第三章 セイギトギセイ
第9話 ちさの後見人
数週間経ってから、某殺人事件はようやく一つの結末を迎えた。
『たった今、四十代の会社員の男性が建物から出てきた模様です!』
八回連続でⅢAを与えていた女性を男性が殺害した事件は、不起訴という形で終わった。もちろん、殺人は犯罪だ。殺人を肯定する倫理的余地はない。しかし世論は加害者男性の気持ちを十分に思いやった幕引きを望み、検察はその道を選択した。これこそが思いやり社会なのだと、コメンテーターが悦に浸りながら語っている。ちさはその歪んだ笑みを画面ごとスライドさせ、アプリを終了させた。
両親の遺品整理に戻る。
青葉台の一等地に立つマンションの一室は、
それまでの間に、整理を終わらせなければならない。
売ったり処分せずに残されているのは、父親が大切にしていたボロボロのねじまき式の腕時計、ちさが小さかった頃に母親が読んでくれた絵本、死体回収施設から戻ってきた二人の指輪、そしてアルバムくらいなものだった。
ちさは何冊かあるうち一つのアルバムを手にして――背表紙には2016年~と書かれており、少しだけ中を開いてみる。そこには、まだ母親が二十代だった頃の写真が、見出し付きで綴じられていた。
大学時代のセピアに色褪せた写真から一部上場企業への就職、友人たちと立ち上げたクオリア社の創設メンバーの集合写真。
クオリア社とは、あのクオリア社の事だろうか。ちさはその一枚をアルバムから取り出して眺めてみた。
自分の母親と思われる若い女性は、髪の毛をポニーテールにして強く拳を突き出している。いたずらっ気のある男勝りの笑みがちさの知る母親そっくりだ。その横には、細い身体で髪の毛がぼさぼさな――見るからに貧弱そうな男性と、反対側には凛とした骨格ながら不思議な目の輝きを放っている男性が並んでいる。母親が携わったクオリア社創設は、その他数名を含めた十人足らずで実現させたようだ。
生前の両親は、そんなことは一切語っていなかった。いつも明るく活気があった母親だが、まさかこんなにすごい人だったとは。
ちさは時間を思い出して写真をアルバムに戻し、パタンとそれを閉じる。すると、その小さな気流に紛れて一枚の薄い紙がひらりと零れ落ちた。便箋だ。ちさはそれを拾い上げて、書かれている文字を読もうとした。
「ピンポーン」
ハッと顔を上げる。約束の十時だった。
ちさは便箋を畳んでパーカーのポケットにしまうと、ミニスカートを揺らして玄関へ向かった。ドアをあけると、そこに居たのは不機嫌な表情のひげ面の男だ。前回あった時の白衣の制服ではないため、どこか新鮮な人物に見える。元々、面倒見の良さそうなお兄さん的な外見の瀧也だが、薄いパーカーがさらにアットホームさを与えている。
「こんにちわ。この度、家庭裁判所から後見人に選定されました
非常に不満そうな表情でまっすぐ正面を見据え、小さなちさと目を合わせようとしない。
「瀧也さん!」
「お邪魔します、被後見人」とちさを押しのけてずけずけと部屋に入る瀧也。
その後姿を、ちさは追いかけた。「後見人になってくださって、ありがとうございます」
すると瀧也は足を止め、ギロリと後目で睨みつける。「勝手に候補人としておれの名前をあげたのはお前だし、そんなおれを勝手に後見人に選任したのは家裁だ。この決定はおれの意思じゃねぇ」
そんないじわる瀧也だったが、それでもちさはもう一度頭を下げた。
「ありがとうございます。ソーシャルワーカーの人が言うには――」
「被後見人は社会的に見て判断能力が十分でないと認められた奴だけが、なる事ができる。よかったな。お前が成人になるまで、しばらくサイコゲームとはお別れだ」
なんだかんだで優しい瀧也に、ちさはコクリと頷いた。
「それより、知ってるか。例の殺人事件」
「八連続ⅢAを与えた人が殺された?」
頷く瀧也。「いつの間にかおれたちの業界では、今回の被害者のように相手にⅢAを加判定させるやつらの事を
「
「そうだな。まぁ、あいつも
ちさは少しだけ
両親が共にⅢAで死んで、即日、愁衣
