり社会”だな」
辻霧の答えに満足した環凪が部屋から出ていく。ドアが閉まったのを確認して、改めて辻霧はパソコン画面に向き直った。旧時代の古いコンピューターだ。本体は足元のボックス内に収まっており、静かにファンを回している。
クオリア社への侵入はすでに遮断されていた。恐らくは侵入に気付かれてしまったのだろう。辻霧のアクセスはインド発信となっており、さらに日本の個人紋白端末を乗っ取ってアクセスしているので、侵入に気付かれたこと自体は大して問題ではなかった。ただこのメンテナンスによる通信不可を回避できなかったところをみると、どうやら過去に辻霧が作っておいた穴は塞がれてしまったようだった。結局、調べたいことは調べられなかった。
「
珍しく独り言ちる辻霧。クオリア社創設時代の写真はデスクの横にいつも飾ってある。自分が写るその隣で元気よく腕を突き出している女性を眺める。
しかし、もう過去の事なのだ。
彼女は自分と共に解雇され、今はどこで暮らしているかわからない。
“より悲壮に満ちた社会が生まれるだけですよ”
その彼女の言葉は、辻霧に向けられたものだった。当時、クオリア社を立ち上げ
彼女は、その委託に反対しようと創設メンバーたちに呼びかけていた。特に辻霧に対して、彼女は熱心に自分の意見を伝えていた。
当初、辻霧はそんな彼女の勢いを止めようとしていた。
“すでに悲壮に満ちた社会なんだ。それが浮き彫りになるだけだ”
そのように答えていた。
確かにサイコゲームについては否定的であったものの、自分の人生を賭けてその流れに反対するつもりもなかった。しかし結果として、辻霧は彼女に火をつけられたのだ。
“確かにそうかもしれないですけど! でも、思いやりとかやさしさはいつでも誰にでも向けられるものじゃないんです! だからこそ、気まぐれでふと向けられた思いやりややさしさに私たちは救われるんです! いつでもどこでも誰もがやさしいなんて、そんな社会は偽物です! だから、それを強要するために誰かを殺すサイコゲームなんて、ただの殺戮なんです!”
「ククク」
元気にしているだろうか。
NA2を最もよく知っている彼女だ。今後、サイコゲームが社会にさらなる混乱をもたらす時、いずれまた出会う事になるだろう。
それまでは、ささやかながらクオリア社に嫌がらせでもして暇つぶしでもしておくか。
辻霧は画面に新たな窓を召喚し、カチカチとデータ設計をはじめた。
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