「そもそも紋白端末を入手してから一、二ヶ月で六回のサイコゲームってのが異常なんだ。普通じゃありえねぇペースだ」瀧也はリビングでキッチンの換気扇を回しタバコを取り出す。「疑問を持つには十分な事象が、お前の身には起こってる」
「疑問……」
瀧也はタバコに火をつけ、その煙を味わう。
「両親の死。その歳でのサイコゲーム。由宇相手にⅠ。ゲームのペース。ⅢAの加判定数。おれにはなんだか、普通じゃない事が起こっているような気がしてならねぇんだ」
すると、どこからか聞き覚えのない声がした。「その話はそこまでにしておいた方がいいですよ、死体回収員さん」
いつの間にか玄関が開いており、スーツ姿の金髪女性が家に上がり込んでいた。シャツの胸元は開かれ、豊満な胸の谷間を強調させている。対して腰はキュッとくびれており、モデルのようにグラマーだ。風に乗って香水の匂いが漂った。
「はじめまして。後見監督人のスーリ・タチバナです」
「あ? なんだそりゃ」と瀧也。
「あら。家裁で後見講習を受けた時に隣にいたじゃない。覚えてないの?」
「くせぇ臭いしかな」
「ラベンダーですぅ」と色気のある口調で笑う女性はどこか外国人とのハーフのようで、白人のような骨格の整いようだった。
ちさの後見人になる手続きのため瀧也が家裁へ訪れた際、そういえば責任だ役割だなんだと話を聞かされた覚えがあった。その時に後見監督人という単語も耳にしたかもしれない。簡単に言うと、ちさが希望した自分という後見人を監視する立場になるそうだ。
「よろしくお願いしますね、ちさちゃん。瀧也さん」
そしてスーリは名刺を取り出して二人に渡す。
“クオリア社
「普段はクオリア社に勤めています」
「オーケー、スーリ」瀧也は匂いのキツい彼女に鋭い視線を投げる。「君がクオリア社の人間なのは偶然か?」
「それはどういった質問ですか?」と、人差し指を顎に当てて身体を曲げ、スーリは愛想良く質問する。
「後見監督人の仕事はおれが後見人として動くための監督役だ。本来であればここに姿を現す意味ない」
「あら。ちゃんと講義は聞いていたんですね」
「これでも国家公務員だ。勉学に励まないと今の職には就けねぇ」
「サイコゲームが免除されている特権階級。うらやましいです」
「毎日死体にお触りする仕事がか?」瀧也はタバコを咥えながら「まぁいい、話を戻そう。何をしに来た。警告か?」
「そうですね……」
その言葉は返答への間をつなぐものではなく、肯定に近かった。警告ではないが、似た所ではあるらしい。
「
「こいつからサイコゲームを守ったんだ。間違えるな」
「忠実な表現で素晴らしいですね。ですが、この子もいずれ対象年齢になります」
「今はまだガキだ。他の同世代のガキたちと同じ状態だ」
「その人たちはまだゲーム結果が観測されていませんので」と、ぺこりと一礼をするスーリ。そしてそのまま手を自身のスカートの中へ入れ、瀧也の横にいるちさを見る。
瀧也は、ちさの身体をトンと押した。スーリはスカートから手を抜いて一閃、ちさが元居た場所へ何かを投げつける。一瞬のできごとで、ちさには何が起こったのか理解できなかった。ただただ、力なく倒れ込む。「ビーン」と音を放ち壁に突き刺さっているのは、小ぶりのナイフだろうか。
「っち」とスーリ。
「残念だったな」と、瀧也は変わらず落ち着いた調子でタバコを吸う。「不意打ちが失敗したらお前はもう何もできないだろ。拘束してもいいが、おれの立場もある。どうする、出直すか?」
スーリは答えずに背を向け、匂いを残して部屋から出ていった。
「全く、何を考えてるのか見え見えなお嬢様だ」
瀧也はそう言いながらちさへ手を差し伸べる。
「えと。ありがとうございます。……よくわからないけど、助けてくれたんですか?」
「あ? ったりめーだろ」瀧也は水道水でタバコを消し、携帯吸い殻入れにそれを入れながら言う。「おれはお前の後見人だぞ」
思わずちさはきゅんとして、息を大きく吸い込んだ。
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